2017.2.23 1980年
「あの子は子供の頃から嘘ばかりつくんだよ」
初島医師が言った。
「なぜだと思います?」
新道が尋ねた。
「なぜ?元からだよ。物心ついた頃から嘘ばかり言ってるんだからね。元々そういう性質なんだよ。君、気にしちゃいけない。聞き流しなさい」
「でも、何か理由があるようにも思えるんですけど」
「理由なんかないさ。人間が呼吸をするように、あの子は嘘をつく。そういう子なのさ」
「どうして初島はああなんだと思う?」
新道は、菜穂にも尋ねてみた。
「ああって?」
「嘘をついたり、人をそそのかしたりする」
「それはね」
菜穂は真面目な顔で言った。
「女の子にしかわからない理由だと思うの」
「へ?」
「だからシンちゃんには説明できないわ」
「どういう意味」
新道は聞き返したが、菜穂は走り去ってしまった。
「どういう意味だと思う?」
橋本古書店で、今度は橋本に尋ねてみた。
「知らねえよ。俺は女の子じゃねえし」
橋本はそう言ってから、
「根岸は嘘をつかない子だよな?」
と付け加えた。
「そうだね」
「嘘はつかねえけど何か隠してるな」
「そう?」
「お前に言えないようなことなんだろ?」
「言えないようなことって何?」
新道が尋ねたが、橋本は黙って手元の本に目を戻した。
「わかってるんなら教えてよ」
新道が言った。
「ナホちゃんも菅谷も、何か知ってるようなことを言うのに、俺には『聞かせられない』って教えてくれないんだ。それはどうして──」
「お前さ」
橋本が目を伏せたまま口を開いた。
「根岸に触りたいと思ったこと、あるか?」
「へっ?」
新道は変な声をあげて顔を赤らめた。
「あるんだな。なら、わかるだろ」
「な、何が?」
「そういうことだよ」
「そういうことって何?」
「初島はたぶん、そういう体験をもうしてる。みんなそれを薄々感じてるから遠回しに言うんだよ。相手が誰かは知らねえけどな。言っとくけど俺じゃねえからな。女はそういう目に遭い過ぎると、性格が歪むらしいぞ」
橋本は目をそらしたまま、新道に向かって本を投げた。夏目漱石の『行人』だった。
「それ読んどけ。来週までにな」
「ええっ!?こんな厚いの読めるわけ──」
「いいから読んどけ」
橋本は立ち上がって店から出ていこうとした。だが、戸を開けた所で立ち止まり、
「お前、根岸相手に早まったことすんじゃねえぞ」
と言ってから、出ていった。
「最近の若者は乱れてんだなァ」
店主が言った。新道にはその意味が全くわからなかった。




