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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年2月

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2017.2.21 火曜日 研究所


 このパスタ、おいしい。


 昼、本堂まりえが微笑むのを、久方は複雑な表情で見ていた。なぜ彼女がここにいるかというと、結城が勝手にランチに招待したからだった。


 お前の数少ないいい所だろ、料理がうまいのは。

 働く女は料理ができる男に弱いんだぞ。


 自分はトーストすら焦がすくせに、そんなことを偉そうに言いながら、結城はどこかに出かけていった。久方は慌てた。食材がほとんど残っていなかったからだ。おかげで、カルボナーラと蒸し鶏と温野菜というよくわからない組み合わせになってしまった。もっと早く言ってくれれば、材料をお取り寄せできたのに。


 私が知ってるパスタと味が違いますね。


 幸い、まりえは満足したようだ。


 イタリアのものなんです。


 久方は言った。


 むかし、ドイツに留学してたことがあるんですけど、隣に住んでたフィンランド人がなぜかイタリアのものが好きで。なんでイタリアに行かなかったんだって聞いたら、単純に経済のためだとか言ってて。


 ドイツ行ってたんですか。私イギリスなら行ったことあるんですけど、ドイツはないです。


 しばらく海外の話でつないだ。まりえは外国のものが好きだがめったに行けないので、骨董市や中古で外国のものを見つけたらつい立ち止まって眺めたり、安ければ買ったりしてしまうらしい。


 使わないのにきれいなお皿ばっかりどんどんたまってくんですよ。たまに小さな作品を乗せたりしています。


 ブルーがきれいな皿ほど高いとか、中古のマーケットの話をしているまりえを見ながら、久方はぼんやりしていた。せっかく大人の女性と話す機会があって──レティシアを除けば、数年ぶりに──それなりに楽しんでいるというのに、やはり、思い浮かぶのは早紀のことだった。今日は火曜日。たしか体育の授業がある日だ。今頃何をやっているだろう。昼だからお弁当を食べているのか。もしかしたら彼氏も一緒か。


 まりえさんの作品は素晴らしいですね。


 頭から早紀を追い出すため、久方はわざと明るく言った。


 ありがとうございます。


 まりえはにっこりと微笑んだ。それから、今作っている『チョコレートのあざらし』の話を始めた。一見形は単純そうだが、それが逆に、質感を出すのが難しいらしい。

 久方が本当に聞きたいことは別にあった。

『僕ではやはり恋愛対象になりませんか』

 と聞きたかった。先程、久方がキッチンで料理をしている時、まりえがのぞきに来て、


 料理している姿もかわいいですね。


 と言ってにやけていたからだ。

 かわいい。

 昔から久方につきまとう評価の一つだ。久方に対する女性の反応はだいたい2つに分かれる。『弱そう』と言いながらいじめに来るか、『かわいい』と言いながら子供扱い、ゆるキャラ扱いしてくるか、そのどちらかだ。まりえは後者のタイプらしい。


 サキ君はそんなことしないのにな。


 久方は思っていた。早紀は会った時から、久方を大人として扱っていた。そういえば、今でも敬語で話しかけてくる。そろそろあれはやめてもらいたい──


 久方さん、

 お付き合いしている人がいるって噂ですけど。


 まりえが尋ねた。好奇心いっぱいの目で。


 どんな噂を聞いたんですか?


 年上の女性とつきあっているけど、お相手は病気で入院しているとか。


 あさみのことだ。久方は顔をしかめた。そうだ、今日だって本当は午前中に橋本を病院に行かせるはずだったのに、朝から気が動転していて忘れていた。


 違います。それは僕じゃないんです。

 僕はだれともお付き合いはしていません。


 久方は強めに言った。


 そうなんですか。


 まりえは特に表情を変えなかった。


 僕は女性に好かれるような見た目はしていませんから。


 久方は言った。言ってから、いじけた言い方だなと自分で思った。


 そんなことないと思いますけど。確かに、筋トレするようなスポーツ男子的マッチョとは違うかもしれませんけど、今は男の人もかわいい方がモテますよ。へたに男々してると女の子は逆に近寄りがたいですし。


 その『かわいい』をやめてくれかいかなと久方は思ったが、口には出さなかった。まりえも何かを察したのか、話題を変えた。


 チョコレートクラフトで一番楽しいのは、

 最後に壊して食べるときなんですよ。


 壊す?せっかくきれいに作ったのに?


 久方は店で見た芸術作品のような品々を思い出していた。あれを破壊したい人がいるなんて信じられない。


 そうじゃないんです。木とか石でできた彫刻ならずっと飾っててもいいんですけど、チョコレート像は違うんです。食べ物なんです。わあ、すごいって驚いたら、みんなでハンマーを持って像を破壊して、食べるんです。みんなでワイワイしながらやってもらうのが理想です。

 楽しいでしょ?その方が。


 はあ……。


 パーティーが大嫌いな久方にはわからない発想だった。


 それに、わざと嫌いなものを作らせたがる人もいるんですよ。


 嫌いなもの?どうして?


 最後にハンマーで破壊できるでしょ?別れた元夫とか嫌いな上司像とかを頼む人、いるんですよ。嫌いな人を本当にハンマーで殴ったら犯罪だけど、チョコレート像なら気兼ねなく粉々にして、あとでおいしく食べられるでしょ?


 はあ……。


 やはり久方にはついていけない発想だった。まりえは今までに変わったものを注文してきた客のことを話してから、『仕事に戻らなきゃ』と言って帰っていった。





 保坂を連れて楽譜を見に行ってたんだけど、

 

 夕方に戻ってきた結城が言った。


 アニメソングの楽譜を飢えた目で凝視してたから、買ってやったらめちゃくちゃ喜んでたよ。


 だから上から奇妙な音楽が聞こえるんだな?


 久方は天井を見上げながら言った。


 しばらく放っといてやって。あ、夕飯は買ってきたから。それより、昼のデートどうだった?


 デートじゃないよ。仕事の話をしただけ。


 話ができただけ上々だな。

 覚えてない?

 去年の今頃は、誰にも会おうとしてなかっただろ。

 進歩したじゃん。


 結城は笑っていたが、久方は何も嬉しくなかった。去年の今頃。あの頃の方がましだったような気すらした。早紀はまだ秋倉に来ていなかったが、まだ自分だけのものだった。

 なのに今はもう彼氏がいる。たった一年でこうだ。

 しかも、


 あの2人、だんだんいい雰囲気になってきましたよ。

 夕食の席で保坂が言った。久方は弁当を没収したい衝動と戦っていた。


 勇気が新橋にかまってて俺らと遊んでくれないんで、また保とサバゲーしようって話してんすよ。冬じゃないとできないミッションがあるんで。


 遊ぶのはいいけど指を痛めるなよ。


 結城が顔をしかめながら言った。サバゲーが理解できないようだ。

 今日はもうこれ以上誰の話も聞きたくない。久方は早めに部屋に引き上げた。椅子に座って、ぼんやりと今までの人生を振り返った。中学でも高校でも大学でも、久方は常に女の子にからかわれてきた。みんなが揃っていうのはやはり『弱そう』と『かわいい』だった。人が怖くてビクビクしていたのもまずかったのだろう。小柄な見た目と内気な性格のせいで、彼女ができたことは一度もなかった。レティシアは例外中の例外で、奇跡だった。


 今頃フランクと幸せに暮らしているだろうな。


 久方はそんなことをぼんやりと思った。もう、嫉妬も悲しみも感じなくなっていた。遠い昔の話のようだ。最後に会ったのはほんの2ヶ月前だというのに。


 自分は恋愛に向いてない。


 ずっと自分にそう言い聞かせてきた。女の人がそういう目で自分を見てくれることはないと。でも、それでも気になるのが早紀だった。


 でもサキ君にはもう彼氏がいる。


 別れてくれないかなぁとつい考え、慌ててそれを振り払う。だめだ、人の不幸を願ったりしては。ただでさえまともじゃないのに、もっと悪い人になってしまう。

 スマホには、まりえからの、


 ランチごちそうさまでした。

 次は私がおごりますね。

 料理苦手だから自分では作れないけど。


 というメッセージが入っていた。


 楽しみにしています。


 と返事したが、実際はどうでもよかった。早紀から何か送ってこないか、昔みたいに『眠れないからお話しましょう』と言ってきたりしないか──そう思って何度もスマホを見たが、いつまで経っても何も届く気配はない。

 そのうち諦めて、久方は着替えてベッドに入った。しかし眠れない。


 サキ君がここにいてくれたら。


 考えるのは、やっぱり、それだけだった。






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