表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年2月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

705/1131

2017.2.8 水曜日 研究所

 橋本はずっと、あさみに話しかけている。よくそんなに話すことがあるなと思うくらいよくしゃべる。その中には自分は聞いたこともないような昔の話もある。でもだいたいは、()()()見聞きしたことを伝えているだけだ。記憶を共有しているから。

 あさみは目を覚まさず、反応もしない。元気なうちにもっといろいろなことを話しておけばよかったと、橋本は後悔しているようだった。今日は元気がなく、スギママが来て嫌味を言っても反応しなかった。


 あら?どうしたの?いつもの邪気が感じられな〜い。


 スギママが言った。


 何でもねえよ。


 橋本はすぐに出ていき、車の前で久方は体を返された。





 昼過ぎ、久方が曇り空の下を散歩していると、畑に人影があった。赤いニット帽をかぶってメガネをかけている。小柄な(といっても久方よりは大きいが)女性のようだ。あたりを見回しながらスマホを見ている。まるで、いつか道に迷っていた早紀のように。

 あれも遠い昔のようだな。

 久方はそう思いながら女性に声をかけた。やはり道に迷って、電波のなさに驚いていたようだ。


 あのう、私、最近引っ越してきたばかりなんです。


 内気そうな声が言った。


 駅って、どっちでしたっけ?


 久方は駅前まで一緒に行くことにした。道を歩きながら聞いた話では、彼女は本堂まりえという名前で、小学生の頃『お堂』というあだ名がついていて、今は駅前のチョコレートショップ・セレニテでチョコレートを作っているという。


 あのバラの花束を作った人?


 久方が驚いて尋ねると、まりえは赤い顔でうなずいた。


 昔から、食べ物で何か作るのが好きだったんです。

 クッキーやウエハースで家を作るとか。

 そのうち、チョコレートなら自由に彫刻できるし、

 溶かして型に入れれば何でも作れると気づいたんです。


 店に着くと、道には人がいないのに、店内には客がけっこういた。


 あ!まりえさん!どこ行ってたんですか!?


 レジの女の子が叫んだ。


 ごめん。散歩してたら道に迷っちゃって。


 まりえは謝った。それから久方に、


 ちょっと待っててくださいね。


 と言って店の奥に入ると、白くて平たい箱を持ってきて、


 これ、どうぞ。


 と差し出した。久方は受け取って、そのまま水平を保って道を歩き(雪で道が悪かったのでなかなか大変だったが)研究所に戻ってからそっと開けてみた。

 チョコレートでできた、雪の結晶が入っていた。

 それも、よくおもちゃやアクセサリーに使われているような大雑把な形ではなく、細かい線まで余すところなく再現されたものだった。

 久方はしばし見とれてから、慌ててあたりを見回した。

 

 だめだ、あの甘いもの狂いにこれを見せたら、

 秒で破壊されて食われる!


 久方はそっと箱の蓋を閉め、しばらく考えてから、自分の部屋の引き出しの中に箱をそっとしまった。こんな繊細なものを、あのピアノ狂いに見せたくない。何日もつものなのかわからないが、しばらくこの形のままにしておきたい。


 しかし、別な刺客がやってきた。

 もちろんそれは、新橋早紀だった。


 久方がきれいなもの見せたさで早紀に結晶を見せたとたん、早紀は、


 わあ!すごい!結城さぁ〜ん!


 と叫んだのだった。それが最後だった。結晶はあっさり結城の手に渡り、悪魔のように正確な手さばきで3等分され、食われてしまったのだった。


 ああ、せっかくの芸術作品が……。


 久方は3分の1になった結晶を見つめ、悲しみにくれていた。これは自然に対する冒涜ではないのだろうか(いや、チョコレートだから人が作ったものだけど)。

 何も感じない結城は、


 さすが味もうまい。プロだな。

 ロイズ超えるんじゃねえかこれ。


 と、アホみたいにはしゃいでいた。


 ほんとに他のチョコと味違いますよこれ。


 早紀が言った。口の端にチョコレートがついていた。久方がそれを指摘すると、バスルームまで走っていった。鏡を見に行ったのだろう。


 おとなしい天才か。お前にぴったりじゃない?

 気の弱いものどうし。


 結城がにやけた。


 変な想像はやめてよ。道に迷ってただけだよ。


 新橋の時も同じこと言ってただろ。


 サキ君とは違うよ。


 私がどうかしましたか?


 早紀が戻ってきた。久方の顔が赤くなり、結城のニヤけ度は増した。


 さっき会ったショコラティエの彼女が久方にぴったりだって話だよ。


 結城が言った。早紀は久方を見て、


 好みのタイプだったんですか?


 と尋ねた。久方は慌てて首を横に振った。


 そういえば所長、彼女欲しいと思ったことないんですか?レティシアさんとは別れたんですよね?


 今はいいよ。


 久方は答えた。本当は何もよくないのだが。


 それよりお前彼氏放っといていいの?


 結城が早紀に余計なことを尋ねた。


 いいんです。今日は。


 早紀が怖い顔で言った。何かあったなと思ったが聞き出せなかった。早紀は結城と話し、猫と遊んでから帰っていった。

 久方は3分の1になった作品を引き出しにしまい、ため息をついた。もうすぐバレンタインがやってくる。クリスマスと同じくらい、いや、それ以上に久方が嫌いな日だ(この日が好きな人の気が知れない!)。


 僕には関係ない。


 久方は1階に戻った。長年無視されていたキャットタワーに、最近になってやっと興味を持ってもらえたのか、かま猫が一番上で丸まっていた。


 僕はどうしたらいいのかな。


 久方は尋ねたが、もちろん猫は答えない。そのうちシュネーがやってきて、かま猫とじゃれ始めた。猫まで仲良しを見せつけてくる。もはや慰めにならない。

 久方はカウンターについて窓の外を眺めた。今日はずっと曇っている。

 まるで自分の心のよう──と思うのは、

 感傷的すぎるだろうか。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ