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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年2月

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2017.2.4 土曜日 チョコレートショップ セレニテ

 いつもは人気のない秋倉駅前に、行列ができている。新しいチョコレートの店ができたからだ。

 久方創は不本意ながらその列のさなかにいた。後ろにはもちろん、甘いもの狂いの助手、結城がいた。久方は無理やり拉致されたのだ。


 僕が行かなくても、

 一人で勝手に行けばいいじゃないか。


 という久方の叫びはもちろん無視された。


 ガキみたいにふくれっ面してないでこの列の女どもを見ろ。こういうオシャレな店ができた時は女の子が来るもんだぞ。


 自分が甘いもの食べたいだけでしょ!?


 もちろんチョコも食うに決まってるだろ。チョコレートの店に来てんだぞ。ついでに女の子もチェックするんだって。


 勝手にやってろよ。僕帰る。


 まあまあ待て待て。そのうち平岸家の奴らも来るから。


 結城の言ったとおり、平岸家の車らしきものが近づいてきて、平岸の奥さんと、早紀とあかね、高谷修平が降りてきた。ヨギナミがいない。バイトに行ってしまったのだろうか。


 あっ!所長!結城さん!


 早紀がこちらに気づいて大きく手を振った。かわいい。

 平岸家の人々はかなり後ろ、商店街のはずれまで行ってしまった。なぜこんなに人が集まっているのだろう。田舎だから他に行く所がないのか。久方はいつもの静かな駅前が懐かしくなっていた。いや、本当は商店街には人がいた方がいいのだろう。しかし他の店はずっとシャッターが下りたままだ。人がたくさん来ても意味はないのでは?

 かつてこの町が栄えていた頃、このシャッターが全部開いていた頃を、久方は想像しようとした。だが、うまくいかなかった。近くに並んでいる女性たちの話し声がやかましく耳障りだからだ。さっきから学校の先生について悪口ばかり言っている。若すぎる、美人なのが気に食わない。愛想が悪い。


 学校の先生美人なのか。今日来てないかな〜。


 結城がどうでもいいことに注目してあたりを見回した。久方は呆れながら前方を見た。すると、道の向こうに、どこかで見たことのある女性が、ロングコートとマフラー姿で歩いてくるのが見えた。

 それは、保坂の母親だった。

 久方はそれに気づいたとたん顔色が悪くなり、心臓がバクバク鳴り出した。彼女はゆっくり近づいてきて──久方の横を通り過ぎた。

 もしかしてヨギナミを探してるのか?

 それとも、チョコレートを買いに来ただけか?

 後ろに並んでいるかもしれないと思うと、久方は落ち着かなかった。結城にまた『もう帰る』と言いそうになった時、


 あれ?久方さん、どうも。


 天敵、いや、カフェの孫、高条勇気が現れた。手にカフェのメニューを持っていた。


 何してるの?


 久方はあいさつも忘れて尋ねた。


 せっかく人が集まってるからうちにも来てもらおうと思って、宣伝してるんです。この辺他に飲食店ないじゃないですか。ここも飲食スペースない店っぽいし、休憩はうちでどうぞ。はい、これ。


 高条は印刷したメニューを配りながら後ろへ行った。たぶんこれから早紀達と合流するのだろう。近くの女性がバレンタインの話をしていた。ここで買うか、ロイズで買うかで迷っているらしい。

 バレンタイン。ああ、なんて悪しき行事だ。


 やっぱり僕帰りたいんだけど。


 久方が言った。


 なんだよ、彼氏が出てきたくらいでひるむなって。

 ほら、店開いたぞ。せっかくの機会なんだから若者とキャーキャー言って盛り上がれって。この店のチョコは芸術品なんだって。


 列が動き出し、結城が久方の背中を押した。久方は仕方なく進んだ。とはいえ、店内は狭いので、少しづつしか入れない。列はゆっくりと進んだ。ショーウィンドウの前までやっと来た時、前に並んでいた女性達が歓声を上げた。

 チョコレートでできた、バラの花束が飾ってあった。

 本物そっくりだった。

 久方もこれには驚いて、思わずじっと見つめてしまった。これは本当に食べ物なのだろうか。このまま花瓶に入れて飾ったら、誰もチョコレートだとは気づかないのでは?


 すっげえな。買っちゃう?


 結城がふざけた笑みを浮かべた。

 

 売り物じゃないんじゃない?でもすごいね。


 見とれている間に店内に入る順番が来た。後から後から人が来るので、ゆっくり見ることはできなかった。店内にはやはりバラの形をした、少し小さめのチョコレートが並んでいた。バラだけではなく、すみれの花、タンポポなど、いろいろな形の花があった。精巧な車やバイオリンもあり、全てがチョコレートでできていた。バイオリンの細い弦までチョコレートでできていて、久方は思わずじっと見たまま止まってしまい、後ろから来た客に押されて、慌てて進んだ。

 久方はとりあえず、クローバーと小さなバラを手に取った。


 これ、あなたが作ってるんですか?


 久方は店の女性に尋ねた。


 私じゃないです。奥に職人がいるんです。人見知りするんで出てこないんですけど。


 という答えだった。会ってみたいと久方は思った。この花達をどうやって形作るのか見てみたい。

 店を出ると、早紀達が近づいてきていた。


 中は花だらけだよ。


 久方は早紀にそう言って笑いかけた。


 すごいですよね!これ!


 早紀はバラの花束を手で示して叫んだ。あかねと修平も食い入るように窓の中を見ていた。カフェの孫の姿がない。どこまで宣伝しに行ってるのだろう?


 こういうの見てると料理魂がうずくわ。


 平岸の奥さんが言った。自分で同じものを作ろうとしかねないなと久方は思った。


 おっ、見ろ。

 さっきのおばさん達が言ってた先生が来たみたいだぞ。


 結城が久方の肩をたたき、カフェの前にいる女性達を指さした。若いスーツ姿の先生がいて、さっきまで悪口を言っていたおばさん達が、手のひらを返したように愛想笑いを振りまいていた。しかも、みんなでカフェに入っていった。


 俺ちょっと行ってくるわ。


 結城がカフェに向かおうとした。


 やめなよ。アホらしい。


 久方は言ったが結城は、


 何言ってんだ。美女は見つけたら即チェックしておかないと、次会う機会はないんだぞ。


 と偉そうに言って、カフェにスキップしながら行ってしまった。早紀がその様子を後ろからずっと見ていた。

 久方は平岸家の人達が出てくるまで、近くで待っていた。平岸の奥さんが大きな紙袋を抱えて出てきた。高谷修平も小さなバッグを持っていたが、あかねと早紀は手ぶらだった。


 どうだった?面白かったでしょ──


 所長、明日から研究所のキッチン借りてもいいですか?


 久方の声は早紀の強い声に遮られた。


 え?いいけど、何するの?


 チョコレートを作るんです!


 早紀が叫んだ。まわりの人がこちらを見て笑っていた。あかねもニヤニヤしていた。その顔を見て、久方は嫌な予感がした。


 バレンタイン近いじゃないですか。

 やっぱり手作りしないと!

 大丈夫です!所長の分も作りますから!


 失敗した時のために普通の買っといたほうがウゲホッ!


 口を挟んだ修平は早紀のひじ打ちを食らった。それから、平岸家の人々は車に乗って帰っていった。


 サキ君、どうしたんだろう?

 彼氏に何か言われたのかな?


 久方は心配しつつ、スマホの『時間かかりそうだから一人で歩いて帰って』という文字を見て、ため息をつきながら歩き出した。本当はカフェで休みたかったのだが、今日は混んでいて入れなさそうだ。





 バカじゃね〜のォ!?


 結城が帰ってきた時、キッチンを貸す話をしたら、また叫ばれた。


 なんでそこでOKするんだよ。

 平岸家にでかいキッチンがあるだろ?

 なんでここで作るんだよ。うるさくてたまんないぞ。

 旨くもなさそうだし。

 絶対佐加も来るぞそれ。


 恐れていることを口に出され、久方はビクッと身を震わせた。


 でも、なんとなく断われる雰囲気じゃなかったし。たぶんサキ君、お前にチョコ渡したいんじゃないのかな。


 彼氏いるのに俺に渡してどうすんだよ。

 俺は義理は受け付けない男だぞ。

 本命を大量にもらうのがいいんだぞ。

 わからねえかな。

 

 わかりたくない。絶対わかりたくない。


 まあ、冗談はそれくらいにして。


 冗談!?今の冗談なの!?


 新橋、ちょっとおかしくないか?今日も彼氏と一緒じゃなかっただろ。


 カフェの宣伝で忙しかったからじゃない?


 やっぱりあいつ、本当に好きで付き合ってるんじゃないな。案外バレンタインで破局するんじゃねえの?


 結城はせせら笑いながら


 それより、美人教師のLINEをゲットしたから、

 俺明日会ってくるわ。


 と言った。


 えっ?


 今度お前に紹介してやるよ。


 結城は手を振りながら2階へ行き、よりによってまた『愛の夢』を弾き始めた。

 なんて嫌味なんだ!しかも会ってすぐLINE交換?こんな軽い奴と?最近の女性は何を考えているんだ?

 久方はソファーに倒れた。人ごみの中に長くいたので疲れ果てていた。モテ男の行動にも呆れたが、早紀がチョコレートを作ろうとしているのも気になる。彼氏のためか、結城のためか。


 どうでもいい。とにかく、僕じゃない。


 久方はいじけていた。かま猫がよってきて顔をのぞいても反応しなかった。


 楽しい生活してんなおい。


 橋本の声がした。


 何も楽しくないよ。


 久方はつぶやいた。それから、


 バラのチョコはあさみさんに持っていくといいよ。


 と言って、眠り込んでしまった。


 俺に気を遣うなよ。


 橋本が言った。懸念を含んだ声で。


 いい加減、自分の人生を考えてくれや。


 久方は熟睡していて、その声を聞いていなかった。




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