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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年1月

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692/1131

2017.1.26 1980年

 年初の晴れた日、新道は橋本古書店の雪かきを手伝っていた。橋本本人もいた。時々、何を思ったのか、橋本が新道に雪を投げつけ、新道はそのたびに『うわっ!何すんの?』と言いながら逃げていた。

「てめーは図体でかいくせに動きが遅いから腹立つんだよ!」

「そんなこと言ったって、今は降ってないんだからゆっくりやればいいじゃないか!」

「うるせえ早くやれよ」

 橋本はまた雪玉を投げた。新道の足に当たった。

「お前、人に向かって雪を投げるのはやめろや」

 店主が出てきた。

「目に入ったらどうする」

「入らねえって。こいつ背が高すぎるから」

「だからって雪ぶつけられても困るって」

 新道が言いながら道の雪を雪山に放った。


 ひととおりの作業を終えたあと、2人はストーブの前に座って濡れた服を乾かしていた。炭の燃える匂い。店主は帳簿をつけていたが、客が来ないので店の奥に引っ込んだ。

「なあ」

 橋本が先に口を開いた。

「お前、最近、初島に会ったか?」

「学校には来てないよ」

 新道が言った。新年のあの騒ぎの後、みんなに嘘つきとかいやらしいとか言われたせいか、初島は学校を休みがちになっていた。

「橋本、来たほうがいいよ」

 新道がまた言った。橋本も最近、学校に来ていなかった。

「出席日数だってあるし」

「それはちゃんと計算してるよ」

「初島と一緒に休んでるのはおかしいってみんな言ってる。会ってもいないのに疑われてるよ。ちゃんと学校来て説明しないと」

「俺の説明なんか誰が信じるよ?」

「俺もナホちゃんも菅谷も信じてるよ」

「お前らは別だけど他の奴は信じないんだよ」

「そんなの、話してみなきゃわからないじゃないか」

 新道は熱心にそう言った。橋本はちらっと顔を上げて新道を見た。

 こいつは生まれつき人を疑うということをしない。だから、ありもしないことをすぐに疑う世の中を理解できないのだ。

「話しても無駄な連中がいるんだよ」

 橋本は暗い目でつぶやいてから、急に厳しい顔になり、

「お前それより、『罪と罰』は読んだのか?」

 と言った。

「えっ?あ、あの〜、半分くらい?」

「半分?もう何日借りてんだよ?読むの遅すぎだろ!?」

「だってあれ分厚いし長いじゃないか!」

「いっつも同じ言い訳してんじゃねえって!」

「あんな暗い話読んで何かの役に立つの?」

「てめえは文学の深さがわかってねえんだよ。黙って読め」

「だって学校の勉強もあるじゃないか。時間がないよ」

「さっきからだってだってってお子様かお前は」

「いや、でも──」

「あのな、新道、お前はわかってないよ。世の中の連中がどんなに冷たくてずるいかってことを。世間には怖い連中がたくさんいて、常に人を騙そうとしてるんだ。お前みたいな単純馬鹿は簡単に騙される。騙されないようにするために本を読んで、世の中の狡猾さを知っとけよ」

 橋本が言うと、新道は悲しい顔をして少し黙ってから、

「いつから、そんなに人を疑うようになった?」

 と尋ねた。哀れみが混じった言い方が、橋本を苛立たせた。

「いいからお前もう帰って本読めよ!」

 橋本ががなるように言った。新道は干していた服を手に取り、着込んで外に出ていった。

「お前、友達にはもっと優しく話せ」

 店主が奥から出てきた。

「あんなの友達じゃねえって」

 橋本は言った。

「あんな奴は、俺の友達のはずがないって」

「どうしてお前はそういうことを言うんだ?せっかく懐いてくれてるってのによ」

「うるせえって」

 橋本もコートを着て外に出ようとした。すると、店の戸が開き、初島が入ってきた。

「今、私の話をしてたでしょう」

 初島は言った。目を輝かせながら。

「してねえって」

 橋本は無視して出ていこうとした。

「いいえ、してたわ、してたのよ」

 初島は歌うように言った。

「あのなあ」

 橋本はたまりかねて言った。

「お前が変な噂話をするせいで、新道が困ってるんだよ。なんであんな話を言いふらしたんだ?俺だって新年からこんな話したくねえけどよ。学校でもみんなに責められたんだろ?お前」

 初島は身に覚えがないという顔できょとんとしていたが、そのうち、あの不気味な笑いを浮かべてこう言った。ただし、口元は奇妙に歪んでいた。

「へえ〜。自分は何言われても平気なくせに、新道が言われるのは嫌なんだ?へえ〜。ほんとに仲良しなのねえ」

 橋本は無視して店を出た。すると、初島は後ろからついてきた。

「みんな、私とあんたが付き合ってると思ってるのよ。もう()()()だと思ってんのよ。そのことはどうでもいいの?」

「なあ」

 橋本は振り返った。傷ついた表情をして。

「お前はなんで、そんな人間になったんだ?」

 初島は笑うのをやめた。

「なんで、そんな嘘ばかりついてる?生まれつきそういう奴なのかと思ってたけど、もしかしたら何か──」

「バカじゃない!?」

 初島が大声をあげた。あまりにもヒステリックで大きな声だったので、橋本は軽く引いた。道を歩いていた人がちらっとこっちを見て、足早に去っていった。

「自分がいじめられてひねくれてるからってそれを私に当てはめないでよね!私は生まれた時から悪魔なのよ。前から言ってるでしょ?みんなそう言ってるって!何よ、どうせ新道の影響でしょ?急にいい子になっちゃって!バカみたい!あんただって世の中には認められないはぐれ者のくせに!その髪の色は何よ?まともじゃないわ。頭がおかしいに決まってるのよ!だからお母さんも出ていくし、まわりの大人もみんなあんたを嫌って──」

 橋本は走って逃げた。これ以上事実を突きつけられたくない。

 でもわかる。

 初島が言っていることは本当だ。

 帽子で厳重に髪の色を隠していても、わかる。

 人の目が疑いに満ちていることは。







 廃ビルのまわりは、誰かが除雪したようだ。入り口のまわりはきれいに片付いていた。冬に来るには寒すぎる場所だ。でも、他に行くところがない。街中をうろうろしていると人に怪しまれる。

 橋本は中に入り──新道を発見した。

 崩れかけたロビーの真ん中に、石像のような長身が、立っていた。

「ここにいたら、来るような気がしたんだ」

 新道は言った。

「一人になりたかったのに何だよ」

 橋本は本音をつぶやいた。でも、どこかで、こうなるような気がしていた。

「初島が来ただろ。何か言ってた?」

「何も。俺の人生をせせら笑ってただけだ」

「なんで初島は嘘ばかりつくんだろう?」

 新道が尋ねた。

「そういう奴なんだと思ってたけどな」

 橋本は床に目を伏せた。新しい亀裂を見つけた。

「もしかしたら、家で何か起きてんのかもな」

「家?初島医院で?」

「ああ」

「先生はいい人だよ。病院の人だって──」

「だからお前はもう少し人を疑えよ」

 橋本は真面目に、新道の目を見ながら言った。

「いい人そうに見えてもな、裏で何してっかわかったもんじゃない。そうだな、初島に聞いても教えてくれそうにないし、どうすっかな」

「俺、初島先生に聞いてみるよ!」

 新道が言った。橋本はそれを聞いて鼻で笑った。

「聞きたきゃ好きにしろよ。でも、お前には何も話さねえよ」

「なんで?」

「お前がいい人すぎるからだよ」

「どういう意味」

「言葉どおりの意味だよ」

 橋本は笑ってから、

「ここ寒すぎっから帰って何かあったかいもん飲もう。それより、最近根岸を見ないけど、どうしてる?」

 と言った。根岸菜穂は初島と仲が良い。なにか知っているかもしれないと思った。

「ご両親にふらふら歩き回るなって注意されて、学校以外の外出ができないんだ」

 新道は寂しそうに言った。

「お嬢様だなあ」

 橋本はつぶやきながら歩き出した。新道も後ろからついてきた。





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