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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年1月

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2017.1.23 月曜日 研究所


 起きろオォォォォォォー!!!


 朝6時27分。いくらピアノを弾いても起きてこない久方に、忍耐力のほとんどない助手の怒りが爆発した。


 起きんキャアァァァァァァァ!!!


 結城は奇声を上げながら、久方をシーツごと床に引きずり降ろし、布団と毛布を思い切り引っ張って引き剥がした。しかし、パジャマ姿の久方は床に転がって丸まったまま、動こうとしなかった。


 何だお前は。

 カブトムシの幼虫かゴルァ!

 

 結城は容赦なく久方の肩をつかんでゆすった。


 起きろ!朝飯はどうすんだ!?あぁ!?


 勝手に食べててよもう。


 久方はうめきながら毛布を取り返そうとしたが、結城に廊下に投げられてしまった。


 お願いだから放っといて。


 誰がお前のお願いなんか聞くか!

 いいから起きて着替えろ!


 久方はしぶしぶ起き上がって着替えた。一階に行くと、結城がトーストを焼いていたが、やはりひどく焦げていた。全く食べる気がしない。


 元気なくても飯は食っとけよ。


 半分崩壊したオムレツを出しながら結城が言った。


 そういや、新橋は今日から学校だったな。


 彼氏と一緒にね。


 久方が暗い目でつぶやいた。


 だ〜か〜ら〜言ってるだろ、

 若者には若者の世界があるんだって。

 いつかこうなるだろうとは思ってたよ。

 お前も悪いんだぞ。

 ちゃんと気持ちを伝えないからこうなるんだ。

 まあ、伝えたところでドン引きされてふられるだけかもしんないけど。


 それ、どういう意味?


 どういう意味って何だよ?


 結城は久方を見て顔をしかめた。


 だって、その言い方だと、僕が──。


 言いかけて久方は止まった。


 何?



 もしかして、僕、サキ君のこと好きだったの?



 久方が呆然とつぶやいた。

 まるで何か真理を発見したかのように。


 ぐっ……!貴様ッ……!


 結城は、手元の皿を投げつけたい衝動を抑えるため、拳を固く握りしめて体を震わせ、


 今頃、気づいて、どうするッ!?


 無理やり絞ったような声を発した。


 だって、だって、

 サキ君と僕は同じ人間みたいなものだし。


 久方は目に見えて動揺していた。目線があちこちに泳いでいた。


 まさかこんなことになるとは思ってなくて、

 でもその、何ていうか。


 何ていうかもクソもあるかァ!!


 結城が握りこぶしでテーブルをガン!と叩いた。久方は驚いて止まった。


 この2年ずっと『サキ君が〜サキ君が〜』というセリフを聞かされまくった俺から見れば答えは明らかなんだよ!

 お前は初めて会った時から、

 その『サキ君』に夢中なんだって!

 あー!だから人生経験のない奴は嫌なんだよ!

 お前本当に大学に行ったのか?

 ドイツで何をしてたんだ?

 学問以前の問題だぞこんなのは。

 こういうことは普通小学校でだな──


 結城が長大な説教を続けている間、久方はやはり混乱していた。今までのことを一つ一つ思い出して、そうかもしれない、いや、そうじゃない、という言葉を、頭の中で繰り返していた。


 僕、どうしたらいいの?


 久方がつぶやき、結城の目が光った。


 大丈夫だ。まだ本格的に付き合ってる訳じゃない。

 どーせあの新橋のことだから、

『イケメンが私のこと好きだって言ってるし、もったいないから付き合ってみるか、私は好きじゃないけど』

 ってとこだろ?男性経験のない女がやりがちな間違いなんだって。『好きじゃないけど条件がいいからとりまキープ』みたいなのは。

 そういうのは長続きしないんだよ。

 お前、巻き返すなら今のうちだぞ?


 巻き返す!?無理だって!


 久方が泣きそうな声で言った。すると、結城は怖い顔で久方の顔をのぞきこみ、こう言った。


 何を弱気なことを言ってるんだ。

 いいか、お前はもういい歳の大人だぞ。

 大人の男にしかできないことがいろいろあるんだよ。

 頭はこういう所で使えって。

 博物図鑑ばっか眺めてる場合じゃねえんだって。


 無理だってば!


 久方は叫んだ。


 どうせ僕は見た目もダメだし、ウディ・アレンの映画を見ながら一人で孤独に年老いていくんだよ。


 いじけて映画見てる場合じゃねえって。

 いや待てよ。それだ。

 お前の場合取り柄が少ないからな。映画でも音楽でも使えるものは使ったほうがいい。新橋は文化が好きだろ?金のない学生には手の届かないものがあるだろ?


 今の子は何でもスマホで見ちゃうと思うけど。

 サキ君お金は持ってるし。


 いちいちネガティブなこと言ってんじゃねえよ。

 とにかく行動しろ。新橋をここに引きつけろ。一緒に行動しろ。今までやってただろそうやって。


 さんざん言ってから、結城は2階へ行き、いやみったらしく『愛の夢』を弾き始めた。

 久方はソファーに倒れていた。猫達がたまに上に乗ってきた。このままクッションになって人間のことは忘れてしまいたいと思った。しかし、スマホが鳴り、

『今日はカフェにみんなで集まるので行けません』

 という無情なお知らせを表示した。久方はソファーの下に転げ落ちた。


 だめだ、相手はカフェ付きのイケメンだ。

 強すぎる。


 しばらく床に横たわっていじけた後、かま猫が『ごはんくれ』という目で自分をのぞきこんでいることに気づき、よろよろとキッチンに行ってキャットフードを取ってきた。ごはんにがっつく二匹を見つめながら、『私は猫になりたい』を1000回ほどリピートした後、パソコンに向かった。

 久方は最近Facebookを再開した。何年も放置アカウントだったのだが、大学の同期に『せっかく北海道に住んでいるのに、記事を書かないのはもったいない』と言われた。早紀に関する愚痴はもちろん書けないので、住んでいる場所の自然の美しさについて書いた。他の人がやっているみたいに、『SNSに載せるためだけに』観光地に行って写真を撮るようなことは、久方はする気になれなかった。

 ここの美しさだけで、自分には十分だ。

 誰かから友達申請が来ていた。イタズラかと思ったら、高校の同級生で、駒と仲良くしていた横川だった。一緒に古いCDをあさった記憶がある。

 横川は今、大阪で働いているようだ。メッセンジャーを使って連絡してみると、『おお!久しぶり!』とすぐ返事が来た。営業をしていて、今日は車で外回りだという。


 懐かしいな。

 北海道にいるのは駒から聞いとったけど。


 駒とはずっと仲良くしていたのか。久方はそれを初めて知って複雑な気分になった。


 ところで、幽霊、まだおる?


 最近仲良くなったよ。


 あっさり返すな。今俺、おそるおそる聞いたんや。


 文字だとそれ伝わらないね。

 とにかく今は普通に話すんだよ。


 あの幽霊と?


 そう、幽霊と。


 お前変わったなあ。


 横川にとっても、久方は『幽霊の話をすると怯えて引っ込む人』だったようだ。

 それから、高校時代のバカ話で盛り上がっていたが、


 やばい、仕事中なの忘れてた。またな。


 で会話は終わった。

 

 そうだ、世の中は仕事中だったんだ。


 久方もパソコンの仕事をすることにした。今日は少ない。こういう時こそたくさん仕事がほしいものだ。でも

昔の友人と接したことで少しは気が紛れた。思ったよりたくさんのことを覚えていた。てっきり、学生時代はほとんど乗っ取られていたものと思っていたが、今振り返ると、自分自身だった時間もかなりあったのだ。

 自分にもあったのだ、若い頃というものが。


 やっぱり早紀達の邪魔はできない。


 昼、ぼんやりとコーヒーを飲みながら、久方は考えていた。


 今、彼女達は、若くて、

 二度と来ない大切な時を生きてる。

 ただでさえ幽霊問題で苦しめてしまっているのに、

 これ以上重荷になりたくない。


 久方は、自分の気持ちを隠す決心をした。

 今までどおりに接していればいい。

 気軽に話せる友達として。

 それが一番いい。それが──



 ちわ〜っス。


 保坂が現れた。久方は驚いてマグカップを落としそうになった。

 

 あれ?玄関に鍵かかってなかった?


 結城さんに合鍵もらったんで。


 あいつ、人の家の鍵を勝手に配ってるのか。

 久方は腹が立ってきた。


 今日はみんなでカフェに集まるんじゃなかったの?


 それは女子っす。

 あいつら恋バナに食いつくハイエナですから。

 あ、その話聞いてるってことはもう知ってるっすね?


 保坂がにやけた。嫌な笑い方だった。


 サキ君とカフェの孫のことでしょ?本人から聞いたよ。


 久方は努めて普通に話そうとしたが、心臓がバクバク鳴り出した。


 そうなんすよ。でも前から()()()()ピッタリだなってみんな言ってたんすよね。美男美女で。

 あ、ピアノ借りたいんすけど、結城さんいます?


 保坂は2階に上がっていった。久方はまた『私は猫になりたい』を頭の中で唱えだした。

 これからみんなが、あの2人の話をするだろう。


 耐えられるだろうか。

 いや、耐えなきゃだめだ。

 僕は大人なんだから。

 大人なんだから──!




 


 

 

 

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