2017.1.19 1980年
「じゃあ、やっぱり何も起きてないんだな?」
橋本古書店。新道が橋本と話していた。
「当たり前だろ」
橋本は本をめくりながら言った。
「前から言ってるだろ、あいつは嘘つきだって」
「じゃあどうしてみんなにそう言わない?」
「言ったよ俺は。でもあいつら信じてなかったろ?」
新道はクラスのみんなの様子を思い出して口ごもった。
「だろ?」
橋本は本を閉じて新道を見上げた。
「みんな本当に何が起きてるかなんて気にしてねえよ。とにかく俺の悪口を言いたいだけだ。勝手にでっちあげられた話の方が面白ければ、そっちを信じるんだよ」
橋本の目つきには諦めが満ちていた。
「だけど、だけど」
新道は言葉に困りながらも強く言った。
「なんでそんな嘘つくんだ?初島は」
「あいつは昔からそうなんだ」
橋本は新道から目をそらし、本を棚に戻し、別なものを探し始めた。
「昔から?」
「小学生の頃から嘘ばっかりだ。あいつはな、他人にかまってほしいだけなんだよ。それで人の気を引くために作り話をするんだよ。『私、本当はお父さんの子供じゃないの』みたいな話を」
新道はしばらく考えてから、
「それ、本当なんじゃない?」
と言った。橋本が振り返って新道を見た。
「本当なんじゃない?確かに、初島と初島先生には、全く似た所がない」
「あのなあ」
橋本はうんざりした様子で言った。
「お前は本ッ当に騙されやすいよな。何でもかんでも言うことを真に受けるだろ。やめとけ。人の言うことなんて半分は嘘だぞ」
「それ、どうやって見分ける?」
「頭のいいやつは聞いた瞬間にわかるんだよ」
「えぇ〜!?」
「あ、シンちゃんだ。ここにいたんだ」
根岸菜穂が現れた。新道は笑い、橋本は気まずい顔をして奥に引っ込んだ。新道は、いつもどおりかわいらしく微笑む菜穂を見て、この子の言うことも半分嘘だったらどうしようと思っていた。
「菅谷くんがまた一緒に勉強会しようって」
菜穂は楽しそうだった。
「菅谷ん家?ナホちゃん、あの家苦手じゃなかった?」
「菅谷くん家じゃなくて、シンちゃんのアパートでやろうって」
「うちで?」
「お母さんのいる所で勉強したくないんだって」
「あのお母さんいい人なのに、なんで菅谷は嫌がるんだろうな」
「年頃の男の子はみんなそんなものよ」
菜穂が当たり前のように言った。新道は悲しくなってきた。自分の母親はまだ見つかっていない。もしいたら、自分も同じように母親を嫌がるだろうか、いや、そんなことは想像もできない。
「シンちゃん」
菜穂がやや真面目な顔になって新道を見上げた。
「何?」
「みどりちゃんは、悪い子じゃないのよ」
新道は菜穂の目を真っ直ぐ見下ろした。そこに嘘は感じられなかった。
「ただね、時々変になるの。理由はあるのよ?」
「どんな理由?」
「いろいろ辛いことがあるのよ」
「辛いこと」
「でもそれは尋ねちゃダメなのよ」
「なんで?」
「とにかくダメなの、わかった?」
菜穂は厳しい言い方をした。新道は納得できなかったが、菜穂が嫌がりそうだと思ったので、
「うん、わかった」
と答えた。しかし気になった。
ナホちゃんは、何か知っている。
でもなぜ教えてくれないのだろう?やっぱり自分が貧乏なアパート暮らしなことと関係があるのか、それとも菜穂も半分嘘つきなのか、いや、そうは思いたくない。
「菅谷くんの家政婦さんが、スコーンを作ってくれるって」
菜穂がそう言ったとたん、新道の目はわかりやすく輝いた。それから2人で楽しく本や学校の話をして、いつの間にか悪い噂のことは忘れてしまった。




