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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年1月

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672/1131

2017.1.11 1998年

「まさかあなたがこんなことを起こすとは、信じられません」

 新道先生が言った。彼は札幌市内の古い喫茶店にいて、目の前には今学校で受け持っているクラスの生徒、神崎奈々子が、暗い顔でうつむいていた。

 新道は夜中に一本の電話で起こされた。『おたくの生徒が子供を誘拐しようとして警察に捕まった。親の連絡先を聞いても教えてくれない。学校の先生なら呼んでもいいと言われて今かけている』と。

 新道は慌てて着替え、タクシーに飛び乗った。もう地下鉄が動いている時間ではなかった。保護者の代理として奈々子を警察から連れ出し、話を聞こうと、奇跡的に開いている『夜向きではない』店を見つけて入った。奈々子は、家にはどうしても帰りたくないと言い張ったが、理由は教えてくれなかった。

「何があったんですか?」

 新道先生が尋ねたが、奈々子は下を向いたまま答えない。

 彼女は受け持っている生徒の中でもまじめな方であり、今まで問題はおろか、遅刻欠席すら全くなかった。他の先生方からも、提出物はきちんと出し、礼儀正しく、当てられてもきちんと答える、予習復習もきちんとしているのだろうという話しか聞いたことがなかった。

 それが、夜中にすすきのをうろついて、よその子をさらって逃げようとした──普段の神崎奈々子とその行動は、新道の頭の中ではどうにも結びつかなかった。

「あのう」

 奈々子が弱い声を発した。

「私、自分が間違っているとは、どうしても思えないんですけど」

「何が起きたか、最初から説明してもらえませんか」

 新道は言った。店主がちらりとこちらを見ているのを気にしながら。こんな時間に若い女の子と一緒にいたら援助交際や売春を疑われても仕方がない(それが実は、まともな大人の多くが若者と付き合いたがらなくなった理由なのだが)。

「橋本古書店です」

 奈々子が言った。

「古書店?あの店が何か関係あるんですか?」

「先生に言っても信じないと思うけど」

「話してみてください。信じるも信じないも、内容を聞かないと判断できません」

 奈々子は少し間を置いてから、

「あの店に、赤毛の男の子の写真がありますよね?」

 と言った。


 橋本だ。


 新道は一瞬、昔のことを思い出してめまいを覚えた。

 なぜ?なぜ今あいつの話が出てくるんだ?

「あの子が創くんに取りついてるって言ったら、先生、信じます?」

 それから奈々子は、今まで起きたことを話した。家族がヒステリーですぐ怒るので、家にいるのが嫌でしょっちゅう狸小路に遊びに来ていること、援交オヤジに何度も声をかけられて辟易したこと。創成川で会った『創くん』のこと。その子に幽霊がとりついていて、それがあの古書店の亡くなった息子であること。幽霊に聞いたことを調べたら、全て昔本当に起きたことだったこと。

 どれも信じがたい話だったが、新道が一番心をとらわれたのは、

『初島』

 という名前だった。

「その母親の名前は、初島と言うんですね?」

「はい」

「間違いないですか?」

「橋本に聞いた話ではそういう名前でしたけど」

「なんということだ」

「あの、先生、前から聞こうと思ってたんですけど、あの赤毛の子知ってます?」

「橋本旭は私の友人でした」

「え?」

「親友と言ってもいい。これはいかん。これはまずい」

 新道は立ち上がり、しばしそのあたりをうろうろしたあと、また戻ってきて座り、すっかり冷めたコーヒーを一気に飲んだ。

「あのう、先生、つまり、橋本のことよく知ってるってこと?」

「ええ、そうです。でも、いけません。神崎さん。あなたはこの問題にこれ以上立ち入るべきではありません。危険です。あとは私がやります」

「先生が?」

「そうです。これは私が対処しなければいけないことです。初島の家の場所を教えていただけますか?」

「えっ?まさか行く気ですか?」

「ええ。しかしこんな騒ぎになったのでは、もう逃げてしまっているかもしれない」

「あの、先生」

「心配いりません。これは()()問題です。いいですか、神崎さん。あなたはもうすぐ大学受験なんです。自分の人生に集中しなくてはだめです。夜中にこんな所にいる場合ではないはずです」

「あの、何かあったんですか、昔」

「何がですか?」

 新道は見るからに焦っていて、奈々子はそれを変だと思った。この先生がこんなに動揺するなんておかしい。

「橋本、ビルから落ちて死んだんですよね?」

「本人がそう言ったんですか?」

「はい」

「そうですか」

「何があったんですか?その時に」

「私もその場にいなかったので、正確には知りません」

 新道は腕時計を見て顔をしかめた。

「タクシーで家まで送ります。帰りたくないのはわかりますが、今日はお家に戻ったほうがいい」

「わかりました。どうせ私が帰っても誰も気づかないし」

 奈々子はふてくされたように言った。これはご家庭についても親と話し合う必要があるということだなと新道は思った。しかし、神崎さんのこの態度では、三者面談は難しいだろう。

 いや、それよりも。

 新道は奈々子を自宅のビル前で降ろし、タクシーの運転手に、

「すすきのに戻ってください」

 と言った。


 初島を探し出さなくては。


 今、新道はそれしか考えられなくなっていた。妻に電話することすら忘れていた。あの日から18年、姿を消していた初島がやっと出てきた。しかもこんな残酷な形で──


 子供に幽霊を取りつかせて、

 身代わりにしようとしている。


 考えただけでおぞましい。

 窓から札幌のまぶしいネオンを見ながら、新道はどうするべきか必死で考えていた。

 止めなければいけない。

 それだけはわかる。

 しかし、その方法がわからなかった。









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