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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年1月

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2017.1.10 火曜日 ヨギナミ 研究所


 たぶん駒さんは橋本のこと聞きたがるから。


 早紀がヨギナミに言った。研究所に続く林の道で。


 そのすきに私は結城さんと話をする。


 所長さんは?


 所長は駒さんから離れたがらないから。


 早紀は言った。


 結城さんが合奏で駒さんを独占しようとするから、所長が駒さんと話せないんだよね。だから私が助けてあげることにした。


 自分が結城さんと話したいだけではないのか、などとは、もちろん聞いてはいけない。ヨギナミは黙ってついていくことにした。本当は今日は火曜日、バイトが休みの貴重な日で、勉強に集中したかったのだが、しかたがない。

 所長の友人が来ているせいか、ここ数日はおっさんも現れないので、母の機嫌も悪い。出来るだけ近づきたくない。今日は平岸ママと佐加の母親が病院に行ってくれていた。あかねはさんざんBLネタに使うくせに、当の本人には会いたくないのか、一緒には来なかった。もしかしたら自分と一緒なのが嫌なのかもしれないとヨギナミは思っていた。

 所長の友人は、予想していたのとはだいぶ違う人だった。なんとなく、所長と同じような小柄な男の子を想像していたら、がっちりした体格の普通の男の人だった。腕の筋肉がレストランのシェフに似ていた。シェフはジムに通っていると言っていたから、たぶんこの人もそうなのかなと思った。


 あ、女の子増えた!

 なんやお前、2人もキープしてたんか。


 犬と一緒に陽気に笑う男に、所長が顔をしかめた。男は駒と名乗り、自分はプロのチェリストだと言った。近くの結城が『本物の、交響楽団の人』と笑顔で付け加えた。この人がこんなに愛想がいいの変だなとヨギナミは思ったが、2人がすぐに2階に行って合奏を始めたので理由がわかった。

 ヨギナミは天井から降り注ぐ音の中で困っていた。早紀は駒と話せと言っていたのに、本人が結城と2人でいなくなってしまった。早紀を見ると、気にせずに、いつの間にか用意されたコーヒーを飲み、自分の家のようにくつろいでいた。


 ヨギナミ、やっぱり橋本と話したかった?


 所長がまた前と同じセリフを言った。


 いえ、今おっさんってどうなってるんですか?


 僕の後ろでみんなを見てる。何でも見てるよ。


 所長が言った。早紀が嫌そうな顔をした。ヨギナミは所長の後ろをじっと見てみたが、そこには何も見えなかった。

 天井からはコンサートのように(ヨギナミは行ったことがないので想像するしかなかったが)すばらしい音楽が聞こえてきた。


 昼に保坂君も来るけど、大丈夫?


 久方がヨギナミに尋ねた。ヨギナミは大丈夫ですと答えた。冬休みが始まってから、保坂とは連絡を取っていなかった。


 シューマンの『幻想小曲集』だね。


 所長が天井を見上げながら言った。ヨギナミはその様子を見て、やっぱり自分が知っている人とは違うと思った。所長を見るとどうしても比べてしまう。


 駒さん、本当は所長に会いに来てるはずですよね?

 結城さんに取られてていいんですか?


 早紀が言った。所長は笑いながら床を見た。早紀はしばらく結城という人物の普段の行動について文句を言っていた。いつもピアノを弾くかテレビでアイドルを見ていて(早紀はこのアイドルも気に入らないらしい)役に立つことは何もしていないではないかと。


 チャーハン!チャーハン作りますよチャーハン!!


 10時頃に、保坂が大声を上げながら飛び込んできた。手には、米と卵とネギと調味料が入った袋を持っていた。


 まだ昼飯作ってないすよね?今日は俺が作りますよ!

 あれ?ヨギナミいたの?ネギ切るの手伝ってくれない?


 ヨギナミはいいよと言った。所長は『わざわざ材料買ってこなくても、先に言ってくれれば用意したのに』とつぶやいていた。おそらく、保坂が気を使っているのが伝わってしまったのだろう。


 いや俺ここには世話になりすぎてっからさ。

 何かしないと。


 保坂が怪しげなうまみ調味料を開けながら言った。人に頼るのは本当は好きではないのだろう。自分と同じだ。本当は他人に頼りたくないが、他にどうしようもないのでやむを得ない。自分ももう少し平岸ママを手伝ったほうがいいだろうか。ヨギナミは考え込んだ。


 サキは全然そういうこと考えてなさそうだよね。


 あいつここ自分の家だと思ってんじゃね?

『自分も何かしなきゃいけない』とか、

 夢にも思ってないべや。


 保坂は笑いながら調味料を大量に出した。どう見ても入れすぎだった。

 できあがった『極上!さらに極チャーハン』は、やっぱり味が濃すぎた。でも、所長や駒はうまいと言って食べていた。早紀は何も言わなかったが、やたらに水を飲んでいたからやはり濃いと思ったのだろう。平岸ママはこういう売っている調味料は絶対に使わないので、平岸家にいると薄味に慣れてしまう。


 そうだ。ナミちゃんだっけ。

 久方のもう一人と仲いいんやって?


 駒がヨギナミに話しかけた。


 どこでどんな出会い方したん?

 初めは絶対久方だと思ったよな?


 はい。久方さんが酔っ払ってるだけだと思ってました。


 ヨギナミは正直に答えた。久方が少し首を傾けてうすく笑った。笑い方もおっさんと全然違うなと思った。


 はじめて会ったのは、えっと、おととし、じゃないか、その一つ前のクリスマスです。

 私、いろいろあって家にいたくなかったので、松井カフェに行ったんです。そしたら、久方さんと松井マスターがいて、何か話してました。


 それは僕じゃなくて橋本だよね。


 久方は言った。


 そうですね。でもその時はまだ久方さんだと思ってました。その時からおじさんみたいな口調で、クリスマスなのに家に帰らねえのかって聞かれました。私すごくイライラしてたので、母の悪口とかいろいろぶちまけちゃったんですよね。そしたら、『俺の親もひどさでは大して変わらない』って言って、出ていったお母さんの話を聞きました。


 あ、それ俺聞いたことあると思うな。

 もう再婚して子供もいたって話やない?


 駒が言ったので、久方が驚いて友を見た。


 僕聞いたことないよそれ。


 だってお前幽霊の話聞きたがらなかったやろ昔は。

 話そうとしたら走って逃げたやろ。

 あ、ごめん、話し中やった。ナミちゃん、続けて。


 詳しく覚えてるわけじゃないんですけど、父親に来た手紙を見て、出ていったお母さんが別な町に住んでいることがわかって、おっさんは会いに行こうとしたんですけど、ほら、おっさん、生まれつき髪が赤いって言ってたじゃないですか。


 駅員にからまれて警察呼ばれてモメた話やろ。


 駒が言った。ヨギナミ以外の全員が驚いた。


 そうなんです。昔は髪の色が黒くないと不良扱いになってて、何もしなくてもすごく誤解されたらしいんです。おっさんは、髪の色は生まれつきで、自分は母親に会いに行きたいだけだって必死で説明して、何本か遅れた電車にやっと乗ったんです。だけど、


 お母さん、もうほかの男と結婚してたんだ。


 早紀が言った。いつの間にかノートを取り出して何か書いていた。


 小さな子供を抱いて歩いてるのを見て、声をかけられずに帰ったそうです。帰りの電車でも変な人にからまれてケンカして、また警察が来て、やっと帰ったら父親に『こんな遅くまでどこをほっつき歩いてたんだ!?』と怒鳴られて大ゲンカしたって。


 ひでえ、まわりの大人がひでえ。


 保坂が言った。


 そんな話初めて聞いた。


 所長がつぶやいた。


 ていうか、初対面の女の子にする話じゃないよね。


 結城が言った。


 いえ、私が自分の母親に腹を立てていたので、話合わせてくれただけだと思います。それから2人で親の悪口言いまくりです。


 クリスマスに?


 早紀が尋ねた。


 そう。クリスマスに。


 ヨギナミはその日を思い出して笑っていた。ヨギナミの人生の中では、あの日のことはわりと楽しい方に分類される思い出になっていたから。

 

 それを久方本人の話だと思ってたんやな、

 ナミちゃんは。


 駒が言った。


 そうですね。おっさんが別な人だって気づいたのは、屋根の雪降ろししてたときなんです。

 私、雪と一緒に下に落ちちゃって。


 えっ?


 早紀が驚いてペンを置いた。


 おいおい、1人でやっちゃ駄目なんだぞあれは!


 結城が言った。


 毎年それで年寄りが何人も死んでんだぞ?


 おっさんにも同じこと言われて怒られましたよ。ものすごい大声で怒鳴られたんで、久方さんぽくないって、それでわかったんです。

 それから、雪かきを手伝いに来るようになっちゃったんです。


 それで僕は何もしてないのに疲れてたんだよ。


 久方が不満そうに言った。


 ごめんなさい。


 ヨギナミのせいじゃない。橋本のせい。


 早紀は言いながらノートに何か書いた。何をしているのだろう?日記だろうか。


 昔は髪の色とかバカみたいなことでからんでくるジジイがいっぱいいたんだって。

 おい若者、お前らはまだマシな時代にいるんだぞ。

 わかったか?


 結城が保坂に言い、保坂は、


 それ前も聞いたっす。


 と言って笑った。駒と結城と保坂は食事後に一緒に2階へ行き、また楽器を鳴らし始めた。


 いつまで楽器で遊ぶ気なんですかね。

 駒さん明日には帰っちゃうんですよね?


 早紀が尋ねた。


 大丈夫、今夜一緒に出かけることになってるから。

 結城なしで。


 所長は何かを企んでいるような言い方をした。


 結城さんはどうするんですか?


 あいつは、役場のお姉さんとデート。


 久方が平然と言った。早紀は『えっ?』と言いながらペンを落とした。


 駒が仕組んだの。あいつそういうセッティングするのすごく上手いんだよ。僕も神戸で何度仕組まれたかわからないくらいなんだ。とにかく、僕は駒とはちゃんと話してるよ。でもサキ君──


 どこに行くか知ってますよね?


 早紀の目はギラギラと燃えていた。ああ、これはろくなことにならないとヨギナミは予感した。


 どこって、ヨギナミが働いてるレストランだよ。


 ほら、やっぱり。

 ヨギナミは心の中でため息をついた。早紀はすぐにスマホを手に取り、


 あー平岸パパですか?今夜は平岸ママいないんですよね?レストランに行きましょう。え?ステーキ肉買っちゃったんですか?明日にしましょうよそれは。

 今面白い話を聞いたので、みんなでレストランに行くのはどうかなって──


 早紀が事情を説明する間、ヨギナミは波乱の予感と共に所長を見た。


 いいんだよ。

 たまにはあいつにも痛い目にあってもらわないとね。


 そう言う所長の顔は、ものすごく楽しそうだった。






 


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