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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年1月

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2017.1.1 日曜日 研究所→秋倉神社


 起きて。


 朝5時前、久方創はだれかの声で目覚めた。

 そこには、目を見開き、怪物のように笑うストーカー女、妙子の姿があった。


 ヒッ。


 久方は、ドラマに出てくる怖い女が目の前にいることに気づいて変な声を出した。


 ウフフフフ。おはよう。所長さん。


 それは妙子、いや、早紀の母親の女優:二宮由希だった。今は表情も普通に戻り、穏やかな女性の顔になっていた。一瞬ですごい変わりようだなと久方は思った。


 あけましておめでとうございます。


 今日が元日であることを思い出し、久方は起き上がって言った。


 おめでとう。今年もよろしくね。


 ところでなんでここにいるんですか?サキ君は?


 サキはまだ寝てるんじゃない?きのう夜中まで起きてたみたいだから。

 さて!隣の助手さんをおどかしてくるわね。


 なんだかよくわからないが、由希は楽しそうに部屋を出ていき、その数秒後、


 キャアアアアアアアア!!!


 隣からとんでもない声量の悲鳴が聞こえた。久方は薄く笑いながら着替え、コーヒーを飲むために1階に降りていった。

 由希も1階に降りてきて、久方と一緒にコーヒーを飲んだ。娘はあいかわらずここに遊びに来ているのか、あなたの中の旭ちゃんはどうなっているのかと、いろいろ質問をされた。久方は出来る範囲で誠実に答えた。まだ怖がっているのか、6時を過ぎても結城は降りてこなかった。そのうち由希のスマホが鳴り、


 やだ!サキちゃんが怒ってる!


 という声とともに、朝の突然の訪問は終了した。林の道を走っていく『お母様』を見送ってから、久方は空を見上げた。雲が多い。あまり新年らしくない。でも来てしまったのだ、新しい年が。


 今年もなんとか生き延びられるといいけど。


 久方は思った。毎年同じことを思っていた。次の年まで正気でいられる自信がいつもなかった。

 でも、今年は少し違いそうだ。



 午後1時、やっと起きてきた結城の車で秋倉神社に向かった。早紀達と待ち合わせていた。向こうは大人数だ。早紀の両親に高谷修平の両親、それに平岸家。

 久方は緊張していた。人が多いのが苦手なうえに、早紀の父親がいるからだ。とほうもない変人という評判の。

 車を降りると、駐車場は既に人と車でいっぱいだった。もうここから動きたくないと一瞬思ったが、そういうわけにはいかない。入り口の鳥居に向かって歩いていった。そこにはもう3つの家族が揃っていた。久方が遅れてきたことを詫びると、みんな口々に『私達が早く来ちゃっただけ』と言った。みんなにこやかだったが、なぜか早紀と平岸あかねの2人は機嫌が悪そうだった。早紀にどうしたの?と聞くと、


 さっきからバカがお神札(ふだ)ネタでうるさいんですよ。


 と言って父親の方を見た。久方は早紀の父親を初めて見た。グレーのツイードのスーツを着て、体型はやや太め、目が大きく顔は丸く、表情はいかにもふざけているような様子で、久方の方を好奇心いっぱいの目で見ていた。


 いやぁ、はじめまして!

 サキの父の新橋五月(いつき)です!


 バカ:新橋五月が大声で自己紹介した。まわりの参拝客が何人かこちらを見て『新橋五月?』『え?何!?ロケ!?』とささやき始めた。有名人なのだ。


 前からお会いしたいと思ってたんですよ!娘がすっかりお世話になっているようで。

 いやね、車の中で高谷君のお母さんが『お神札を持って帰りたい』って話をしてましてね。それで思いついたんですよ。ありがたい神社の札を奪い合う男どものコメディが──ウゲホッ!


 もうその話いいから!


 娘が父親の脇腹を殴った。


 所長!バカは放っといて行きましょう!ほら!


 早紀は久方の腕をむりやりつかむと、本殿へ引っ張って行った。後ろから女性3人の笑い声がした。奥さん同士で仲良く話しているらしい。久方は修二と話がしたかったのだが、今は無理そうだ。

 早紀と2人で並んでお参りした。


 バカがこれ以上バカなことしませんように!!


 早紀は大声でそんなことを言った。久方は笑ってしまった。


 サキ君、

 神社にはもう少しいいことを願った方がいいよ。


 これ以上いいことがあるんですか?

 私は昨日からあの酔っぱらいのバカの話を延々と聞かされて、我慢の限界が来てるんですけど。


 まあ、正月なんだから、許してやりなよ。


 所長は何をお願いしたんですか?


 今年も無事に生存できますように、かな。


 え〜!?所長こそもっといいことを願いましょうよ〜!


 いや、これこそ『これ以上いいことがあるんですか』だよ。生きてるだけで大変なんだから。


 久方がそう言うと、早紀は悲しそうな顔をしたが、後ろから高谷修平が、


 あれ?どうしたの?

 結城なら出店んとこにいたよ?


 と話しかけてくると、早紀は走り去ってしまった。


 ああ、新年からピアノ狂いを追っかけるのか。


 久方が悲しんでいると、高谷一家が仲良くお参りを始めた。ユエさんは前とは違う、豪華な花刺繍が全体に入った着物を着て、毛皮を巻いていた。修二は前とほとんど変わらない見た目だった。服装にあまりこだわっていないのだろう。久方はこの一家につられて、お神札とお守りを買った。母親と息子は常になにかしら軽く言い合っていて、父親はそれを眺めながら言葉を発さず、ただニコニコしていた。久方は、こういう家族もいるんだなと思い、神戸に帰らなかった自分に罪悪感を覚えた。あとで電話しなくては。

 人の多さに参ってきたので車に戻ると、入口付近には人手を当てこんで出店やキッチンカーの姿があり、早紀とあかねと結城がココアを飲んだり、フランクフルトを食べたりしていた。


 こんな神聖な場所でそんなジャンクフード……。


 久方はまた悲しくなってきたが、多くの普通の人にとって、元日は『お祭り』なのだと思い直した。

 世の中にはニ種類の人間がいる。

 新年は静かに祝いたい人と、とにかく騒いで飲み食いすりゃいいと思っている人とが。


 帰るぞ。


 久方は結城に言った。特に文句は言われなかった。


 あたしも乗せてくれない?


 平岸あかねが言った。


 パパ達はこれから町の知り合いに修二さん達を紹介して飲み会するつもりなのよ。私そういう田舎ジジイの集まりにはうんざりしてんの。


 私も帰りたいです。

 カッパは置いて行きましょう。


 早紀までそんなことを言い出した。結城は、


 平岸のおっさんに聞いてからにしてくれない?

 俺、女の子誘拐したと思われるの嫌なんだよね。


 と言った。相談の結果、娘を絶対帰らせたくない平岸の奥さんとあかねがケンカを始めてしまい、遅れてきた純也達がなだめているすきに、早紀と修平が一緒に帰ることになった。


 俺本当は行きたいんですよ?親父達の飲み会。おもしろそうじゃないっすか。でももう疲れて来ちゃってさ〜。いや〜、体力ほしいな〜。夜通し飲める奴って絶対体力あり余ってますよ。うらやましいな〜。


 車内で修平がそんなことをベラベラしゃべっている間、早紀は不満そうに下を向いて黙っていた。父親のバカな行動が心配なのか、隣のカッパが気に入らないのか。

 車が研究所に着くと、修平はすぐアパートに帰り、早紀は残ってコーヒーを飲んだ。 新しい年になっちゃいましたねえ、とか、今年の目標決める前にまた一年終わっちゃうかなぁとか、帰ってきたとたん外がきれいに晴れてるの悔しくないですか、とか、とりとめのない話をした。テーブルには、平岸の奥さんが作りすぎたおせちの箱が並んでいた。いつのまに配達されたのか久方はわからず、怖いと思った。


 元日はこうやって、穏やか(?)に終わるはずだった。


 しかし、夜中に何かがガタガタ言う音で、久方は目覚めた。結城も起きてきた。


 泥棒か?


 サキ君か、お母さんがまた来たかな?


 こんな時間に?


 と言いながら1階に降りた。物音はキッチンから聞こえているようだ。

 ライトをつけると、

 そこには、アイスにかぶりついている新橋五月がいた。

 中年のおじさんが、よその家の冷蔵庫を開けてアイスを盗み食いし、今、見つけられたショックでアイスをくわえたまま目を見開いて止まっていた。まるで質の悪いコントのようだった。

 久方はなんと言っていいか迷い、声を発せずにいた。


 何なんだあんたは。


 結城が先に言葉を発した。怒るというより呆れていた。


 いやあ、悪いね。おどかしちゃって!


 全く悪いと思ってなさそうな様子で、新橋五月はおどけた。


 サキにここの話聞いたら来たくなっちゃってさ〜。


 こんな夜中にか。

 しかも俺のアイスを勝手に食いやがって。


 結城の声に怒りが混じってきた。まずい、と久方は思った。食べ物の恨みは怖いものだ。特に、このピアノ狂い(いや、今は『甘いもの狂い』と呼ぶべきか)にかかっては。


 まあまあ、いいじゃかい。

 これセコマで100円くらいで買えるやつだろ〜?


 新橋五月は残りのアイスを一気に噛み砕いて咀嚼したあと、棒をシンクに向かって投げた。久方は『ゴミ箱に捨ててください!』と言いたかったが、もちろん声には出せなかった。


 親子揃って非常識な奴らだな。


 低く押し殺した声が結城の口から漏れた。久方は走って逃げたくなったが、ほっとくともっととんでもないことが起こりそうな気がした。


 サキ君はいいんですよ、来ても。


 やっと発せた言葉はそれだけだった。


 そうそう、

 サキがここに遊びに来てお菓子食ってるんだろ!


 新橋五月が大きな声で言った。


 最近ここで神戸のお菓子食ったって話をよく聞くんだよ。あそこはうまいもんが多いからな〜。知ってる?札幌で『神戸』って言うと、おしゃれで洗練されたもののことを言うんだよ。なぜか地元のパン屋が『神戸風スイーツ』を出したりするからさ。大阪の友達に話すと不思議がられるんだよな。『そんなイメージない』って言われちゃうんだよ。

 君はその神戸のおいしいイメージを利用して、娘をここにおびき寄せてるんだろう?違う?上手い手だよねえ。


 ち、違いますよ!そんなつもりは全くないんです!お菓子は神戸の母が勝手に毎月送ってくるんです!僕一人じゃ食べきれないんです!それだけです!


 久方は真っ赤になりながら本当のことを言った。


 お宅の娘はな、呼んでもいないのに勝手に入ってくるんだよ。不法侵入って言葉知ってんのか?お前ら。


 結城の話し方があからさまに失礼になっていた。


 それは君達がここの戸締まりをちゃんとしないからでしょ?誰でも入れちゃうらしいじゃない。現に俺もあっさり入れたし、由希も来たんだろ?


 新橋五月はそう言うやいなや、また冷蔵庫を開け、プリンを取り出した。

 それは絶対に手を出してはいけない(と久方だけが強く恐れている)結城お気に入りの、小樽のプリン専門店のものだった!


 俺のプリンに触るなァァァァァァァァァ!!!!!


 間抜けすぎる絶叫とともに、結城がプリン泥棒に飛びかかった。もみ合いでプリンが落ちそうになり、久方がそれをギリギリで受け止めた。甘いもの狂いとバカはキッチン中をもみ合い、叫びながらのたうちまわり、いろいろなものが床に落ちた。

 久方はプリンを抱えたまま床にうずくまり、最後の手段に出た。


 もしもし、サキ君?夜中にごめん。


 久方は泣きそうな声でスマホにすがりついた。


 悪いけどすぐ来てくれない?お父さんがピアノ狂いとプリンを取り合ってケンカしてるんだ。


 後ろからガチャーンという音と、反応して起動してしまったポット君が走り回る音がした。そして、『アイスも全部食ってやるもんね〜』という大人気ない声と、結城の絶叫も。

 早紀はものすごく低い声で、


 すぐ行って、全員殺します。


 と言って通話を切った。後ろからはまだギャーギャー騒ぐ声と走り回る音がする、そのあまりのうるささとアホらしさに耐えかねて、久方は廊下に倒れた。ただし、なぜかプリンだけは、大事に抱えたままだった。別に好きでもないのに。







 



 

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