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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年12月

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2016.12.30 金曜日 研究所

 久方は朝4時半ごろ目覚め、すぐに着替えて1階へ行き、落ち着かない様子で部屋の中を歩き回っていた。ポット君が反応して『コーヒーイルー?』と尋ねたが、久方はいらないと答えた。ポット君はがっかりした表情をして去っていった。

 高谷修二が来る。

 そのことで頭がいっぱいだった。一体彼は何を話すだろう?前にテレビ電話で話したが、実際に自分に会ったらどう思うだろう?早紀がどう反応するかも心配だ。


 少し落ち着けよ。


 橋本の声が聞こえた。

 でも、彼も楽しみにしているのだ。感覚でわかる。

 そのうち6時になったが、いつものピアノ攻撃が聞こえてこなかった。結城もたぶん、修二が来るのを楽しみにしているはずだ。それとも、会いたくないのだろうか。昨日から様子がおかしかった。いつもの軽口や皮肉が出ず、ずっと黙っていて気味が悪い。何か知られたくないことがまだまだあるに違いないと久方は思っていた。


 修二は、きもの姿の美しい女性を連れて現れた。始め、それが『ユエさん』だということが久方にはわからなかった。よく見ると、夢で出てきた人に似ているような気がしたが、全体の雰囲気がガラリと変わっていた。やさぐれた様子はなくなり、堂々たる婦人になっていた。後で早紀が『今のほうがきれいですよね』と言った。久方もそう思った。修二の方はほとんど変わっていなかった。今も金髪に染めていて、濃い青のジャケットを着て、歳の割にデニムが似合っていた。

 ユエさんは久方を見てしばし目を細めたあと、


 かわいい。変わってないねえ。


 と言って、バラのように華やかに微笑んだ。いつもなら『かわいい』と言われるのが嫌なのだが、今日は気にならなかった。相手が自分の子供時代を知っているからかもしれないと久方は思った。何も覚えていないのに、懐かしさがこみ上げてきた。自分を見ながら微笑んでいる2人を見ていると、あの夢は全て本当に起きたことなのだという実感がわいた。


 ママさんのことは覚えてますか?


 一緒に来た息子、修平が尋ねた。並んでいるのを見比べると、顔が修二にそっくりだった。ほとんど同じ形と言っていい。


 思い出したというよりは、

 夢で見たと言った方がいいかも。


 久方は今までに見た昔の光景を説明しながら、親子3人に隠れるようにして一言も発さない早紀を時々ちらっと見た。不安そうな顔をしていた。中で奈々子さんが何か言っているのか、それとも本人が何か考え込んでいるのか。


 あの頃の話をされるのはなんだか恥ずかしいねえ。


 ユエさんが少し視線をそらせて言った。


 ママさんにとっては、

 札幌時代は黒歴史だもんね〜──いてっ!


 修平が言うと、ユエさんが息子の頭を軽く叩いた。それを見た修二が微笑んだ。早紀がその様子を見て寂しそうな顔をした。


 仲がいいんですね。


 久方はそう言うにとどめた。それから、みんなで知っていることを話し合ったが、幽霊の問題をどう解決したらよいかは誰もわからなかった。ユエさんはあまり話そうとしない早紀のことをずっと気にしていた。たぶん奈々子さんのことがあるからだろうと久方は思った。きっとユエさんは奈々子さんと話したいだろうが、早紀はもちろん嫌がるだろう。


 うわ!本当にいる!


 廊下から声がした。結城がそこにいた。あからさまに嫌悪感を顔に出していた。


 やっと現れたな。


 修二が穏やかに笑った。


 変わってないな。


 何言ってんの?お互い変わり果ててるでしょ?

 何年経ったと思ってんの?

 お互いもうジジイに足突っ込んでるでしょ?


 結城が言うと、修二は『ははっ』と笑い声をあげた。


 あんた、ナギでしょ?ここで何してんの?


 ユエさんが尋ねた。驚いた様子で。


 何って、そこのガキんちょの世話ですよ。

 ご両親に頼まれて。


 ユエさんが久方を見た。久方は気まずく下を向いた。


 結城さんとお知り合いですか?


 早紀がわざとらしい質問をした。


 知り合いも何も、こいつはそりゃあもう悪名高い──


 ユエさんが何か言いかけて、ちらっと息子の方を見た。修平は『もう知ってるよ〜ん』と言い出しそうなふざけた笑みを母親に向けた。


 もう!子供に聞かせるような話じゃないんだよ!

 ほんとにもう!


 素行が悪かったのはお互い様でしょ?


 結城が言った。久方は顔を上げ、改めて全員を見た。修二とその息子は面白そうに笑い、ユエさんはふてくされ、結城は不機嫌な顔をしている。早紀は結城の方を見ていた。目が離せないようだ。

 ああ、やっぱり結城のことを気にしてるんだな。

 久方は悲しくなってきたので、コーヒーを入れ直してくると言ってキッチンに向かった。コーヒーはポット君に頼み、自分は丸椅子に座ってため息をつきかけた。その時、ユエさんが入ってきて、


 もう!あいつなんでここにいるの!?


 と尋ねた。久方はうんざりしてきた。


 結城ですか?僕の親に聞いてくださいよ。

 僕には理解できない人選なんですから。

 

 ご両親って、育ての親?


 今はそっちが本当の親です。神戸で商社やってます。


 いい人?


 とても。


 そりゃよかった。


 ユエさんがまた花のように微笑んだ。久方もつられて少し笑った。


 にしてもなんであんな男雇ったかねえ?

 あたしもあんまり人のこと言えたもんじゃないけどさ、

 息子の側に置いときたいタイプの男じゃないよ。


 その通りです。全面的に同意します。


 あたしが心配なのはね。


 ユエさんが、子供達がいる方向を気にしながら言った。


 息子やあの女の子が、幽霊やあたし達のせいで、過去ばかりに目を向けすぎるんじゃないかってことなんだよ。

 若者が見なきゃいけないのは未来だろ?

 なのに修平は昔からあたしや修二に昔の話ばかり聞きたがってさ、医者がなんて言ったと思う?

『きっと、自分が長く生きられないのがわかっているから、親の若い頃の話を聞きたがるんです。自分では体験できないと思っているから──』


 ユエさんはここで言葉に詰まった。涙をこらえているように見えた。


 修平君は元気ですよ。長生きしますよ。


 久方は思わず言ってしまった。なんの根拠もない発言だったが、なんとなくそう言ってやるのが正しいような気がしたのだ。


 ありがと。そうなの。みんなして大人になれない、そこまで生きないって言ってたけど、あの子はもう17歳だよ?

 ほとんど大人みたいなもんさ。そうだろ?


 ええ。大人ですね。僕よりずっと大人っぽいです。


 修平は父親より大人だよ。それも心配なんだけど──あら!このロボット、ほんとに自分でコーヒーいれられんのかい!?誰かがいれたのを運んでるだけだと思ってたよ!


 久方はユエさんとポット君の後から部屋に戻った。修二と結城は2人で昔のバンドの話をし、息子がたまにツッコミを入れていた。早紀はひたすら黙って結城と修二を交互に見ていた。こんなにしゃべらないなんておかしいと久方は思い、早紀に声をかけて廊下に連れ出した。


 私、帰ってもいいですか?


 早紀はいきなりそう言った。


 なんだか、私が入っていい話じゃないような気がするんですけど。


 久方は一応引き止めたが、早紀は帰ると言い張った。久方は林の道まで送っていった。早紀が帰ったのを知ると修平も『そろそろ平岸家のメシが出るんで』と言って帰っていった。両親に気を使ったらしい。修二とユエさん、そして結城。90年代のメンバーだけになった。今度は久方が、自分だけが場違いのような気がしてきた。

 キッチンで夕食を作っていると、部屋の方から話し声がした。


 あんた、いつまでここにいるつもりだい?


 ユエさんが結城に尋ねたようだった。


 俺に聞かれてもわかんない。

 とりま、幽霊問題に片がついたらかな。


 結城が軽い口調で答えた。修二達が来たせいで、話し方が若い頃に戻ってしまったようだ。


 ここでずっと創くんの面倒見てる気かい?

 自分の人生はどうしたのさ。


 さあねえ、どうだか。


 結城は軽く流そうとしているようだったが、ユエさんは攻撃の手を緩めなかった。


 ピアノはどうしたのさ。

 東京に来たらどうだい?店で演奏させてやってもいいんだよ?まあ、それもいつまでもいられちゃ迷惑だけどさ。

 あんた、なんでここにいるんだい?

 奈々ちゃんのためって言うなら、間違ってるよ。


 別にあいつのためじゃない。


 あの子は、あんたが今みたいな生き方するのは、望まないと思うよ。

 困ってる人の世話なんて、あんたの性分じゃないだろ?


 それは言えてるね。


 その後は、誰一人言葉を発さなかった。久方はそ〜っと部屋に戻り、『魚と肉はどっちが好きですか』というどうでもいい質問を発した。ユエさんが手伝うと言って一緒にキッチンまでやってきて『うわあ、さすがいい魚仕入れてんね!さすが北海道』と言いながら、なぜか牛肉を選んだ。

 それから久方は、『結城は昔いろんな女とヤってた。男ともヤってた。とにかくヤってた』という、あまり聞きたくない昔の悪行話を延々聞かされることになった。


 人が必要なら他にいくらでもいるだろ?

 あたしは心配だよ。

 あいつ、若者に変なこと教えてないだろうね?


 怖い目をして言ったユエさんに、久方は、


 僕らはあれにつられるほどバカじゃないですから。

 それに、結城は一応、やるべき仕事はきちんとやってますよ。料理は全くしないけど。


 と言いながら『なんで僕があいつをかばわなきゃいけないんだ!?』と心の中で文句を言っていた。ただ、『あの使えない助手にも、自分の人生がある』ということに今初めて思い当たり、このままでいいのかと悩み始めてしまった。





 

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