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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年12月

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2016.12.28 水曜日 高谷修平

「うちの親、これからこっちに来るって」

 修平が言うと、早紀がするどい目を向けてきた。

「つまり、修二が来るってこと?」

「ママさんも来るよ」

 修平はわざとにっこり微笑んだ。

「俺が住んでる所を一度見てみたいって、前から言ってたんだよね」

「また奈々子が懐かしがって出てきちゃうじゃん」

 早紀はあまり嬉しくなさそうだ。

「いいじゃない、何かわかりそうで」

 平岸あかねはニヤニヤしていた。

「あんたのママってお水の人でしょ?ゲイの友達いたら紹介してよ」

「ん〜それは期待しない方がいいと思うな〜」

 修平は少しずつ後退して、食卓から逃げ出した。



 伊藤がクリスマスにくれた本は、ラビンドラナート・タゴールの詩集『死生の詩』だった。

「たぶん、高谷ならわかると思う」

 という言葉と一緒に渡された。予備知識が全くなかったが、伊藤が本をくれたというだけで大喜びした。その時は。

 今、修平は、その詩を読んで考え込んでいた。


『人、おんみを知るとき、ひとりとして異邦人はなく、ひとつとして閉ざされた扉はありません。おお、わたしの祈りをききとどけてください──多くの人たちとの触れ合いのなかで、(いつ)なるものに触れる至福を見失うことがありませんように』(森本達雄訳)


『おんみ』とは神のことだろう。

 インドにはヴェーダーンダ哲学というものがあり、多は一に帰還するという思想があったと解説に書かれていた。

 伊藤はなぜ、この本を自分に渡したのだろう。

「やっぱ神を布教したいのかな」

 修平はつぶやいた。

「でもこの人が言う神ってキリスト教の神じゃないよね」

『そういう違いを超えた、普遍的な何かを伝えたかったのではないですか』

 新道先生が言った。

「人の力を超えたところにある何かってこと?」

『そうだと思いますが』

「そうか〜」

 修平は少しがっかりしていた。

「なんか、上から目線で何かを教えられてるような」

『違いますよ。自分が感じているものと同じものを分かち合おうとしているんです。ラブレターよりよっぽど強力な好意の表れだと思います』

「ほんと?」

『はい』

 修平は素直に喜んだ。そこに奈良崎から『秀人と勇気が来てるからお前も来ない?』という連絡があった。

「今日寒いのになあ」

 とつぶやきながら出かけた。空はどんよりと暗い。予報では雪が降る予定だ。気温も一日中マイナス。水が凍るような空気の中を歩いている自分が信じられないと修平は思った。前なら、きちんと温度管理された病院から一歩も出られなかった。先生の力があるとはいえ、自分は確かに変わった。

 奈良崎の家に行くと、3人とも既にゲームで盛り上がっていた。サバイバルゲームだったが、保坂に銃を持たせると百発百中で『ゲームバランスが崩れる』と高条が言い、ハンデとして刃物だけ使うよう命じていた。しかし、それでも保坂は強かった。容赦なく敵を斬り殺していく。修平はちょっと怖いなと思った。ゲームの画面ではなく、興奮して『フォー!!』とか『ホウ!!』とか叫びながら飛び跳ねている保坂の様子が。奈良崎は『いつもこうだから』と言っていたが。

 いつもこうだから。

 そう言えるくらい、この3人はいつも一緒にゲームしたり遊んだりしているらしい。体調が悪いからと引きこもっていた自分も悪いが、修平はなんとなく仲間外れになっているような気がした。奈良崎と保坂がリアルサバイバルの話をして、テントがどうとかシカに会ったとかいう話をし始めた時には『自分にもっと体力があったらなあ』と思った。クマには会いたくないが、シカなら見てみたい。そう言ったら、

「お前はシカの怖さがわかってない」

 奈良崎がらしくない真面目な顔で言った。

「車走ってるとこにピョーンと出てきてさ、ぶつかったら大変なんだって。すっげ〜衝撃でさ、車大破すんだって。俺のいとこが前に事故ってひどい目にあったんだって」

「シカって食べられるよね。俺食べたことない」

「シカ肉カレーなら食ったことある」

 保坂が言った。

「有名なシェフの店だったんだけど、カレーの味と香りの方が強くて、肉の味わからなかった」

「食った意味ねえ〜」

 奈良崎が笑った。

「高条は?」

 修平が尋ねた。

「野生の肉はちょっと」

 高条は顔をしかめた。

 それからしばらく『クマ肉のカレーの缶詰を昔剛毛が買ってきた』というような話をしたあと、保坂が歌の練習をしたいと言った。新年のライブで歌うことになっていると言った。全員が驚いた。

「あれ?新年っていつもスマコンが町役場の職員の悪口歌ってなかったっけ?」

 奈良崎が尋ねた。いつもの新年ライブは、スマコンが政治皮肉ネタを歌い、保坂は伴奏し、役場の人がしらけるのが恒例だった。

「いやそれが、スマコンが『来年はあなたが歌いなさい』って言うんだよね」

「スマコンが?自分の出番譲ったの?」

 奈良崎が叫んでからスマホを取り出した。

「台風来てないか調べる」

「『あなたは喉のチャクラを開放する必要があってよ?』」

 保坂がスマコンの話し方をまねると、高条がバカにするような笑いを漏らした。

「よくわかんないけど、歌うことになったと」

 修平が尋ねると、保坂は口元だけで笑った。

「曲はもう作ってある」

「自分で作ったの?」

 保坂は奥の部屋からギターを持ってきて、弾き語りで歌い始めた。悩み多き恋人のラブソングだった。

「いい曲だけどさあ、新年に歌うには暗すぎない?」

 修平は正直に言った。

「いや、役場の人に試しに聞かせたら、これでいこうって」

 保坂は言った。

「マジ?」

「とにかく町長のお嬢様には歌わせないでくれって言ってた」

「あ〜」

「スマコンの毒舌ソングが嫌なんだ」

 奈良崎が笑った。

「とにかくあれを回避できれば何でもいいんだべ」

 保坂も笑った。

 それでいいんだろうかと修平は思ったが、自分もギターが弾いてみたくなったので保坂に貸してもらった。前に弾いたのはいつだったか、もう思い出せない。むかし、たまに家に帰った時、父:修二が弾き方を教えてくれたのだが。カルカッシの簡単な練習曲をぎこちない手付きで弾いた。やっぱり上手くいかない。しかし、他の3人は驚いていた。

「クラシックギター弾けんの!?」

 保坂が一番驚いていた。

「親父がギタリストなんだよね。売れてないけど」

 修平はそう言った。昔は売れていたことは伏せておいた。

「じゃ教えてもらえんだ。い〜な〜」

 高条があまり興味なさそうに言った。

「でも俺ずっと病院にいたから全然練習出来てなくて」

「あ〜!そっか〜」

 奈良崎が顔をしかめた。

「そうか、病院でギター弾いたら怒られるよね」

 高条が言った。今初めて気づいたような言い方だった。幸せな奴らだなと修平は思った。

「一回親父が持ち込もうとして病院の人に怒られてたから」

 そう言って作り笑いを浮かべた。

「それより保坂が練習すんでしょ?」

 修平はギターを保坂に返した。

「あ、そう、そうだべ」

 少々放心していたらしい保坂は慌ててギターを受け取ると、また歌い始めた。少し声がぎこちなくなっていた。それからみんなで『もっと感情込めた方がいい』『ここの歌詞変えたほうがいい』『そういや保坂ってスマコンのこと好きなの?』などと言い合って楽しんだ。



「保坂ってすげえな。なんでも上手くやっちゃうもんな。射撃に作曲にピアノにギターに歌にさ。成績もいいし、サキに聞いた話だと料理もするんだって」

 帰ってから、修平は新道先生にそう言った。

『君のギターを聴いて焦っているように見えましたけどね。歌い方も力んでいて』

「え?そう?」

『きっと『やばい、こいつの方がギター上手い。練習しなきゃ!』と思ったんでしょう』

「そうかな?でも歌いながら弾ける奴のほうがすごいと思うけどな」

『私は君が心配です』

「なんで?」

『平然としすぎている。『あいつすごいな、もっと頑張らなきゃ!』という風には考えませんか?君はもう入院患者ではないのですから』

「ごめん俺にそういう発想全然ない」

「君は何か趣味を持った方がいいですよ。伊藤さんと本以外にもね」

 先生は消えかけながら、こう付け加えた。

「ギターはどうしました?」

 修平は、先生が消えたあたりをしばらく見つめていた。ギター。父親がまるで自分の手足のように自由に操っているもの。自分にはなかなか手が出せないもの。

 でも、ここで弾いたらサキに『うるさい』って怒鳴られそうだな。

 修平はギターについて考えるのをやめた。しかし、気がついたらネットでカルカッシの楽譜を探している自分に気づいた。ギターがないのにそんなもの買って何になるだろう。

 修平は画面を見るのをやめて、本に戻ることにした。しかし、しばらく、保坂が弾き語りしていたあの曲や、昔弾こうとしていた練習曲のことが心に浮かび、なかなか離れていかなかった。







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