2016.12.21 水曜日 サキの日記
今年最後の音楽の授業。杉浦のバカみたいな演説を聞くのも今年はこれで最後だ。できれば来年も永遠に聞きたくないんだけど。
今野先生が『今日はオペラでも見るか』と言った時、私と、たぶん修平にも緊張が走った。でも、奈々子は出てこなかった。上手く自分を抑えているのか、この作品に興味がないのか。出てきても嫌だけど、あまりにも姿を見せないのも気になる。
『椿姫』は映像はきれいだけど、主人公は娼婦。杉浦が『日本の売春婦とは全く違うのだよ、教養と洗練されたなんとかが』とかうざい説明を横でしていた。きれいだろうと教養があろうと性を売ってたことには変わりないし、その、女性を勝手にランクづけする考え方が気に入らない。街で売春するのがよいことだとはもちろん私も思わないけど、その女の人がどういう人生を送って、どういう困難の結果そこにいるのか、本人以外の誰にわかるというんだろう。少なくとも、男にはわからないだろう。自分は襲われる心配もせずに生まれつき有利な社会的地位を持ってるんだから。
しかも、昔のこういう話って、絶対最後に女死ぬし。せっかく美しくて教養のある女性に恋したんだからとっとと結婚しろよと思うが、杉浦に『君は当時ののパリを理解していない』と言われた。お前だってフランス人じゃないだろうと言いたい。ドストエフスキーもそうだし、女をろくな使い方しない日本の古典もそうだけど、とにかく娼婦を美化したり、男のために女がむやみに死ぬの、嫌だと思う。いくら名作だと言われても『罪と罰』が好きになれないのもそのせいだ。『金持ちのババアは殺してもいい』が『救いは娼婦』になる。要は都合よく若い女に甘えているだけ。何が名作なんだ。男のご都合に女が使われてるだけじゃないのか。
その話で杉浦とケンカして、
君は何もわかっていないな!
もう一回、ドストエフスキーの全作品を読み直したまえ!
と叫ばれ、将棋の雑誌を見ていた今野先生にうるさいと注意された。修平だけはまじめに画面を見ていたようだ。
愛に縁のない人なんかいないはずだよね。
『他の人をお探しください』とか言われても無理だよね。
本当にその人が好きだったらさ〜。
と、カッパに似合わない言葉を吐いていた。しんみりと。
『古典』と言われているものは一度全て『今の目』『女の目』で見直した方がいいと私は考える。ごく一部の男性がいいと思ったから残っているだけで、その他の大多数の人にとってはどうでもいい、またはとんでもない話かもしれないから。そういえば、誰がが『純粋な娼婦なんていない』と言っていた。あれは誰だったかな、スティーブン・キングかな。そんなのは幻想だと。現実の女はもっと厚かましくて強いものだ。そう考えると、奈々子も考え方が変わった人だったとわかる。ススキノの売春婦を信用して家まで遊びに行ってたんだから。普通危ないと思うだろうに。
修平にそのことを聞いてみたかったんだけど、『あんたの母親売春してたでしょ』と面と向かって言うのはさすがにきついと思って、やめた。
所長に今日オペラを見たと伝えたら、『大丈夫?』と返ってきた。文学作品の女の扱いで杉浦とケンカしたことを少しふざけた文章で伝えた。
文学作品に出てくる女の人は、現実の女性というよりは、イメージなんだよ。
男が書いた話ならそうでしょうけど、今は女性も小説書きますからね。
女はどっちも生きた人間だと知ってますから。
そうかなあ。僕は女の人もけっこう男をイメージで見てると思うけど。
あかねのBL妄想みたいな?
平岸さんの話はやめよう。
行こうか迷ったけど今日はやめた。図書室に行ったら杉浦がいて、伊藤ちゃんと話していたので逃げ帰ってきた。きっとさっきの話をしていたに違いない。
夕食のときあかねに聞いてみたら、
BLカップルのために子供を残して死ぬ女ってのもいるわよ。よく言うでしょ?ドラマとか小説で男の都合のために殺される女のことを『冷蔵庫の死体女』とかなんとか。それと同じ。
何がどう同じなのかわからないし、食事中に死体の話やめてほしい。私はあかねにこの話を振ったことを後悔し、修平にも文句を言われながらアパートに戻った。
人が死なない話が一番いい。
異性によけいなイメージを持たない方がいい。
そういうこと。




