2016.12.19 1979年
根岸菜穂が学校のトイレに行くと、初島緑が床にしゃがんでお腹を押さえ、きつく目を閉じていた。生理痛がひどいんだなとすぐにわかった。毎月、似たような場面を見ていたからだ。
「大丈夫?」
菜穂は声をかけてみた。
「大丈夫」
全然大丈夫ではなさそうなかすれ声が返ってきた。菜穂が自分の用事を済ませて出てきても、初島はまだ動く様子がなかった。
「保健室に行った方が──」
「だめよ、誰もそんなことしてない」
「生理は誰にでもあるのよ」
「私のは違う」
初島が顔だけ菜穂の方に向けた。目が異様に光っていた。
「誰もこんなに苦しんでない。他の子がこんなことしてるの見たことがない」
「見せないようにしてるだけで、誰でも同じだってば」
「そんなことない。ああ気持ち悪い!なんでこんなものがあるんだろう?でも来てよかったと思わなきゃいけないのよ。もし来なかったらと思うとゾッとするわ」
初島の言葉の意味は菜穂にもわかったが、口に出してはいけないような気がしたので黙っていた。
チャイムが鳴った。
「何してんのよ、早く行きなさいよ。授業始まってるじゃないの」
「でもみどりちゃんが──」
「早く行けって言ってるのよ!」
初島が怒鳴った。菜穂は諦めて出ていった。教室で先生が、
「初島はどこだ?またサボりか?」
と言ったので、
「具合が悪くて保健室にいます」
と嘘をついた。
帰り、菜穂は一人で道を歩いていた。新道は菅谷につかまって居残り勉強をさせられていた。菜穂も誘われたが、元気が出ないので断った。昔初島から聞いたことと、今日見た(というか毎月見ている)事態を頭の中で照らし合わせて、何か恐ろしいことが起きていると判断した。しかし、どうしていいかわからなかった。それに関わることすら、恐ろしい気がした。
家に帰る気もしなかったので、菜穂は橋本古書店に向かった。橋本は今日学校に来ていなかった。
店の中には中年の客が一人と、あいかわらずの店主がいた。橋本も奥にいたので声をかけると、
「新道はどうした?」
と聞かれた。
「菅谷くんにつかまって勉強してるよ」
「またあいつかよ」
橋本は顔をしかめた。菜穂は橋本をじっと見て、みどりちゃんのことをどれくらい知っているのだろうと考えた。確か、小学校の頃からの付き合いだと言っていた(のに、菜穂は最近までそのことを聞かされていなかった!)。何か聞いていないだろうか。男の子になら話せるようなことを。
「橋本くん。みどりちゃんと仲良くしてるよね」
「仲良くなんかしてねえって。あいつが勝手にここに来てしゃべるんだよ」
「何か変なこと言ってなかった?」
「変なこと?」
「お父さんのこととか」
「精神科の医者ってこと以外は知らねえな」
「あとは?」
「あとはって?」
「家で何か起きたとか、何かされたとか」
菜穂にはこれ以上の表現は出来なかった。相手は男の子だ。
橋本はしばらく何か思い出そうとしていたが、
「いや、聞いてない」
と言った。それから、
「あいつが変な理由を知りたいなら、無駄だと思うけどな。あいつは子供の頃から変だったからな。元々変なんだよ」
と偉そうに言ったので、菜穂は腹が立ってきた。
「男の子って本当にバカよね!!」
かわいらしい顔がいきなり怒りだしたので、橋本だけではなく店主も、近くにいた客も驚いて菜穂を見た。
「なんにもわかってないんだから!!」
菜穂はプンプンした様子で出ていった。
「お前、少しは口を慎め」
店主が息子に注意した。
「俺は何も悪いこと言ってないだろ!?」
橋本は抗議した。
菜穂は怒ったまま、足を踏み鳴らさんばかりに早足で道を進んでいた。
『子供の頃から変だった』
そうだ。子供の頃からそれは起きていたのだ!!なんてことだろう!
菜穂は勝手に確信して、家の近所の道をぐるぐると回り続けた。気分を落ち着けてから帰りたかったのだが、なかなか怒りはおさまらなかった。




