2016.12.13 1998年
雪が降ってきた。積もった雪に足跡がある。奈々子はその足跡の上を無邪気にたどって遊んでいたが、男子2人が自分をじっと見ていることに気づいて、慌てて普通に歩きだした。『いいものを見た』と言っているのが後ろから聞こえた。
バスが遅れる季節になったので、奈々子は一本早いバスで学校に来ていた。人はあまりいないが、自分と同じような考えの生徒がもう来ているので静かではない。
教室には誰もいない。奈々子は窓辺に立って外を見た。雪がちらついている。札幌市内だか郊外で、隣は牧場なので、目の前は一面の草原。そして、今はそれが雪で真っ白。とてもきれいな景色だ。
「おはよう」
元子がやってきた。
「あんた、そこに立ってると絵になるね〜」
「そんなことない」
「そんなことあるって。映画みたいだもん」
「え〜?」
毎日がこんな感じだ。元子はあのあと、地下街で会ったナギのことを詳しく知りたがった。奈々子は正直に話したので『ヤバい!そいつヤバい!』と話は盛り上がったが、その後元子がその話題を出してくることはなかった。『紹介して!』と言われても困るが、かといって全く話題にしないというのも奈々子は悲しいと思った。やはり、普通の女子高生が受け入れるには、ナギや修二は『変わりすぎている』のだろうか。
「ねえ」
元子が隣に立って、こう尋ねた。
「奈々子、エンコーとかしてないよね?」
「するわけないじゃん」
「噂になってる」
「勝手に言わせとけば?」
相手にする気になれなかった。女子高生が市内中心部をうろついている=援助交際。誰がこんなイメージを作ったのか。迷惑すぎてうんざりする。奈々子が街を歩いているのは、考え事をするためなのだ。大概の学生はそうだろう。大人は何を勘違いしているのだろう。
「奈々子きれいだから妬まれてんだよ、2組のヤンキーとかに」
「ほっとけば?」
「でも先生に何か言われたらどうする?」
「どうもしない。何もしてませんって言うだけ」
奈々子は新道先生が『サボって』古本屋にいたことを思い出したが、元子に言うのはやめておいた。話題は自然に、GLAYやpre-school、元子が好きな留年組のバンドマンの話に移った。
学校帰り、バスから地下鉄に乗り継ぎ、いつもどおり大通で途中下車した。音楽教室に向かう途中、奈々子は、前方を歩いている女性をどこかで見たことがあると思った。それは、いつかナギと一緒にいたあの、気味の悪い笑い方をする女だった。しかも向かっている方向が同じだった。
創成川。
嫌な予感がした。奈々子は自然と、その女のあとをつけて歩いていた。
予想したとおりだった。
女は、川沿いのフェンス近くにいる創くんを見つけると、ものすごい勢いで走っていって、服の後ろをつかみ、そのまま強引に引っ張って、南の方向に歩きだした。
奈々子は叫ぼうとしたが、やめた。それより、このままついていった方がいい。もしかしたら、住んでいる家を見つけられるかも。
哀れな創くんは、反抗する様子もなく引きずられていた。通り過ぎる人々が妙な目でその親子を見ていたが、女にはまわりを気にする様子がない。どこか異様で、誰も声をかけられないようだ。
奈々子は、一定の距離を保ちながら、2人のあとをつけていった。途中で『君かわいいね、いくら?』と声をかけてきたバカなおじさんがいたが、無視して歩き続けた。歩きながら奈々子は迷った。誰かに連絡するべきだろうか?でも誰に?警察はこんなことで動いてくれないし、自分の親は論外だ。近くに電話ボックスはある。でもかける先がない。自分にだって味方はいないということに、奈々子は今更ながら気づかされて悲しくなってきた。いや、修二とユエさんはいる。でも今はあてにできない。
けっこうな距離を歩いた。女はある小さな白い家に入っていった。奈々子はその家の前に立ち、ベルを鳴らそうかどうしようかと10分くらい悩んだあと、裏側に回って窓から中を覗いてみた。しかし、レースのカーテンのせいでよく見えない。少し高い所に、何もかかっていない小窓があった。壁際には蓋付きのゴミ箱がある。登ったら中が見えるかもしれない。
奈々子は、ゴミ箱の蓋の強度を確かめてから、上に乗って背伸びをした。ちらっとだが、床に子供がうつ伏せに倒れているのが見えた。
「創くん?」
奈々子は小声でつぶやいてみたが、返事はない。なんとか窓を開けられないか、ガタガタといろいろいじくっていると、
「そこにいるのは誰!?」
という、おばさんの野太い声がした。奈々子は驚きのあまりゴミ箱から落ちそうになったが、なんとか無事に地面に着地すると、全力疾走で逃げた。十分離れた所まで行ってから、メモ帳に今知った住所を記録した。
今日は助けられなかったけど、居場所を突き止めた。
これは大きな前進だ。
奈々子は息を整えて自分を落ち着かせてから、狸小路に向かって歩きだした。修二に相談しよう。きっと助けてくれる。他に協力してくれそうな人が思い浮かばない。
狸小路にはもうミュージシャン達がいる。人も多い。1丁目から西に向かって、3丁目のあたりで目立つ金髪が歩いているのが見えた。
ナギだ。
奈々子は声をかけようかどうか迷った。今のこの事態にはナギは役に立たない。きっとまた『そんなガキ、施設にでも放り込めば?』とか言うに決まっている。
考えながら歩いていると、5丁目に人だかりができていて、慣れた声とギターが響いてきた。
ほんと、いつ聞いてもいい声。憎らしいくらい。
奈々子はそう思いながら近づいていった。そこには修二と賢治がいた。声はいつも以上に熱がこもっている感じがする。アーケードがそこに独特の響きを加える。人々は修二を見つめ、声に聴き入っている。
「あれ?もう来てたの?」
ナギが近づいてきて腕時計を見た。高そうだ。女に買ってもらったに違いない。奈々子は何も言わずに愛想笑いを返した。ナギは奈々子を見つめてニヤニヤ笑っている。
「何?」
不吉な気配がした。
「修二の女の話、聞いた?」
ナギが愉快そうに笑っていた。不快な笑い方だった。
「何?」
奈々子は警戒して身構えた。するとナギはぐっと近づいてきて、奈々子の耳元でこうささやいた。
「ユエって女、妊娠したらしいよ」




