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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年12月

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2016.12.5 月曜日 研究所

 久方創は部屋を見回しながら、ここにレティシアが来た時のことを想像してみた。しかし、上手くいかなかった。本人が「来る」と言ってきているにもかかわらず、ここに彼女が現れるなんて想像もできなかった。

 暖房の前で猫達がくつろいでいる。その安らぎの半分でも分けてくれたら助かるのに。久方はそう思いながらカウンター席にいた。外は暗い曇りだ。もうすぐ雨が降るだろう。この時期にしては気温が高いから、今日は雪にはならないだろう。


 今まで橋本の人情に頼ってきたんでしょう?

 そろそろ自分の力で生きなきゃダメですよ。


 前に高谷修平がそんなことを行っていたような気がする。そして、土曜の夜に奈々子も言っていた。自分を閉じるなと。このタイミングでレティシアが日本にやってくることに何か意味があるのだろうか。余計な期待はしたくない。でも、期待せずにいられない。


 花を飾ろうかな。

 でも、君達がめちゃめちゃにしちゃうよね。


 久方は猫達に話しかけたが、特に反応はなかった。猫達はいつだって、こちらの事情に関係なくマイペースに行動している。


 うらやましいよ。


 久方は言いながら席を立った。天気は悪いが、散歩に行くことにした。雲は厚く、暗いが、全く日光を感じられないわけではない。部分的に薄い雲からときおり、やや強い光が地上に落ちては消え、落ちては消えを繰り返す。久方はその後をたどっていった。気がついたら建物からだいぶ離れて、草原の真ん中に一人、ぽつんと立っていた。


 僕は今、一人だ。

 でも、寂しくはない。


 あの人が来るからだ。もうわかっている。それだけでこんなにも世界が確かに見えてくる。何をしに来るかまだわからないのに、会えると思うだけで。

 雨粒が落ちてきた。久方は帰ることにした。ピアノの音が聴こえてくる。『雨だれ』だ。まんますぎてセンスをかけらも感じない。やはり奴には感性というものがないに違いない。

 けたたましい音が降ってくる下でコーヒーを飲んでいたら、早紀を思い出した。しばらく一人になりたいらしいが、その『しばらく』とはいつまでなのだろう?奈々子が「サキは高条くんと出かける」と言っていたのも思い出した。カフェの孫だ。


 若いんだなあ。


 久方は一人つぶやいた。早紀が生きる世界は別にある。そのことをすっかり忘れていた。いつか外の世界に居場所を作って離れていくだろう。学校からも。ここからも。

 かま猫がポット君を追いかけて走り回っている。シュネーは暖房の前から動かない。ピアノ狂いは今日はショパンばかり弾くことに決めたようだ。暗くて嫌味な音が響いてくる。


 レティシアが来たらこのピアノには呆れるだろうな。

 もしかしたら怒り出すかもしれない。


 久方は思った。結城には、クリスマスだけどこか別な場所に行ってもらおうかと考えたが、それを言い出せる自信がない。


 本当に来るんだろうか、レティシアは。


 久方はまだそれが信じられなかった。そして、『彼女が来る』という事実だけで急に落ち着いた自分のこともわからなかった。最初はパニックになったが、その後、手足の震えや緊張が不思議とゆるんだ。気持ちも穏やかだ。

 やはりまだ自分は、彼女を愛しているのだろうか?

 久方は先程からそれが知りたくて自分に尋ねているのだが、やはりよくわからなかった。そうであるような気もするし、そうではないような感じもある。では、今の自分は一体何なのだろう。わからない。

 ピアノの音を我慢して2階へ行き、本棚から『トニオ・クレーゲル』を取り出してまた1階に戻った。今日は何も手につきそうにないから、おとなしく本でも読んでいよう。この本は彼女も好きだった。主人公が自分に似ていると思うのは錯覚だろうか。

 久方は本の世界に入っていき、いつしかピアノも、猫達の走り回る音も聞こえなくなった。

 世界は、不思議に静まり返っていた。




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