2016.11.30 水曜日 サキの日記
フランソワーズ・サガンのインタビュー集『愛という名の孤独』(新潮文庫)に、自由でいるために、一人でいるためにはお金は必要だと書かれている。
『──しばしば一人になれることが、幸せのカギになるのです』
私、秋倉に来てから、人と一緒にいすぎたように思う。特に所長とか、平岸家の人と。とてもおだやかで、さみしくない。だけど、東京のマンションにいた頃の方が、インスピレーションがあったような気がする。孤独で寂しかったけど。
少し一人の時間を持って、自分を取り戻したい。
しばらく研究所に行くのやめて、部屋で本や勉強に時間を使おうと思った。心配されるといけないから所長と、一応結城さんにも「しばらく行けない」と言っといた。所長からはすぐ返事が来た。そういう時もあるよと。結城さんは何も返してこない。いっつもスルーされる。
『時代そのものには何の重要性もありません。その時代を作家がどのように見ているかが重要なのです』
とサガンは言う。
『作家にとっての唯一の主題は、人人の頭や心の中で起こっている事柄です』
私の頭の中で、何が起きたか?
毎日日記に書いてるつもりだった。でも、実は毎日思っていた。自分が本当に感じたことや考えたことの2割も、私は残せていない。いや、もっと悪い。日中感じたり思ったりしたことを100とすると、書き表せてるのはせいぜい5%くらいなんじゃないか。私はもっといろんなことを感じたはずだ。この、2016年の11月30日に。なのに書けない。書けないうちに12月が来てしまい、11月に起きたことの大半は記録されずに消えてしまう。
どうしたら今の、この感じを残せるのか。
きのうは一日中雪が降っていた。今日やっと晴れて日差しが弱く部屋に入ってきている。雲が多い。外に出たらきっといろんな形をしている。部屋の空気だって、同じように見えて実は毎日違う。この全てをどう書き残す?さっきから私は、ありきたりな表現しか使えていない。
音楽の時間。今野先生が珍しく熱心にリストの話をした。ピアニストのソロコンサートという形式を初めて作ったのがリストで、女性にモテすぎて、コンサートでは感激のあまり失神する女性までいたとか。弟子の教育にも死ぬまで熱心だったという。
本当はモーツァルトより天才だったかもしれんよ。
と言って今野先生はニヤつき、それから、出た当時は嫉妬した批評家に悪口を言われてたけど名盤だと言って、フジコ・ヘミングのCDをずーっとかけていた。
奈々子は出てこなかった。でも杉浦がまたどっかの本で読んだ当時の歴史を語り出してウザかった。修平は、
俺、モテる奴嫌いなんだよね。
と、カッパらしいちっちゃい言葉を吐いていた。
サガンの本を勧めてきたのはもちろん伊藤ちゃんで、母親の本棚にあったのを読んで彼女を知ったと言っていた。親の本棚。うちにもある。40代の娘はコージーブックスとか、女性向けのゆるいミステリーが好きで、移動中によく読んでいるらしい。なにより、私の古典の知識は、もとはバカの本棚にあるレベル99の崩壊した本達だ。たぶん母よりバカのほうがまじめな本を読んでいる。
『親の本棚』が子供に与える影響は大きい。バカがシナリオばっかり私に見せたせいで、私は普通の文章はシナリオだと思っていた時期があった。小学校の作文に登場人物のセリフだけ書いて『これは架空のお話だよね?』と言われたのを思い出す。
カントクが言うように、シナリオを書くべきだろうか。
でも、お話が思いつかない。私は昔から、小説よりノンフィクションや哲学の文章が好きだった。架空の話より本当の話が好きだ。今起こっていることが知りたいし書きたい。
なのに、今をとらえて書く力がない。
ほら、今日の日記もただの愚痴になってる。
一人で食べたいなあと思いながら夕食に行く。あかねが反抗したくなる気持ちが少しだけわかる。今日あかねは、クリスマス向けの作品を終えて休んでいるところだと言っていた。やっぱり今はインスピレーションがわかないと言っていた。今ってそういう時期なんだろうか。修平は、
そんなもんない方が平和でいいよ。
と言った。あかねの妄想にはうんざりしてるんだろう。
明日クリスマスツリーを出しますからね。
と、平岸ママが目を輝かせる。
もうそんな時期か、早いなァ。
と平岸パパが笑う。あかねは無視。
クリスマス。レティシアという人が所長に会いに来る。それをまた思い出して私はなぜか憂鬱になる。
しばらく所長や結城さんのことは忘れよう。
でも、奈々子が放っといてくれるかが問題だ。今日は全く姿を表さなかったけど。
部屋に戻ってから米津玄師の『ホープランド』を聴いていた。去年よく聴いていたアルバム。私は去年持っていた何かを失ったらしい。いや、手に取る前に見逃したというべきだろうか。それが何か、曲を聴いたら思い出せるんじゃないかと思った。でも何もわからなかった。




