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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年11月

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2016.11.28 月曜日 サキの日記


 まわりが騒いでると自分は冷めるって、あるよね〜。


 昼休み、伊藤ちゃんはクリスマスの飾りが載った本を見ていた。見た感じ北欧のどこかの言語だと思うけど、どこの国のものかまではわからなかった。


 今もね。私がクリスマスクリスマス言いまくってるせいで、先輩と高谷が引いてるし。


 俺は別に引いてないよ。


 本棚からカッパが顔を出した。あからさまに伊藤ちゃんに気を使ってる、こいつ。

 伊藤ちゃんはクリスマスが楽しみで仕方ないらしい。私は去年の、壁をグリッターで埋めようとして中途半端になったクリスマスを思い出していた。今年は平岸家で過ごす予定だ。きっとまた平岸ママがごちそうを作りまくるだろう。

 東京のリオからは『お寺で瞑想してる』という一文だけが届いた。リオの中で何が起きているんだろう。

 河合先生に進路を聞かれて、東京の大学に行きますと答えた。でも『具体的にどこを受けるかまで決めてくれや』と言われてしまった。

 もう今年一ヶ月しかない。どうしよう。



 帰り、迷いながらも研究所へ行った。今日は猫達の姿はなく、結城さんが1階でテレビを見ていた。所長は?と聞いたら、散歩に行ったと言われた。結城さんはまたアイドルグループが歌うのを見ていた。今日は韓国の女の子らしい。私は画面を見てニヤニヤしている結城さんを見るのが嫌だったので、外に出て所長を探すことにした。午前中雪が降って、空は雲に覆われていた。

 所長は畑の向こうの草原の真ん中にいた。山のほうを見て動きを止めているようだ。呼びかけたら振り向いて少し笑った。


 さっきまで、また光が降りて来てたんだよ。


 所長が好きな、雲間から差し込む光だ。


 レティシアに見せたいと思ったんだ。


 ドキッとした。所長の口から彼女の名前が出たのを初めて聞いたから。


 きっとわかってくれると思うんだ。

 そういう人なんだ。


 所長は雲の向こうを見つめながら、ひとり言のように言った。そして、しばらく動かなかった。

 雲の動きは、早い。

 同じように、物事はどんどん変わってしまう。

 変わらないで、と言いたくなる。

 でも、絶対に止まらない。


 寒くなってきたし、帰ろうか。


 所長は私の横を通り過ぎた。見えてないんじゃないかと思うような動き方で、私は少し怖くなった。少し離れて、所長の後をついていった。玄関に行くと、2階からリストの『ため息』が聴こえてきた。弾き始めたばかりのようだった。

 いつものようにポット君にコーヒーを頼み、向かい合う。でも所長が言葉を発さない。私もどうしていいかわからなくなってしまった。なので、伊藤ちゃんと話した『まわりが騒いでいると心が冷める』話をした。所長は、自分にも同じところがあるよと言った。


 ミュンヘンにいたとき、サッカー好きとビール好きに囲まれちゃって、みんな陽気なのに僕はどっちもダメだから全然盛り上がれなくて、外で人に会うの避けてたことがあったな。

 彼女もそういう人だよ。パーティーとか、盛り上がるのが苦手なんだ。実はね、一緒に集まりから抜け出して静かなところを探したんだよ。それが出会いなんだ。


 所長は何を聞いても『彼女』が頭に浮かぶらしかった。レティシアという人は日本が好きで、日本語もかなりうまく話せて、なんと着物も一人で着られるのだとか。今はフランスで働いているらしい。


 どうして別れちゃったんですか?


 いろいろ上手くいかなかった。

 僕も変な人でしょう。ほら。


 幽霊のことですか?橋本が何かやらかしました?


 いや、そうじゃないけど。


 肝心な話になると、所長は口ごもってしまう。

 そして、こういう時に限って、結城さんが、ラヴェルのあのトッカータを弾き始めた。


 あいつ、やめろって言ってるのに!


 と所長が言った瞬間、体が宙に浮くような感覚になった。体が勝手に動き出した。

 また奈々子だ。

 奈々子は廊下に出て真っ直ぐ階段を上がり、結城さんの部屋のドアの前で立ち止まった。そして、しばらく音に耳を澄ませた。嵐のようだけど、どこか愛おしい音。

 そう、()()()()()だ。

 これは間違いなく、愛のこもった音。

 私にはそれがわかった。奈々子にもわかったはずだ。


 あのトッカータに似てる。


 私の口が奈々子の言葉を発した。目から涙が溢れるのがわかった。

 気がついたら、()()、ドアの前で泣いていた。

 

 サキ君?


 所長が心配して声をかけてきたけど、私は誰とも目を合わせたくなくて、階段を駆け下りた。それから、1階のソファーに飛び込んで泣いた。

 何が腐れ縁だ。これが愛じゃなかったら何なんだ。

 結城さんはずっと、この曲を練習し続けていたのだ。

 奈々子のために。


 こんなのはひどい。ひどすぎる。


 私は泣き続けた。所長はずっと隣にいて、優しく背中をさすってくれていた。落ち着いた頃にピアノは止まった。同時に、あかねが飛び込んで来て、


 夕飯!──あれ?サキ?どうしたの?


 怒鳴りかけて、私が泣いていることに気づいて叫ぶのをやめたらしい。


 ダメじゃない久方さん。女の子泣かすなんて。


 あかねがニヤニヤ笑いだし、所長は『ち、違うよ!』と慌てていた。私は帰ることにした。

 あかねは私が泣いている理由を聞かなかった。夕食の時も、全然関係ない『美形サンタクロースと少年の一夜限りの愛』を妄想して、修平に『やめろ!俺のサンタさんを汚すな!』と叫ばれて逃げられていた。あかねって、優しいのか意地悪なのか、よくわからない所があると思った。


 部屋に戻ってからも、さっきのトッカータの音が耳から離れない。私はベッドにもぐって、枕に顔をうずめて奈々子の悪口を言いまくった。そうでもしないと気がおさまらないくらい落ち着かない気分だった。

 なんて醜い私。

 こんな自分は大嫌いだ。







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