2016.11.24 木曜日 研究所
午後3時。
久方創はソファーで居眠りをしていた。かま猫が狙ったように上に乗ってきた。もう、この小さな生き物の重みには慣れてしまった。
久方は、アルテスランドのりんご園や、神戸の北野にある異人館とか、大学だとか、行ったことのある場所がごちゃまぜになった夢を見ていた。そのどの場所にも、彼女がいた。なぜかはわからないけれど、ドイツでしか会っていないはずの彼女が、どこにでも存在していた。
あ、夢だ。
これは夢だ。
そう気づいてうっすら目を開けると、誰かが自分の顔をのぞきこんでいるのがわかった。
サキ君?
久方は起き上がろうとしたが途中で止まった。
気づいたからだ。
それは早紀ではないと。
隣に、紺色のブレザーを着た髪の長い女の子が、うっすらと浮かび上がっていた。
奈々子さん?
久方はつぶやいた。早紀と幽霊の顔がかすかに笑った。久方は恐怖を覚えた。
ダメです。サキ君を乗っ取っちゃ──。
ごめんなさい。サキが昼寝をしてたから、今のうちなら少しはいいだろうと思って。
よくないですよ。今すぐ引っ込んで下さい。
そう。幽霊が体を使うのはよくないことだと、あなたはわかってる。そうよね?創くん。
なのに、あなたはなぜ今も橋本に体を使わせるの?
久方は答えられなかった。下を向いてしまった。
サキは動揺しているの。あなたに恋人が現れたから。
奈々子が言った。久方は顔を上げた。
私も理解できない。
今まであなた、サキのことが好きでしかたないような行動をしていたのに、その女が来るって知ったとたん全てひっくり返ってしまったみたいじゃない?
どうなってるの?
サキはあなたの何?
奈々子の目は真剣だった。久方は、この会話は早紀にも聞こえているかもしれないと思った。それはまずい。何がまずいのかはわからないがまずい。
久方は焦っていた。しかし、口から言葉が出てこない。
もうちょっと考えてみて。
サキが起きる前に、私は帰る。
奈々子はくるっと背を向けてドアまで進み、少し手前で振り返って、
でも、あなたが生きていて、本当によかった。
優しく笑って言った。それから出ていった。
一人残された久方は、しばらくかたわらのかま猫をなでながら、言われたことをぼんやりと反芻していた。
今のは何だったんだろう?
いや、それよりも、
奈々子さんがサキ君の体を使い始めた。
これは大変だ、よくないことだ。
外から車の音がした。ドカドカという足音が聞こえてきた。結城と保坂がまた、食べ物の包みを大量に抱えて帰ってきた。
そのすべての音が、遠くに聞こえた。
久方の内側で、別な何かが叫び声をあげていた。
俺が殺したんだ。
俺が殺したんだ。
という叫びが。
おい、聞いてんのか?
名店の半身揚げだぞ!
結城がどうでもいいことを叫んでいる。保坂がどこかの何かの料理について、真似して作れそうだとか言ってるのも聞こえる。内側からは、罪悪感と絶望に満ちた慟哭が響く。
久方は何もすることができなかった。ただ、音と感情に飲まれ、その場にたたずんでいただけだった。




