2016.11.21 月曜日 研究所
起きろォォォォォ!!
助手:結城は絶叫しながら『所長』の部屋のドアを勢いよく開けた。跳ね返ったドアがビィーンというしびれた音を立てた。
起きろこのクソガキャァァァァァ!!
結城は甲高い声をあげながら久方のベッドに飛び乗り、寝ていた久方創を布団やシーツごと床に引きずり下ろした。
人がせっかく壮大華麗な曲を弾いてやってるってのに、いつまで寝てる気だ!?あァ?
いじけんのもたいがいにしろやゴルァ!!
今日の結城はかなりキレていた。ここ数日、久方から泣き言やわめき声を聞かされ続けたせいで、元々あまりない忍耐力が尽きてしまったのだ。
僕は死ぬ。
布団の塊から、息も絶え絶えの声がした。
次何かあったら、今度こそ僕は死ぬ。
何言ってんだ。いいから起きて着替えろ。
もう9時過ぎてっぞ!
カフェに飯食いに行こう。
お前も外出りゃ目が覚めるだろ!?
結城は車のエンジンをかけに行った。足音が遠のいてから、布団の中から、
しゃあねえな。俺が行くか。
という声と共に、めんどくさそうな顔の橋本が現れた。
もう3日もろくに飯食ってねえ。
どうする気なんだよ?おい。
体の持ち主に問いかけてみたが、返事はない。
45分後。
松井カフェの隅の席に、結城と、久方が座っていた。久方は気がついたらここに連れてこられていた。よくあることだ。でも今日は放っといてほしかった。
結城はモーニングのベーコンエッグトーストを勢いよく食べてから、
なんでそんなに困ってんの?好きな女が来るんだろ?
とむやみに大きな声で言った。松井マスターと数人の客が2人を見た。
だから不安なんじゃないか。
久方は小さな声でつぶやいた。
大丈夫だって。女の10人や20人や50人、振られたって人は死なないから。俺が証明してるから間違いない。
お前と一緒にすんな!
あれ?何?自分だけ純粋だとでも思ってんの?
結城はかなり挑発的な態度で言った。
よくいるんだよね〜。自分の想いだけは純粋で尊いと思ってる奴。やってることはそのへんでアイドルに欲情してる若い男子やオバサンと同じだってのにさあ。
あなた、それは言い過ぎじゃないの?
見かねた松井マスターが口を挟んだ。
そうですかね?
俺はただ考えすぎだと言いたいだけですよ。
それとな、
結城は真面目な顔で久方に向き直った。
新橋はどうしたんだ?
サキ君?今日から試験だから来ないと思うよ。
久方はそう言ってから、少しだけコーヒーに口をつけたが、まだトーストには手がついていなかった。
そうじゃねえって。お前がパニクってるのを見て動揺してたんだよ。少しは落ち着いてくれや。毎日建物をうろつき回って半端ななまりの言葉をピーピー叫ばれてもこっつは困るんだよ。
お前はいっつも僕のことなんか気にせずにピアノばっか弾いてるじゃないか。
俺の話じゃねえって。新橋の話をしてんだよ。
傷つけたくないって言ってたのはお前だろ?
サキ君は。
久方は何か言いかけて口ごもった。結城は追加でツナサンドを注文した。今日は久方がちゃんと食事をするまで帰さないつもりだった。
おし!昼は岩見沢行ってラーメン食うぞ!
宇宙軒がいいかな〜?それとも他を探してみっかな。
あのへん何げにうまいもの多いしな〜。
結城は機嫌よくスマホで店を探し始めた。松井マスターは『食欲のない人にはもうちょっとあっさりしたものにしてあげたら?』と言おうかどうかで迷っていた。
マスター。
久方が松井マスターを呼んだ。
はいはい。何でしょう?
もう一人の僕は、ここでどんな話をしていましたか?
久方がうるんだ目でマスターを見上げた。結城が顔を上げて、怪訝な目を久方に向けた。
僕、あいつについて何も知らないんです。
教えてくれませんか。
そうねえ〜、私が聞いているのは──。
店に新しい客が入ってきた。松井マスターはいったん席を離れた。
おい。
結城が久方に詰め寄った。
そんなことここで聞いてどうすんだ?
だって、橋本に何を聞いても教えてくれないんだから、
他の人に聞くしかないじゃないか!
結城はめんどくさそうな顔をして腕を組んだ。久方はしばらくうつむいたまま黙っていた。そのうち、松井マスターが戻って来た。
ここに初めて来たのは、2年前のクリスマスだったと思うわ。
その時は久方さんだと思っていたのよ。でも話し方がおかしくて、妙によくしゃべるの。酔っ払いだと思ったわ。コーヒーを出してあげたら『金がない』って言ってたわね。
すみません。
久方が謝った。
いいのよ別に。それから、月に一回か二回くらい来るようになったわね。覚えてない?
覚えてないんです。それは僕じゃないから。
久方はうつむいたまま言った。
そうなの。
そのうち常連の客と仲良くなってね、どうも、話が合うのは40代か50代のトラックの運ちゃんとか、けっこう歳が上の人なのね。だから私、見た目は若いけど、歳は50代くらいなんじゃないかって思ったのよ。
橋本が生きていたらそれくらいの年齢だ。でも、久方は18歳の橋本しか知らない。生きていたらどうなっていたか、あまり考えたことがなかった。この町のおじさん達のように、普通に生きただろうか?それとも、性格がひねくれているから上手くいかなかったか。
なあ、こういう話してて、
中の人は文句言ってこないの?
結城が久方に耳打ちした。
中の人って何!?
僕は着ぐるみじゃないんだからな!
だってその方がわかりやすい言い方だろぉ?
結城はだらしなく背もたれに両腕を引っかけてのけぞった。
すみません。
橋本、自分のことについて何か話してました?
久方は態度の悪い助手を無視することにし、松井マスターに真剣な目を向けた。
家が古本屋で、お父さんと二人暮らしで、そうねえ、変な能力のある友達がたくさんいたとか、去年のクリスマスに言ってたわね。あの時はここに奈美ちゃんもいたのよ。
お前より楽しいクリスマス送ってんな、中の人。
また結城が余計なことを言った。
それで、どうも、高い所から落ちて死んだそうなんだけど──。
松井マスターがあごに手を当てて言葉を止めた。
死んだ時のこと、何か話したんですか?
久方が身を乗り出した。
これ、言っていいのかしら。
松井マスターは口に出そうか迷っているようだった。
何ですか?
久方は構わず尋ねた。
少しの間のあと、松井マスターは、
俺は人を殺した、って言ったのよ。
それだけ。
それ以上は何を聞いても教えてくれなかったの。
と言って、カウンターに戻って行った。




