2016.11.19 土曜日 サキの日記
今日の出来事
・松井カフェで秋倉の昔の映像を見た。
・研究所に行ったら所長が関西弁でパニクってた。
・結城さんにからかわれて悲しくなった。
・カッパ死ね。
私も所長も頭が混乱していて、それを見ているまわりにせせら笑われてるような感じ。
いつもきれいな標準語でしゃべっている所長が、ひとり言のように関西弁をつぶやきまくっていた。今まで無理して標準語しゃべってたんですかって聞いたら『えっ?』って。自分の言葉がなまっているのに全く気づいてなくて、
僕、関西弁しゃべれないはずなんだけど。
それでず〜っとからかわれてたんだよ。神戸で。
と言った。真顔で。
でもその一分後には『あかん、あかんわ〜』とかまた言い出した。眠っていた関西DNAが突然目覚めたのか(いや、生まれは北海道のはずだけど)。
所長は『レティシア』という女性に心を完全にハッキングされたらしく、何を話しても上の空。結城さんによると、
昨日から橋本が出てこないから、
病院にも行ってないんだよね。
珍しく本気で心配そうにしてた。
橋本が、
出てこない。
そんなに、レティシアという人は強い存在なのか。
所長に『どんな人?』って聞いても、黙ってパステル画を手で示して、ずっと、どうしようあかんあかんって言ってるだけ。病人みたいだ。
パステル画の女の人は聖女のように優しく笑っていた。草原のような緑色の目。優しい表情。この絵の通りだとしたらめっちゃ美人だ。
昨日からあかんあかんうるさいんだよね本当に。
駒さんに相談したら『ほっといてやれ』って言われちゃうしさあ。
でもヤバいんだよ。久方がおかしくなったの、ドイツのその女のせいなんだよね。少なくとも、俺が最初会った時のパニックの引き金はそいつなんだって。
結城さんは本当に心配らしい。
最近落ち着いてきたと思ったのになあ。
また逆戻りか?冗談じゃねえぞマジで。
結城さんと話してから1階に戻ったら、所長はやっぱり頭を抱えてブツブツ言ってた。私はまた2階に戻った。結城さんは私が戻ってきたのを見て嫌そうな顔をした。
だから言っただろ?久方はゆるキャラじゃない。
普通に性欲のある男だってよ。
結城さんはそう言った。
そんなことはわかってると言ったら鼻で笑われた。
じゃあなんだ。さっきからふくれっ面して。
久方に女がいるのが気に入らないんだろ?
ピアノ弾きたいから出てってくれる?
そんなんじゃない。
そんなんじゃないけど。
私は階段を降りた。所長はカウンター席に座っていたけど、やっぱり頭を抱えていて、悩んでいるのが見てとれた。私は帰りますと声をかけてから研究所を出た。
何かが変わってしまった。
そう感じる。
何かが胸に引っかかってる。
でもそれが何かがわからない。
午前中、私達は、テスト前なのに松井カフェで昔の映像を見て遊んでいた。高条のおじいさんが趣味で撮った8ミリには、今よりさらに何もない秋倉が映っていた。一面の草原。駅前は今より人が多い。素朴な手書きの看板。活気がある市場。今はもうない。他はもう昔から、自然しかない原野だ。おじいさんが変なポーズで画面に入ってきて、高条が『じいちゃんはふざけるのが好きだった』と言った。若い頃のマスターも小さな子供と一緒に現れて、佐加が、
マスターめっちゃ美人!美人すぎ!
と叫び、松井マスターは顔を真っ赤にして照れていた。家族の記録をこんな風に見返すの、私は経験がない。不思議だと思った。もうここにはいない、亡くなった人が残した映像。もう帰ってこない、今はもうないはずの日々がそういう風に残っている。今までネットでさんざん動画を見てきたはずなのに、こういう感じがしたことはなかった。
そういえばうちのバカも昔何か撮ってたし、今もやたらになんか撮ってるけど、ああいうのちゃんと保管してんのかなと思ったら、
残ってるぞぉ〜!
サキの生誕から今までの全記録は、
俺の手元にがっつり保管してあるぞぉ〜!!
と言われた。
なぜだろう。
うちのバカに同じことされると、
たまらなくキモいのは。
夕食の時修平に所長の話したら、『ほっとけば?』と言われ、
サキもそろそろ他の男に目を向けなよ〜。
例えば俺とか?
とキモく迫られたので、椅子から突き落としてやった。乱暴はやめなさいよと平岸パパに注意された。
カッパむかつく。




