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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年11月

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2016.11.17 木曜日 研究所


 僕、生きてていいのかなあ。


 ガキんちょ、いや、久方創がつぶやいた。せっかく結城が、わざわざお取り寄せしたルタオのドゥーブルフロマージュを食べようとした、まさにその瞬間にだ。


 まだ言ってんのか?

 幽霊にもさんざん怒られたれただろォ!?


 結城は甲高い声で怒った。目の前にパイがあったら久方の顔めがけて投げつけてやるところだ。しかし今手元にあるのは貴重なドゥーブルフロマージュ。本当はガキんちょに食べさせるのももったいない品だ。


 そうなんだよね。

 こないだ、大学の同期にも怒られた。


 久方は寂しそうな顔をし、スイーツには手をつけようとしない。


 同期と連絡取ってんの?


 結城が尋ねた。久方は意外と顔が広い。本人が気づいているかどうかは怪しいが。


 生物の生死は人のごうを超えた問題だ。

 お前がつべこべ言う事じゃない。

 生物は生きている限り広がっていくものだ。

 お前みたいな考えは自然に対する冒涜だとか、

 さんざん言われた。


 お前、大学の同期にも『生きてていいのかなあ』とかバカなこと言ったの?

 怒られるに決まってるだろそんなの。

 何だ?そんなに他人に同情されたいのか?あぁ?


 結城が心底バカにした口調で言うと、久方は反論せずにドゥーブルフロマージュに手をつけた。




 午前中は橋本が、あさみに会いに病院に行っていた。そこにはスギママがいて、また、


 奈美ちゃんをうちの嫁に!


 だれがお前の息子になんざやるか!


 お前!?またお前って言った!?

 父親でもないくせに〜!!


 というバカバカしいケンカをし、あさみ本人から『やめて』と言われたのだった。


 病院の人はみんな夫婦だと思ってるわよぉ。ウフフ。


 スギママはそう言って意地悪くニッコリした。橋本は嫌そうな、というよりは、戸惑った顔をしていた。



 人から情のある人間として認知されるのは、いつだって橋本の方だった。久方はそのことにずっと引け目を感じている。仲違いしなくなった今、なおさら、能力というより、情愛の差が見える。

 自分はああいうふるまいは出来ない。

 しかし、あんなふうになりたくてたまらない。

 不可能を求めている。それは苦しい。

 スイーツに夢中の助手を置いて、久方は外に出た。

 気温がマイナスになってきた。空気は冷たく冴え渡っている。まだ雪は少ない。だけど気配がある。空気の匂いでわかる。固く閉ざされた氷の気配が。

 久方は草原を見つめた。人の迷いや悲しみなんかに全く関係なく移ろっていく景色。どれだけの生命や存在を生み出し、飲み込んできたかわからない自然。雪が降ってきた。意識が遠のいた。風が雪をコートに当ててくる。


 この感覚はなんだろう。

 何もかも消えてしまいそうで、

 それなのに、

 何もかもが鮮やかに存在しているような、

 この感覚は。

 

 寒くなってきた。体の震えが意識を引き戻した。

 久方は帰ることにした。




 早紀は今日来なかったが、


 奈々子が新道と何か良からぬことを相談しているようです。

 私に協力しろって言うんですよ。絶対嫌ですけど。


 という言葉を送ってきた。具体的なことは何も書いていない。聞いても『とにかく嫌です』という返事しか来ない。どうしたのだろう。体を貸せとでも言われたのか?久方は思った。でも、奈々子さんも新道先生も、そんなことを提案するとは思えない。

 解決策は、見つかっていない。

 久方は自分の部屋で古い植物図鑑を眺めていた。いっそ木にでも生まれ変わりたいと思った。人間はいろんな意味で厄介だ。

 スマホが鳴った。また早紀か、どうでもいい通知だろうと思った。そこには見慣れない、いや、よく知っているけどありえない名前があった。


 レティシア。


 久方は目を疑った。去年一度来て以来なかった、ドイツからのメール。ずっと待ち続けていたメッセージ。


 クリスマスに、そちらに行きます。

 話したいことがある。


 と書いてあった。

 久方はその文面を何度も何度も、呪文のように頭の中で反芻した。手が震えた。


 レティシアが、

 ここに来る。


 久方の頭から、他の一切のことが吹き飛んでしまった。今あるのは、あのパステル画の顔、自分に向かって優しく微笑むあの姿だけだった。




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