2016.11.10 木曜日 図書室 高谷修平
「寒いよ今日。めっちゃ寒いって。もうマイナスになってるじゃん」
学校の玄関で修平がぼやくと、
「はぁ〜?まだ早いって。本当の寒さは最高気温が0度以下になって、最低がマイナス7とか10になった時に来るんだって!プラスはあったかい日だから、この辺じゃ」
奈良崎が笑いながら言った。
「マ〜ジ〜で〜!?」
修平は大げさに困って見せた。寒さに対する恐怖を表に出さないようにしながら。
「これ以上寒くなったら俺何着んの?」
「おばちゃんみたいに靴下2枚履きとかじゃね」
佐加が来てにやけた。
「うちもたまにやる」
佐加は靴箱に入らない長いブーツをビニール袋に入れて、別な棚の下に入れた。こんなに寒いのに生足だった。こいつら強すぎると修平は思った。長く暮らしていると慣れるものなのだろうか。
午後、修平が図書室に行くと、伊藤がカウンターで三浦綾子の『光あるうちに』を読んでいた。やはりキリスト教の本だ。カウンターで隠れて今は見えないが、伊藤は厚手の黒いタイツをはいていた。見た目より防寒を重視していそうだ。
『懐かしいですねえ』
久しぶりに新道先生の声がした。
「何が?タイツ?」
『何を言ってるんですか君は。本ですよ』
「あっそ」
修平はいろいろ文句を言いたいのを抑えた。ここ数日、先生は姿を見せなかった。いろいろ聞きたいことがあったのに。
『あの本、昔、ナホちゃんも読んでましたよ』
「あ、そういえば前も言ってたっけ」
前にその本を読んだ時も、新道先生は同じことを言っていた。
修平は伊藤に近づいていって、その話をした。
「出版されたのは昭和だから、ありうるけど」
伊藤は少し戸惑っているようだった。
「でも、これを読んでるってことは」
「悩んでたかもね」
修平は伊藤の考えがなんとなく読めた。
「先生の奥さん、自分の家族には嫌われてて、悩んでるみたい。少し子供っぽい所があって、親によく思われてなかったんだって」
「そう」
伊藤は本に目を戻した。しかし、すぐに本を閉じた。
「高谷、この本をよく知ってるんだよね」
「読んだよ、入院中に」
修平は笑った。次に何を聞かれるかわかったからだ。
「読んで、神を信じるようになった?」
やっぱり。
伊藤は予想通りの質問をしてきた。
「いると思うよ。神は」
「いると思うだけ?信じてるわけじゃないの?」
「何か違うの?」
「全然違う」
伊藤は真剣に言った。それからまた本を広げた。今度はずっと黙っていた。
修平は本棚の点検を始めた。政治の棚に原田先輩が書いた本が勝手に入れられていた。修平はそれを取り出し、どうするか迷った後、カウンターに戻った。
「また!?よくやるのあの人!自分が書いた小説とか論文を勝手に棚に入れるの。も〜!こんなの誰も読まないって!」
伊藤は先輩の本をカウンターの下に隠した。
「原田先輩って何がしたいんだろうね」
あまり知りたくもないが、修平は一応尋ねてみた。
「東大受けるって言ってた。落ちればいいのに」
伊藤がうんざりした顔で言った。
「お〜い、キリスト教の人がそんな悪口言っていいの?」
「あの人は一回痛い目にあわないと性格変わらないんじゃない?」
「いや、ああいう人は痛い目にあったらもっと歪んでさらにヤバい奴になると思う」
修平は言った。
「確かに」
伊藤は片目を歪ませながら口元だけで笑いを作った。
「これ以上ヤバい人にならないように祈っとく」
「祈るのか〜」
「高谷も祈って。人数多いほうがたぶん通じるから」
伊藤は立ち上がると、掃除用具入れからハタキを取り出して、本棚を叩き始めた。席で勉強していた先輩数人が、修平を見てニヤニヤ笑っていた。それに気づいた修平は、本棚の奥に逃げた。何かを見破られたような気がした。
『見破るも何も、誰の目にもまるわかりですよ』
「わあっ」
新道先生がいきなり横に現れたので、修平は軽く驚きの声を上げた。
「そういや、今までどこ行ってたのセンセー」
『君の生活を邪魔しないようにしていただけですよ』
「奈々子さんが探してたよ。夜中に」
『そうですか。本当はよくないのですが、今夜は話を聞いてあげた方が良いでしょうか』
「なんでよくないの?いいことだと思うよ」
『しかし本来私達はですね──』
「存在してはいけないってまた言うんだろ?もうそれ聞き飽きたって。確かにもう死んでるけどさ、今俺と話してるじゃん。奈々子さんもよくサキとケンカしてるし。まだ存在してるんだよ。ここにいるんだよ。いるもんはいるんだからしょうがないだろ?」
修平は一気に言ってから、大声を出しすぎたような気がして、慌てて図書室内を見回した。先輩達は勉強し、伊藤は窓際の本棚を整理していた。誰も気にしていないようだ。
「とにかくさぁ」
修平は先生に向き直り、小声で言った。
「奈々子さんは今辛い立場なんだから、先生が話聞いてやれって。本当は橋本とも話すべきだと思うんだけど、サキが邪魔するんだよ。久方も変なこと言い出すし」
新道先生は、修平の顔をまじまじと見つめていた。
「何?」
『いや』
新道先生が笑った。
『私は、君に教えるよりも、君から教わることのほうが多いなと思いまして』
「何を?」
『いろいろとね。そうだ。橋本と話した方がいいというのは私も同意見です。未だに創くんの体を操っているようだし、それに──』
「高谷」
伊藤が近づいてきた。
「何?」
「奥の書庫、見たい?」
伊藤が笑いながら尋ねた。
「書庫なんてあんの?」
「そこの扉」
伊藤が、壁と同じ色の目立たない扉を手で示した。
「え?これ?非常口じゃないの?」
「非常口はあっちの棚。ここはね、秋倉高校が農業高校だった頃の古い資料とか昔の本が保管されていて、すごくほこりっぽい。だからこれ、つけて」
伊藤はマスクを修平に渡し、自分もつけた。
「え?そこまでしないとヤバいの?」
「本当は手袋もほしいくらい」
伊藤の目が光った。
「いつか徹底的に掃除したいと思ってたの!ささ、入って」
伊藤がドアを開けた。修平は嫌な予感がしつつも、あとについて中に入っていった。そのとたん、空気が汚れていて、湿っていることがわかった。古い紙独特の匂いもたちこめていた。
「あのさ」
修平は入口付近に立ちつくした。
「もう、この時点で空気ヤバいんだけど、何で?」
「何十年も閉ざされたまま放置されてたから」
伊藤は言いながら古い書物の上に触り、手を修平に見せた。黒というか茶色というか、ほこりというより土のような色の汚れが、白い手についていた。同じように長年放置された本が、棚いっぱいに並んでいた。床には無造作にいくつものダンボール箱が置かれ、その中の本もほこりをかぶっていた。
「この学校廃校になるしょや。だから、取り壊される前に一回、徹底的にきれいにしようと思ってたんだけど」
「もうここごと壊してもいいんじゃない?」
「ダメです。歴史的資料が埋まってるかもしれないし、汚い所を残したまま卒業するのは、図書委員としてよくないと思います!」
「えぇ〜!?」
修平は全く気乗りしなかった。ここにいるだけで病気になりそうだ。
「2人じゃ無理だから、第2グループに応援頼もうかな」
伊藤がつぶやいた。
「あ、じゃ〜さ、杉浦呼ぼうよ。あいつ、本のためなら何でもやってくれそうじゃん」
「え〜!?また勝手に本持って帰られたら困るしょや」
「いいじゃん多少持ってかれたって。廃校なんだろもう」
「ダメです。他の学校や施設で使うかもしれません」
「使わねえって絶対!ちょっとここ出よう。空気悪すぎゲホッ!」
マスクをしていたにもかかわらず喉に何かが詰まり、修平は激しく咳込んだ。
「仕方ないなあ。クラスで来れそうな人には来てもらおっか」
伊藤がつぶやきながらスマホを操作し始めた。
「明日は保坂の誕生日だからやめて、う〜ん、月曜日にしようかな」
「保坂?やべえ、プレゼント買うの忘れてた」
修平は急に思い出した。先週言われていたのに忘れていた。
「わざわざ用意しなくても怒らないと思うけど?」
「伊藤は何買ったの?」
「アマゾンのギフト券」
「意外と普通だね」
「保坂に今必要なのはそれでしょ?本当に必要なのはお金だろうけど」
伊藤は考え込んだ。
「ヨギナミ、かわいそうすぎる。祈らなきゃ」
そして修平の方を向いて、
「高谷も祈って」
と言った。
「わかった」
修平はそう答えたあと、また喉を詰まらせて激しい咳をした。




