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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年11月

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2016.11.9 水曜日 研究所

 紅葉の中で雪が降る。

 美しい赤や黄に染まった木々に、白い粒が降り積もる。

 なんて美しいのだろう。


 久方創は久しぶりに、心から風景に見とれていた。足元の、木の葉で覆われた道にも白い雪が積もり、透かし模様のようになっていた。歩くと、重なった落ち葉の柔らかい感触に、氷の粒が割れる音が混ざる。時々光がさすと、葉は金色に、雪は銀色に輝く。なかなかやまない雪が、空気までも光で彩っていく。

 散歩から帰ってくる頃には、すっかり雪まみれになっていた。


 好きだね〜毎年毎年。

 雪の何がそんなにいいのか全然わかんない。


 助手の悪口も毎年恒例になってきた。札幌育ちの結城は、雪=めんどくさいというイメージしか持っていないらしい。きっと風情を感じる心がないのだろう。


 サキ君に見せたかったんだけどな。

 今、進路のことで頭がいっぱいみたいで。


 久方のスマホには、数時間おきに早紀から『私はどうしたらいいんでしょうね』とか『今、佐加にもらったコンブドーナツを食べてます』とか、そんな文言が送られてきていた。『コンブドーナツ』が物理的に何なのかも気になるが、こういうメッセージの送り方をしてくるときは、早紀は不安なのだ。東京にいた時からそうだった。


 いちいち返事しないでスルーしとけば?


 結城はそう言いながらコーヒーを飲み、自分で買ってきた月寒あんぱんをかじった。


 だめだよ。心配してるって知らせなきゃいけないんだ。


 久方は言った。自分も同じタイプだからわかるのだ。誰かにかまってほしいということはどういうことか。

 ただ、久方は疲れていた。

 午前中は橋本が病院に行ったのだが、そこにはヨギナミがいて、


 土地が安すぎるし、家の取り壊しに百万くらいかかるから、売っても意味がないって見積もりの人に言われた。


 と、泣きそうな顔で言っていた。橋本は、


 じゃあ出てく必要もないだろ。

 よかったな。


 と言ったが、ヨギナミは黙り込んでしまった。昼頃来たスギママの話だと、どうせあさみは病気で裁判所に行けないから、話は進まないだろうとのことだった。


 そのうち取り下げると思うわよぉ。

 だってムダだもの。


 と言った。しかし橋本は(久方も)そんなに上手くいくとは思っていなかった。

 今日はあさみも元気がなさそうだった。娘の言葉が嫌だったのかもしれない。ただ、橋本が昔の話をした時だけ少し反応していた。それは自分の話ではなく、久方が子供だった頃、奈々子が生きていて、一緒に行動していた時の話だった。久方自身は全く覚えていないことだった。後で2人がいた市場のことを調べたら、もう廃業してなくなっていることがわかった。大手スーパーの勢いに負けたのだ。


 人の心配より自分の人生の心配しろよ。


 結城が言った。


 新橋の進路なんかどうでもいいんだって。

 お前どうすんの?

 まさかずっとここにいるわけじゃないだろ?


 今は考えられないよ。


 でも考えろや。新橋はあと一年と少しでいなくなる。

 ず〜っとここで一人でいる気か?


 久方は答えなかった。結城は立ち上がり、ゆっくりと部屋を出ていった。ピアノが聴こえてきた。パルムグレンの『粉雪』だ。おかしい、あの邪悪なピアノ狂いがこんな、今日の天気に合うような曲を弾くなんて。


 不気味だ──。


 せっかくきれいな音が降ってきているのに、久方は落ち着かない気分になった。早紀に『おかしい、結城がまともな曲を弾いてる』と送り、早紀からは『いつも弾いてるのは何だと思ってるんですか?』という返事。


 今日は天気に合う曲を弾いてるんだよ。

 それがおかしい。


 結城さんだってたまには成長するんですよ。


 という、どうでもいいやり取りをした。

 ピアノはパルムグレンの他の曲に移っていった。どれも結城らしくない曲だ。

 久方はまた外に出ることにした。疲れていたが、じっとしている気にもなれなかった。雪は止む気配がない。玄関の階段に積もった雪を払い、林の道を歩いた。


 私はどうしたらいいんでしょうね。


 そうだ。わかっている。久方も本当は、これからどうするか決めなくてはいけないのだ。でも、自分に何があるだろう?出来ることなんてほとんどないのに。何をして生きていけばいいのだろう?誰にも理解し難い重い問題を抱えたまま?


 愛がどうこうなんてこの国で言っても、

 みんなバカバカしいと思うんだろうな。


 久方は雪の中を歩いていたが、心はドイツのあの街に飛んでいた。あそこはどうなっているだろう?あの人は今どうしているだろう?去年一度メールが来たきり、音沙汰がない。もう忘れられてしまったのだろうか。


 僕はバカだ。

 そうだ、結城に言われなくても自分でわかってる。


 久方は激しい雪の中に立ち止まった。自分は何を求めてこんな所まで来たのか。なぜこんなに長い間迷走していたのか。死だとか、苦痛からの解放だとか、愛だとか、要するにそういう、どうしようもないものだ。まともに生きている人から見れば、現実逃避をしているようにしか見えていないだろう。そんなことより目の前のことをやれと、世の中の人は言うだろう。世の中には楽しいこともやるべきこともたくさんあると多くの人が言う。でも、どうだ。それが出来るには、まず自分が安定して『存在』していなくてはいけないのではないか。存在しないものは何も出来やしないのだから。


 自分の存在が見えない。


 目の前の草原はもう真っ白だった。一面に。もう『雪原』と呼んでいいだろう。空気中も雪が吹きつけていて視界がきかない。真っ白だ。何もかも。

 久方は立ち止まり、雪の向こう側をじっと見つめていた。


 自分なんて、元からいないようなものなのだ。

 この大自然の前では。






 


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