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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年11月

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2016.11.7 月曜日 研究所


 目を覚ませ。


 研究所。結城が、久方の目を真っ直ぐ見ながら、


 め〜を〜さ〜ま〜せぇぇぇぇ!!!


 うなるように絶叫した。

 なぜかというと、久方があの『サキ君は僕自身』発言を、この助手に向かってしてしまったからだった。11月7日月曜日の昼、外は曇り、昼食は、ヨギナミの母を見舞った帰りにわざわざ遠回りして買いに行った名店のスープカレーだった。


 僕はもう起きてるよ。目が冴えすぎて、

 お前の顔を見るのもうっとおしいくらいだ。


 久方は言いながら大きなチキンを切った。いつも怯えているくせに、この話になると妙に尊大な態度を取る。それが余計に結城を焦らせるのだった。

 何かがおかしい。

 いや、何かじゃない。

 ()()()()、絶対におかしくなってる!


 お前それ新橋本人に言ってみろ。


 結城は言った。せせら笑いながら。


 ドン引きされてあっという間に嫌われるぞ?


 久方は手を止め、少し気まずそうに目線を下に向けた。


 サキ君に言う必要はないよ。


 なんだそりゃ。結局自信ないんだろ。


 これは僕の問題だから。


 あのなあ、お前の問題で済むと思ってんのか?


 結城はいつも以上に強い口調で言った。


 俺が言っても説得力ないけどな、

 あえて言うぞ。

 自分だけ良けりゃいいと思ってやってることでもな、

 いずれ他人を巻き込むことになるんだよ。

 自分だけで済むことなんかな、

 この世には何もないんだよ。

 今だってもう影響が出てるだろ?

 お前は新橋を甘やかしすぎる。

 新橋はお前をナメすぎてる。


 ふ〜ん。


 久方はあからさまに不快を顔に出した。


 自分が言ってもしょうがないって思ってるってことは、

 昔の悪い行いを後悔してるんだな?

 僕にどうこう言える?やばいことばっかしてたくせに。


 おーおーいくらでも言ってろ。

 その手の悪口も説教も聞きすぎて慣れっこだもう。


 結城は完全に開き直っていた。スープカレーを早口で平らげると、自分の容器をキッチンに片付けに行き、すぐに戻ってきて久方をにらんだ。


 お前は新橋じゃないし、新橋はお前じゃない。


 結城は久方を真っ直ぐに見て言った。


 ついでに言うと、

 お前は橋本じゃないし、橋本はお前じゃない。

 新橋も奈々子じゃない。

 でもお前はまず基本をおさえろ。

 新橋はお前じゃない。ただの他人だ。


 それだけ言うと、結城はソファーに移り、テレビを見始めた。





 今日寒いですねぇ。朝の気温はマイナスだそうですよ。


 学校帰りの早紀は、すっかり冬の装いになっていた。かわいらしいミトンとニットの帽子がよく似合っている。久方は届いたばかりの猫用のクッションの前にしゃがんでため息をついているところだった。


 せっかく届いたのに、2匹とも興味を示してくれない。


 かま猫とシュネーは、揃ってソファーの上でくつろいでいた。結城はとっくの昔に2階に逃げ、やかましいピアノソナタ『熱情』第3楽章を何度も弾きまくっていた。嫌がらせだ、そうに決まっている。


 あいつ、昔の行いを反省してるらしいよ。

 さっき言ってた。


 散歩に出る時、久方は早紀にそう言った。たぶん早紀は結城の話を聞きたいだろうと思ったからだ。


 自分だけで済むことなんかこの世に何もないって。

 きっと何かあったんだな。

 他人を巻き込んで迷惑をかけたことが。


 やっぱり奈々子のことだと思います?

 死んだのと関係があるとか。


 そうかもしれない。


 空は曇りだが、空気は冷たく澄んでいた。

 冬の匂いがする。


 今日、河合先生に呼び出しを食らったんですよ。

 いいかげん進路決めろって。

 札幌の大学の資料を渡されました。

 だけど迷ってるんです。

 文章をやるなら、東京の方がいいかもしれないって。


 そっか。


 久方は軽くあいづちを打ったが、動揺していた。

 そうだ、早紀は学生で、高校にいる時間は残り少ない。

 いずれここを去る時が来る。


 やっぱり文化の中心なんですよ、東京は。

 私、こっちに来てわかりました。普通に、当たり前にあると思っていた本屋や町並みやカフェがなくなって初めて、自分の中の、なんて言うんだろう?世界観?そのほとんどが向こうにあるってことに。もちろん秋倉もその中に入ってますけど、私はやっぱり文化がほしいみたいです。


 東京の大学に行くの?


 久方は尋ねた。


 う〜ん、たぶんそうなるのかなあ。

 後で入れそうな大学のこと調べてみます。


 まだはっきりとは決めていないようだ。


 雪が積もったら、

 またポット君に雪だるまを作らせようか。


 久方は話題を変えた。早紀はかまくらを作ってみたいと言った。雪の話をひとしきりして建物に戻ると、今度は保坂らしきピアノの音が聴こえてきた。アメイジング・グレイスをピアノソロで弾いているようだ。猫達はいなくなっていて、結城がクッションに頭を乗せてテーブルに伏して寝ていた。隣に除菌スプレーが置いてあった。


 それは猫の!


 久方が叫ぶと、結城はゆっくりと起き上がった。


 ちょっと頭痛がするんで、ほっといてくれない?

 今保坂にピアノ貸してるから部屋使えなくてさあ。


 具合悪いなら貸さなきゃいいじゃないですか。


 早紀が文句を言った。


 でもあいつ最近ピアノ弾けてないみたいだから。やばいぞ。あいつのママは本気で与儀の奥さんを殺す気だぞ。町の奥さん達を味方につけ始めてるって。

 気をつけた方がいいぞ。


 結城はそう言うと、クッションを持ってソファーに横になった。


 町の奥さんって、

 前に平岸ママの所に来てた人達でしょうか?


 早紀が言った。久方は何も言えなかった。2人はキッチンでコーヒーを飲んだが、お互いに考え事が多すぎて無言だった。『クラスの人に聞いてみる』と言って、早紀は帰っていった。


 完全に弱いものいじめになってるぞ。


 橋本の声がした。同時に、前に同じようなことが起きたような気がした。はっきりとは思い出せない。だけど、以前も似たようなことに遭遇したような感触がする。

 久方は2階に行き、自分の部屋の机に向かった。隣からはまだアメイジング・グレイスが聴こえていたが、ピアノソロではなく、保坂が小声で弾き語りをしているようだ。ピアノ狂いの演奏に比べればさほどうるさく感じない。感覚が麻痺しているのかもしれない。


 みんないなくなる。

 みんな去っていく。


 いつからかつきまとっている呪文のような言葉を、久方は頭の中で繰り返していた。そうだ、自分に関わった人で、近くにとどまっていた人はほとんどいない。

 みんな、いずれは去っていく。


 神戸に電話しよう。


 久方は立ち上がった。唯一まだ失っていない義理の両親のことを思い出したからだ。







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