2016.11.6 日曜日 サキの日記
昼1時頃、所長が平岸家に来た。結城さんを私に会わせたくないのと、今日は保坂や奈良崎が遊びに来てるからうるさいんだそうだ。結城さんとホンナラ組で何をしてるんだろう。気になる。
この時期にしては雪多いな。もう3日も続いてるしなあ。
平岸パパが言った。所長と去年の雪の話をしていた。平岸ママはヨギナミの母親の付き添いでいなかったが、出かける前に大量のパンを焼いていったので、みんなで食べた。
あかねが所長に『最近あの2人はどうなの?』と、結城さんと保坂をネタにBL妄想しようとしたため、私はヨギナミとか奈々子の話をして興味をそらせた。
あの昭和生まれの魔女、風紀委員か何か?
昔アパートにいた姉ちゃん達がそういうマンガを読ませてくれたことあるわ。鞭を持った風紀委員が男の子を教調する話だったと思うけど。
所長と修平が、パンを持ってテレビの間に逃げていった。あかねはそれを見てニヤッと笑うと、
ところで、その魔女、どうやって成仏させる気?
と、真面目に聞いてきた。私もどうしたらいいかわからないと言った。
これがマンガだったら、心残りのことをあんたが解決して、幽霊が感動して『ありがとう、さようなら』って泣きながら消えていくわよね。
未練かあ。オペラアリアが歌いたかったらしいけど。
じゃ、あんたがカラオケ行って練習すれば?
そういう問題じゃないと思う。
ていうかオペラアリアなんか無理。
あかねはそれでカラオケに行きたくなったらしいが、もちろん秋倉にそんなものはないので『また第3で札幌行く?』とか言い出した。高条とカッパがついてくるの嫌なんですけど。
じゃ、佐加も呼ぶ。奈良崎とかも呼ぼっかな。
あかねは勝手に決めたらしく、みんなに連絡し始めた。私は、またヨギナミだけ外されそうだなと思った。
テレビの間に行くと、修平はいなくなっていて、所長がコタツでぼんやりしていた。コタツ似合いすぎ。もうこの家に馴染んでしまっているように見えた。今日は猫は連れてきていなかった。今頃また結城さんが猫で騒いでいないか心配だと言ったら、
サキ君は本当に、結城のことばっかり気にするね。
と言った。
昔あれだけ悪いことしてたって聞いても、まだ気持ちは変わらない?
私は所長の向かいに座った。
自分でも不思議なんですけど、
それについては何とも思わないんですよ。
私は言った。所長は片手で頬杖をついて、うっすらと笑った。
そうだね。昔のことは過ぎたことだし。
今のヘンな行いのほうがよっぽど問題だ。
なんであんなに猫を汚がるかなあ。
所長はいつのまにか、猫達を動物病院に連れて行っていた。そして、2匹とも避妊手術をしていること、かま猫がメスでシュネーがオスであること、前にシュネーに似た猫を隣町の夫婦が飼っていたこと、その夫婦は引っ越ししてもういないことなどを知ったそうだ。
かわいそうだ。シュネーは置き去りにされたんだな。
よくここまで来たなって思ったよ。
所長が目を伏せた。そこに平岸パパがやってきた。
与儀さんのことなんだけどね。
平岸パパが所長に言った。もう身内扱いになってるな、所長(というか、橋本)。
今入院してて出てこれる見込みもないし、
裁判は無理だって、診断書出してなんとか止めようと思うんだよ。
問題は保坂の奥さんが納得するかだなあ。
そうなんですか。
所長は起き上がって言った。
でも、難しいでしょうね。
平岸パパは『そうだなあ』と言いながら出ていった。
理不尽だなあ。
所長がつぶやいた。
昨日高谷君と話したけど、やっぱり、上手く話が伝わらなかった。感覚がね、わからないんだと思う。親に拒絶されるのがどういうことか。全身が硬直して緊張が常に解けない。体が変になるんだよ。考え方だけ、頭だけでどうにかできるものじゃない。
それから顔を上げて笑った。
でもそんなことはいいんだ。サキ君はどう?最近。
奈々子なら、私が雪で遭難しかけた時に喜んでましたよ。吹雪が懐かしかったみたいです。
それから母に聞いた話をした。いとこも友達も死んでしまって、自分も死のうと思っていたこと、バカに出会ったから死ぬのをやめたらしいこと、今でも2人の死を背負って生きていること、そのせいでできた、母と私の距離。
理由はわかったけど、それで今まで避けられてきた時間が急に埋まるわけじゃない。あまり接していなかったせいで私は母のことをよく知らず、母も私の好きな食べ物を間違って覚えている(鳩サブレは嫌いじゃないけど)。どう接していいかわからないのは今も変わらない。
私と所長はしばらく、愛について話をした。よく『人には愛情を持って接しなさい』と言われる。でも、私達はそれが具体的に何なのか知らない。たまに、本能的に、自然に愛のある行動をしている人に会って驚く。でも真似が出来ない。それは単なる『人には親切にしなさい』というのとは根本的に違うから。違うのはわかる。でも正しい体感というのがない。愛されるという体験が抜けていて、何が愛なのかもわからない。それが私達だ。
話し込んでいたら夕食の時間になった。いつの間にか帰ってきていた平岸ママに『外は吹雪だし、泊まっていってもいいのよ』と言われて、所長は顔を真っ赤にして丁寧に辞退し、雪の中を帰って行った。所長は雪景色にも似合いすぎていて、風景に溶け込んでいるように見えてしまう。でも今、本当は、自然から拒絶されている感じがまだ続いていて、苦しいのだ。
あのさ〜、
修平が夕食の後で聞いてきた。
久方、最近おかしくない?
別に、と私は答えたが、修平は、
気をつけた方がいいよ。
俺昨日会ったんだけど、なんていうかな、
正気に見えるけどなんとなくズレてるっていうかな〜、
ひそかにおかしくなってるような気がすんだよね。
それだけ言って自分の部屋に行ってしまった。
意味がわからない。
でも所長が『親に拒絶されたのがつらい』ってはっきり発言したの、今日が初めてじゃないだろうか。今までもそういう話はあったけど、本人やっと自覚しただけじゃないだろうか。
これからどうしたらいいんだろう。初島がまともに所長を愛するようになる可能性は0だし、神戸のご両親では代わりにならなかったんだろうか。
いや、所長より私だ。
うちの妙子をどうするか。
ちゃんとカウンセリング行った?って聞いたら『行ってるよ』とだけ帰ってきた。でも、具体的に何を話しているのか、どうするつもりなのかは教えてくれない。私もなんとなく怖くて聞けない。




