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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年11月

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2016.11.5 土曜日 研究所 高谷修平

「この雪の中を、よくここまで来れたね」

 研究所の玄関で、久方が感心しながら、雪まみれの修平を見た。

「途中で遭難するかと思いましたけどね!」

 修平は言った。雪を払い落としながら。今日も雪が降っていた。それも激しく。

 ポット君がコーヒーを運び、2人は1階のテーブルについた。結城は2階にいるらしいが、今日は楽譜を読んでいて『不気味なほど静か』だという。

「最近、サキの様子おかしくないすか」

 修平はまず気になっていたことを尋ねた。

「いつもイライラして、やたらに叫んだり怒鳴ったりしてる」

「怒れる平岸さんのようにね」

 久方も同意した。

「サキ君のせいじゃない。奈々子さんのせいだよ。幽霊にまとわりつかれてイライラしてるんだ」

 それから、修平を軽くにらんでこう言った。

「あのねえ、普通は幽霊と仲良くなんて出来ないんだよ?君と先生は特別なんだ。僕から見ると異常と言ってもいいくらいだ。こっちの幽霊達はいつ乗っ取りにかかってくるかわからないような存在なんだよ。望もうと望むまいと。それが常に一緒にいる。脅威なんだよ。絶えず存在を脅かされる。君にはわかんないでしょ?よくできた人が一緒にいて、一人になりたいときは都合よく引っ込んでくれるからね!」

「う〜ん、ちょっと違うんですけどまあ、そうかなあ」

 修平は曖昧に言った。

「結城も悪いよ。何か知ってるくせに何も言わない。しかも、奈々子さんだけじゃなく、あの人とも関わってる」

 久方はかすかに震えた。初島のことを話すのは怖いのだろう。

「たぶん悪いことばっかりしてたから話しにくいんすよ。親父から聞いてます」

 修平はそう言ってからコーヒーに口をつけた。苦い。

「高谷君」

 久方は顔をそむけたまま言った。

「あの人に、会ったんでしょ」

「初島ですか?」

「そう」

 久方の目線が下に向いた。

「どんな人だった?」

「濃い緑色のスーツを着てました。髪は白髪が混じってて、見た目は普通の50代くらいのおばさんですよ。ただ、笑い方が異様で気味が悪いんです。はっきり言って」

「そう」

「そうだ。それも言おうと思ったんだ!」

 修平は急に思い出し、身を乗り出した。

「あいつ、絶対いつかここに来ますよ。久方さん。絶対2人きりで会っちゃダメです。幽霊を強制的に呼び出す能力を持ってるんです。防げない奴は乗っ取られるんです」

 修平は熱心にしゃべった。

「本当はここにいないほうがいいんですけど。動く気ないですか?」

「ない」

 久方は下を向いたままつぶやいた。

「そっか。なら、約束してください。絶対、一人で初島に会わないって。俺でも結城でもいいから、とにかく誰かが一緒じゃないとダメだ。サキもダメです。初島の力を防ぐことができないから。わかりましたか?」

 修平が尋ねたが、久方は答えなかった。外の雪は強くなっている。今日帰れるんだろうか?修平は心配しながらまたコーヒーを口にした。

「苦いなこのコーヒー。いっつもこんなの飲んでるんですか?サキも?」

「サキ君はブラックが好きだから」

 久方が顔を上げた。

「久方さんって、サキのこと好きなんですか?」

 修平はからかうつもりでにやけながら尋ねた。しかし、

「そんなわけないでしょ?サキ君は僕自身なんだから」

 とんでもない答えが返ってきた。

「──ファ?」

 修平は真顔で変な声を出した。

「自分自身に恋なんかするわけないじゃない」

 久方は平然と言ってのけた。

「あ〜」

 修平は困った。

「君は僕に何を聞きに来たの?」

 久方は文句を言った。

「佐加や平岸さんみたいに『あの人のこと好きなんでしょ?』とかからかいに来ただけ?僕とサキ君はそんなんじゃないよ。僕らは同じ人間のようなものなんだからね。二人で一人なんだから」

「あ〜」

 修平はさらに困り、地雷を探知して、

「すみません。話題変えます」

 すみやかに逃げた。

「最近、橋本がヨギナミのお母さんのお見舞いに行ってるって、サキに聞きましたけど」

「僕も一緒に行ってるようなものだよ。ずっと意識はあるから」

「大丈夫なんですか?」

「何が?」

「体の感覚がおかしくなったりしませんか?前に先生が言ってたみたいに」

「ううん、むしろ調子がいいくらい」

 久方は薄く笑った。

「調子いいんですか?」

 修平は疑いの目を向けた。

「ねえ、これから意味わかんない話するけど、笑わないで聞いてくれる?」

 久方はそう前置きして、語り始めた。橋本が与儀あさみと心から通じ合っていること。橋本には人を惹きつける力があって、自分にはないこと。橋本があさみから受け取った何かが残っていて、それが久方の体を支えていること。自分には元々、人として何かが欠けていること。その欠けたものを橋本は持っていること。自分には絶対に手に入らないこと。

「その何かって、何ですか?」

 修平が尋ねた。

「人としての、なんていうかな、安定感みたいなの。普通の人は両親からもらうもの。愛情、かもしれない。いや、言いにくいけどそうだと思う。それがこの体を生かしてる。そう感じる。だけど僕にはその力がない」

「なぜないと思うんですか?」

 修平は納得していない。

「親に捨てられたからって言うなら、それは間違いですよ、久方さん。親がいなくても愛情を持って立派に生きてる人なんていくらでもいるじゃないですか。俺の親父だってそうだし先生だってそうだし、橋本だってそうですよ。知らないんですか?橋本の母親は、あいつがまだ小さい頃に子供を置いて出ていったんですよ。先生がそう言ってました」

 久方は驚いていた。修平は話を続けた。

「それに、俺思うんですけど、橋本は元々そんなに出来た奴じゃないと思います。俺が見た、つまり、先生の記憶の中の橋本は、もっとひねくれて反抗的な、なんていうのかな、人と接するのを拒否する奴なんです。ひねくれた子供だったんです。あの頃はみんなそうだった。たぶん橋本は、あなたを守るために成長せざるを得なかったんですよ。それで人当たりの良さを身につけたんです。仕方なくまわりの人と付き合っているうちに、愛情が何かわかってきた。それだけじゃないのかな。俺はそう思いますけど」

「君にはわからないよ。この不安定さは」

 久方がまた下を向いてつぶやいた。

「俺に立派な親がいるからですか?それは違いますよ」

 修平は笑って言った。

「俺だって不安なことだらけだし、いつだって迷ってる。不安定です。みんなそうなんですよ。親がいようがいまいが、健康だろうが病気だろうが。……先生来ないな。また沈んでんのか?橋本と話させたかったんだけどな〜」

 修平は軽い口調で言い、あたりを見回した。

「橋本は先生と話したくないみたいだよ。死んだ理由を聞かれたくないから」

 久方が窓の方を見ながら言った。雪はまだ降り続いていた。

「サキ君は何をしてるのかな。この雪じゃここには来れないだろうな」

 そうつぶやく久方は、とても寂しそうだった。危ないな、と修平は思った。さっきの『サキ君は僕自身』発言といい、橋本と比べて『自分には愛情が欠けてる』とか言うあたり、本当に子供のようだ。迷子の子。18年間、ずっと迷っていたのだろうか?そう考えると恐ろしい。

 そろそろ迷路から出てもらわなければ困る。

 しかも、()()()

「久方さん。やっぱり橋本を病院に行かせるのはよくないですよ」

 修平は思い切って言った。

「今までそうやって橋本の人情に頼ってやってきたんでしょう?でも、そろそろ、自分の力でやっていかないといけない時じゃないかな。本当はもっと早くそうするべきだったと思いますよ。俺も病気で人に頼ってるからあまり人のことは──あ、そうか、わかったぞ!」

 修平は急に立ち上がった。久方は驚いて修平を見上げた。

「だから橋本はあなたから離れられないんだ!自分がいないと生きられないと思ってるから!そうだ。それは久方さん、あなたが他人を頼ろうとしないからですよ!」

「何言ってんの?」

 久方が抗議した。

「今だって僕は結城や、仕事を回してくれる知り合いに頼り切りで、自分じゃなんにも出来てないのに」

「でも、生活費は自分で稼いでいるんですよね?」

「大人なんだから当たり前だよ。お情けで回してもらった仕事だけど」

 久方は気まずそうに視線を横にそらした。

「じゃ〜、もう自力で生きてるじゃないですか。今は仕事したくても働けない人がたくさんいる時代なんですよ?恵まれてますよ。こんな田舎に猫と住んで、仕事して、自然を満喫して」

「それとこれとは話が違うよ。僕は──」

「愛情がどうこうっていう話はもう聞かないですから。ムダなんでしょ?両親がいる俺に言っても」

 久方が傷ついた顔をした。修平はだんだんイライラして、疲れてきた。自分と比べたら、久方は恵まれすぎているくらいなのだ。なぜそれがわからないのだろうか。

「帰ります。あ、そうだ」

 修平は部屋から出る前に振り返って言った。

「こないだ先生の口から『教育的指導』って言葉が出てきたでしょ?あれ、めっちゃ怖いから、もう絶対あっちの世界に落ちちゃダメですよ。マジで恐怖ですよあれ。何時間もネチネチと己の言葉の間違いを指摘され続けますよ」


 


 林の道に出ると、一面真っ白で、階段も雪に埋まっていた。積もった雪に足を取られながらゆっくりと進んでいくと、林の入口にオレンジ色のショベルカーが停まっていて、

「お〜い!大丈夫か〜!?」

 運転席から平岸パパが手を振っていた。除雪しながらここまで来たらしい。

「これに乗れる季節を待ってたんだよォ!!」

 平岸パパは嬉しさと寒さでほおを赤らめながら笑った。修平は、

「マジっすか」

 と言いながらゆっくりと近づき、乗せてもらって平岸家まで帰った。









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