2016.11.3 木曜日 祝日 サキの日記
『愚かな者の特徴は、自分が賢者に見られたいということです。見栄を張って、威張ろうとします』
アルボムッレ・スマナサーラの『ブッダの教え 一日一話』の10月29日のページにこう書いてある。読んだ瞬間に「杉浦!」って思ってしまった私も、けっこう煩悩の多い嫌な奴かもしれない。
今日、私は図書室で本をいろいろ手に取って時間をつぶした。文化の日だしちょうどいい。所長は今日、また橋本に体を貸して(そういうことを平気で出来る感覚がわからない!)病院に行ってしまっている。もちろん結城さんも一緒に。もうついていく気になれない。
このまま橋本でいる時間が増えて、所長が少しずつ消えてしまうんじゃないか。
私はそれを考えただけで落ち着かなくなる。
図書室内をうろついていたら、伊藤ちゃんが修平を呼んで何か文庫本を渡した。修平はそれを私の所に持ってきて、
あのさ、うろうろすんのやめて、
座ってこれ読んでてくれない?
と言った。ムカついたけど、カウンターから伝説の図書委員長の怖い視線を感じたので、言われた通り座席について、渡された本を読んだ。
尾川正二の『文章のかたちとこころ』という本だった。かなり古い本みたいだった。でも、読み始めたら面白くて止まらなくなった。今まで『文章の書き方』みたいな本は数え切れないくらい読んでいたけど、この本はそのどれとも違っていた。ただ、今の私には難しくてよくわからない所もあった。勉強しよう。
なぜ伊藤ちゃんは、人の本の好みが読めるんだろう。
めっちゃ怖いんですけど。
夢中になって読んでいるうちに昼になった。勉強していた先輩達がいったん出ていき、伊藤ちゃんはアルミホイルに包まれた真っ黒なおにぎりを食べ始めた。私と修平は平岸ママが作ったポークサンドを食べた。伊藤ちゃんと修平はなぜかエリザベス女王の話をしていた。よく聞くと今の女王ではなく、昔の、エリザベス一世の話らしい。伊藤ちゃんが最近読んだ本がこの女王についてのもので、
『後継者は自分が産んだ子である必要はない』
と公に発言していたという所に、伊藤ちゃんは惹かれたらしい。
『ふさわしい後継者は、神が準備してくださるでしょう』
だ。
1時になるとまた先輩達が受験勉強しに戻って来た。私も勉強したほうがいいかなと思いながら、本の残りを読んだ。気に入った所を写したいので貸し出し手続きをしてもらい、2時半頃に学校を出た。
久しぶりに、駅の近くまで歩いてみた。祝日の昼間。閉まっている店が多くて、人は少ない。ここにあるのは建物だけで、誰も住んでいないんじゃないかと思い始めた頃、カフェのまわりだけ人の気配に満ちていることに気づく。寄っていこうかと思ったけど高条に会いたくないので、桜がある公園のあたりを歩き、そのまま平岸家のエリアに通じる真っ直ぐな道に入った。
朝方降っていた雨はやんでいた。今時期は雨になったり雪になったり、服装が難しいと平岸ママが言っていた。傘を使うかどうかも。雪の日や風が強い日は傘を使わず、フードつきのコートなどで歩いたほうが動きやすい。
草原の風は強くて、冷たい。
大丈夫だろうか。着くまでに凍えたりしないだろうか。
急に心配になるくらい、寒い。
私は早足で道をひたすら歩いた。研究所に通じている林の道の前で少し迷ったけど、今日は真っ直ぐアパートに帰ることにした。冷え切っていたのでしばらくストーブの前から離れられなかった。人って、寒すぎると、まわりの景色を見たり、他のことを考える余裕がなくなるんだなと思った。
ダメじゃない。ちゃんと暖かくしてないと。
冷えは女の大敵なんだから。
その話をしたら平岸ママではなく、あかねに説教された。夕飯はビーフシチューだった。
所長か『今日は雨が降ったね』と言ってきた。それから、病院で(橋本が)見聞きしたことが少し書いてあった。ヨギナミのお母さんが少しだけ声を発したけど、言葉になっていなかったそうだ。どうも、家を処分されるのを嫌がっているらしいとのこと。ヨギナミにメールで伝えたら『でも仕方ないの』と言われたと。午後には元に戻り、研究所には保坂がピアノを習いに来てたけど、裁判の話は出なかったそうだ。
所長、少しは自分のことも考えてくださいね。
私はそう伝えた。
結城さんにも会いたくなった。でも、会ってもあまり話とかしてくれなさそうな気がする。
明日は研究所に行ってみよう。




