2016.11.2 水曜日 音楽の授業 高谷修平
「偏見の多い時代だったんだ」
修平は夢で見たことを説明してから言った。音楽の授業中だったが、今野先生が用事でおらず自習になったため、勝手にCDやレコードを取り出して遊んでいた。
「残念だが、その偏見は現代でも大して変わっていないように思えるね」
杉浦がレコードプレーヤーをいじりながら言った。早紀はさっきからぼんやりした様子で、話しかけると『昨日眠れなかった』とだけ答えた。
杉浦がレコードに針を落とすと、シューマンのバイオリンソナタが流れてきた。
「この曲うるさくない?」
早紀が言った。
「何を言っているのかね。この感情を刺激する音がいいんじゃないか」
杉浦は相変わらずの変な口調で言った。それから、
「今よりもさらに、はみ出した者への視線は冷たかったはずだよ。70年代から80年代にかけてはね。ちょうど詰め込み教育にバブルで、生き方がかっちりと型にはまっていた時代とも言える。一流大学に行き、一流企業に行くという流れが出来た時代だ」
「お前なんでそんなこと知ってんの?」
修平はどうでもいいと思いつつ尋ねた。時代がどうだったかにはあまり興味がなかった。興味があるのは、その時生きていた個々の人々がどう行動して何を話していたかということだ。
「昔の本を読んでいると、その時代特有の偏見を表す言葉が出てくる。『精神薄弱児』という表現。らい病、ハンセン病という言葉も多く出てくる」
「それ聞いたことある。差別がひどかったやつ」
早紀がビートルズのレコードを取り出しながら言った。
「こっちにしよう。その曲聴いてるとムカつく」
「なぜムカつくのか分析して理解してからにしてはどうかね」
「ホソマユうざい」
早紀は佐加の口調を真似た。
「ああ、佐加の悪い影響がここにも現れている。悪い言葉ほど広まりやすい。それに、昔から真面目な人間ほど嫌われるものなんだよ。80年代から90年代の本の中では、真面目な優等生は『いい子ぶってる』と言われて嫌われていてね──」
「いいからレコード替えろ!」
早紀が叫んだ。杉浦はしぶしぶビートルズを受け取った。
「90年代になっていじめや不登校が増えると『そもそも学校に行くのはいいことなのか?』という疑問を発する人も現れ始める。学校の勉強より大事なことがあるのではないかというわけだ。しかし、そう言っていた人々も大半は普通に高校や大学に行って就職した。まるで学生運動で暴れていた大学生が、就職の時期になったとたん大人しくなったようにね。学校の勉強を疑う人々が、実は一番学校の卒業証書にこだわっていた。人のやることはいつの時代も変わらない」
修平は杉浦の言っていることが本当かどうか怪しんでいた。本で読んだ知識をてきとうにつなぎ合わせてしゃべっているだけではないのか?
「杉浦、昔の話ばかりしてるけど、今はどうなの?現代は?」
早紀が尋ねた。
「インターネットが全てを変えた、と言いたい所だが、大して変わっていないよ」
杉浦はそう言ってから、ビートルズの『From Me To You』をレコードに合わせて口ずさみ始めた。
「今野先生やる気なさすぎ」
修平が言った。
「あれってやっぱ、もうここ廃校になるから?だからやる気しね〜って?」
「いや、元々非常勤で、教師が本業ではないのだよ」
杉浦が答えた。
「あの人の本職って何?」
早紀が尋ねた。
「本人は将棋のプロのつもりだ。浜で教室もやっている」
「あ〜!だから将棋の本ばっか見てんのか!」
修平が叫んだ。
「なんでそんな人が音楽の先生なの?」
早紀が不満そうに尋ねた。
「一応音大は出てるからではないかな」
杉浦は答え、また曲を口ずさみ始めた。英語の発音は良いが、音はずれていた。
「俺、土曜日に久方さんに会いに行こうと思うんだけど」
修平が早紀に近寄って、小声で言った。
「なんで?」
早紀は少し後ろに下がって尋ねた。
「なんでって、俺も当事者でしょ?先生を橋本に会わせたいんだけど」
「ダメ」
「なんで?」
「これ以上橋本の時間を増やしたくない」
早紀の目つきは鋭かった。これ以上押すとかみつかれそうだ。
「じゃあ久方さんと話すよ。どっちでもいいんだ。話さえ聞ければ」
「勝手に行けば?」
「なんで怒ってるの?」
「怒ってません──あ〜!うるさいホソマユ!」
早紀は歌っている杉浦に向かって怒鳴った。
「あぁ〜これは大変だ!新橋さんに佐加が憑依している」
杉浦は大げさに頭を抱えて見せた。
「このクラスの言葉遣いの崩壊ぶりは嘆かわしい。よし、今日の帰りに敬語塾を開催してみんなで正しい日本語を学ぼうじゃないか」
「うざっ」
ちょうどチャイムが鳴ったので、早紀は心底嫌がりながら真っ先に音楽室を出ていった。
「ほんとに敬語塾やんの?」
修平が尋ねた。
「今のは言葉のあやさ。お望みならやるけどね」
杉浦が笑った。




