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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年11月

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573/1131

2016.11.2 1979年

 初島医院。

 新道隆はにこにこしながら、鉄格子の間にチョコレートを差し込んだ。向こう側にいる50代くらいのおばさんがそれを受け取った。2人はよく話をする仲だった。

「タバコはないのかい」

「未成年だから()()()()

 新道は言った。

「まじめ君だねえ。ま、ありがと」

「今日は友達の家に行くんだ」

「そうかい」

 おばさんがギョロッとした目を新道に向けた。

「あたしも若い頃は友達と遊んだよ」

 チョコレートの銀紙をむき、ひとかけらを新道に差し出し、残りにかぶりついた。

「あたしだってねえ、あんたと同じ人間だよ」

「うん」

「同じように学校に行って、結婚もしたよ」

「うん、知ってる」

 新道はチョコレートを口に入れながら言った。

「なのに、なんでかねえ、こんなとこにいるんだよ。家族も帰って来るなってさ」

「そうか」

「あんたの親はまだ見つからんの?」

「うん」

「記憶は戻ったの?」

「何も」

「そうかいそうかい」

 おばさんは皮肉っぽく笑った。

「じゃあ、あたしの仲間だ」

「そうだね」

 新道は寂しそうに笑った。




 1時間後、新道は菅谷の家の前にいた。隣には根岸菜穂と初島緑がいた。菅谷は『初島を連れて来るな』と言っていたが、なぜか初島は今日の予定を知っていて、菜穂の家の前に現れ、ついてきてしまったのだ。

 菜穂は口数が少なく、青白い顔をしていた。

「ナホちゃん、どうしたの?」

 新道が尋ねた。

「ち、ちょっとき、緊張しています」

 菜穂はおかしな口調で答えた。

「ここの家の人、ナホのお父さんの知り合いなのよ。だから怯えてんの」

 初島が言った。

「知り合い?なのに緊張するの?」

 新道が尋ねると、初島は軽蔑のこもった目で新道をにらんだ。

 新道は不思議に思いつつ呼び鈴を鳴らした。髪の白い、エプロンをつけたおばあさんが出てきた。家政婦のお菊さんだ。お菊さんは3人をリビングルームに案内すると、奥に引っ込んだ。

「あらまあ、ようこそザマス」

 菅谷の母、市子が、にこやかに現れた。やはりパールのネックレスをして、きれいな服を着ていた。

「お久しぶりねえ!ナホちゃん。何年ぶりかしら?」

 市子がそう言ったので、新道は驚いて菜穂を見た。

「し、小学校のとき以来です」

 菜穂が緊張した面持ちで答えた。

「そうそう、昔近くに住んでたんザマス。でも根岸さんは山の方に大きな家を買ってお引越しされてねえ」

「そうなんですか」

 新道が言うと、今度は初島が、

「はじめまして。初島緑です。父は精神科医で──」

 新道に意地の悪い視線を走らせ、

「新道はうちの病院の()()です!私は付き添いで来ました!」

 と言った。市子と、お茶を運んできたお菊さんの表情が険しくなった。

「あ!あの!シンちゃんは交通事故にあったんです!」

 菜穂が慌てて叫んだ。

「それで頭を打っちゃって、ちょっと記憶がなくなっちゃって、それで病院に行ってるんです!精神病ではないです!」

 それを聞いて、市子の顔色は良くなった。

「まあ、それは大変ザマス。ご両親がいないことはもう聞いてたんザマスけど」

 市子が言うと、菜穂は安心したように笑い、初島は不満そうな顔をした。新道は、今のみんなの反応が何を意味しているか、よくわかっていなかった。

「なんだ、もう来てたのか」

 菅谷が入ってきて、初島をにらんだ。それから、『部屋に飲み物を持ってきて』とお菊さんに言った。そして、

「お前、何しに来た?」

 初島に尋ねた。

「何よ?私が来ちゃいけない?」

「お前、新道をおとしめようとしてわざと変なこと言ってるな?」

「あら、何のこと?」

 初島はニヤケ笑いを浮かべた。

「とぼけるなよ」

 菅谷が初島につかみかかろうとしたが、

「誠一さん、落ち着くザマス」

 市子が息子の前に出た。それから、

「あとでデザートを用意してもらうザマス」

 と言って出ていった。

「お前は呼ばれてない。帰れよ」

 菅谷は初島に容赦なく命令した。

「言われなくても帰るわよ。じゃあね、ナホ」

「みどりちゃん……」

 菜穂はすがるような目をしたが、初島は無視して出ていった。

「気にするなよ」

 菅谷が新道に言ったが、新道は『え?何を?』という顔をしていた。

「なんでもない」

 菅谷は頭に手を当てながら言った。

「俺の部屋で勉強しよう。まずは英語だ!」

「えっ?」

 新道が止まった。英語が大の苦手だからだ。

「えっ?じゃないだろ?お前が一番やらなきゃいけない科目だぞ?」

「そうだ!シンちゃん、小テスト0点だったもんね!」

 ナホが叫び、新道は、

「やだああああ!」

 と泣きそうな顔で叫んだ。




 2時間後、新道は疲れ果てて廊下を歩いていた。橋本には、菜穂と菅谷を2人きりにするなと言われていたが、2人してわけのわからない言語でしゃべりまくり、動詞だの副詞だの形容詞だの理髪師だの札幌市だの、とにかくわけのわからない『し』のつく言葉を言われすぎて頭が痛くなってしまった。トイレに行き、戻ろうかどうしようか廊下で迷っていると、お菊さんがキッチンでババロアを作っている所に出会った。

「おやまあ、どうしました?お腹が空きましたか?」

 お菊さんは新道に気づくと、にこやかに尋ねた。

「いいえ」

「あなた、さっきの女の子のことは気にするんじゃありませんよ?」

 お菊さんは、哀れみのこもった目を新道に向けた。

「えっ?」

 新道は何のことだかわからなかったが、お菊さんはこう続けた。

「ここの奥様はよくできた心のお優しいお方ですから、あなたが精神病院に関わっていたとしてもお気にはなさいませんよ。でもねえ、世の中はそんなに甘くはございませんからね。精神科に通ってるなぞと言いふらすのは止したほうがいいですよ。あなたはまともな方なんでしょう?」

「ちょっと待ってください」

 新道は慌てた。あの病院の何がいけないのか、全くわからなかった。

「あの病院に入ってる人はみんな俺の友達です。何がいけないんですか?あの人達と俺に、そんなに違いがあるとは思えません」

「まあ、なんてお優しいんでしょう。今どきの若者とは思えないわ」

 お菊さんは本当に、心から感心していた。

「でもねえ、とても残念だけれど、世の中はそういう風には見ないのですよ。いいですか、私は戦争中に3人の息子と2人の娘を育てて、全員ちゃんとした相手と結婚させました!ですからね、わかるんですよ。結婚相手の親ほど差別的で厳しいものはないってことが。やれ収入が少ない、やれ家がよくない、やれ見た目が気に入らんとね。あなた、そこに精神病の話なんか入ろうものなら、まず相手の親は承知しないんですよ。ですからね、あなたも、むやみにそういう話をしなさんな。お相手の女性の親御さんの耳にでも入ったら、おしまいですよ」

 新道はショックで口がきけなくなった。そんな差別があることを今まで知らなかったのだ。

「勉強ばかりではお疲れでしょう。今ババロアを持っていきますからね」

 お菊さんは愛想よく言った。新道はふらついた足取りで菅谷の部屋に戻った。

「シンちゃん、おそ〜い!」

「どこでサボってたんだ?」

 菜穂と菅谷が同時に文句を言った。

「お菊さんが今、ババロアを持ってくるって」

 新道はぼんやりと言った。

「ババロア?」

 菅谷が嫌そうな顔をして、

「もっといいものを用意しろって言ったのに。あのババアいつもババロアばっか──」

 ブツブツ言いながら部屋を出ていった。新道は菜穂を見た。なんとなく浮かない顔をして、落ち着かない様子だ。

「ナホちゃん」

 新道は話しかけてみた。

「もしかして、人の家に行くの苦手?」

「え?ううん?違うの」

 菜穂はかわいらしく首を横に振った。

「ここの人、うちのお父さんと知り合いだから」

「お父さんと知り合いだと何かまずいの?」

「それは……」

 菜穂は気まずそうに目を泳がせた。

「ナホちゃん」

「なあに?」

「今度、ナホちゃん家に行ってもいい?」

「えっ?」

 菜穂の顔が引きつった。

「ごめん、それは、ダメ」

 その返事に、新道はさらにショックを受けた。ナホちゃんまでもそうなのか。やっぱり精神科のせいか?それとも貧乏なアパート暮らしのせいか?

「あ!で、でも、お兄ちゃんなら!」

 菜穂は慌てて言った。

「お兄ちゃんはすごく優しいから!今度お兄ちゃんをアパートに連れて行くね!」

「うん、わかった」

 新道はショックを顔に出すまいとした。

「お兄さん、なんて名前」

ひろし。北大にいるの」

「そっか」

「ケーキが出てくるから少し待ってて」

 菅谷が戻って来た。

「あれ?ババロアは?」

 新道が尋ねた。

「それはもう忘れろ」

 菅谷が新道をにらんだ。3人は元の英語の勉強に戻った。




 

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