2016.10.28 金曜日 ヨギナミの家
ヨギナミは家の中を片付けていた。この家も、土地も、売り払うことにした。もちろんヨギナミは未成年なので、そういう決定をする資格はない。しかし、いずれそうしなければいけなくなるのは明らかだ。まず、入院費用が払えない。そして、保坂の奥さんが求めている慰謝料──どうあがいても払える金額ではない──がある。少しでもいいから減額してもらって、なんとかするしかない。
母は意識を取り戻したが、話せる状態ではない。こちらの言っていることは聞こえているようなので、意識があるうちに書類に判を捺すことを承認してもらうしかない。
平岸パパは保坂の奥さんを説得しようとしたが、無理だったらしい。
こんな田舎の何もない所の土地は、大した金額にはならない。だけど他に売るものはない。あと何年か待ってもらえれば、公務員になって、まっとうな給料がもらえるかもしれないが。
捨てられるものは全部捨てることにした。思い出のあるものはあまりない。貧乏だからおもちゃや服を買ってもらったこともないし、中学の頃からバイトをしていて家にはあまりいなかったから。だけど、思い入れのあるものが全くないわけではない。ヨギナミが小さい頃の写真が何枚かあった。でも本当に昔、2、3歳、一緒に映っている母は心の底から憂鬱そうだ。きっと産みたくなかった子供だからだろう。
ヨギナミは写真を全てゴミ袋に入れた。外からは強い風の音がする。もうじき雪が降ってこのへん一帯は埋まるだろう。
乗り切れるのだろうか、この冬を。
考えると怖くなるだけなので、ヨギナミはひたすらゴミを集め、物を片付け、床を拭いた。
キッチンを片付けようとした時、手が止まった。
私はどこで暮らせばいいんだろう?
真っ先に思いついたのは平岸家だが、これ以上あの家に頼るのは気が引けた。あそこは本来、ある程度余裕のある親が、高い金を払って子供を預ける所だ。タダで入れてほしいなんて言うわけにはいかない。
町のどこかに借りられる所はあるだろうか。でも、みんな母を嫌っている。自分が受け入れられるとは思えない。
ピンポーン!ピンポーン!
外から変な声が聞こえた。
ね〜!ここのインターホン壊れてな〜い?
ドアを叩く音がした。
だからってピンポーンとか口で言うな!
佐加の声がした。それで気づいた。ピンポーンと叫んでいるのは佐加の母親だ。
ヨギナミはドアを開けた。パーマがくるくるしているおばさんと、佐加がいた。
ごめんね〜。
ママが来る来るってうるさいから連れてきちゃった。
佐加が本当にすまなさそうな顔をした。
これ!浜弁!
今は数量限定しててなかなか食べれないんだから!
おばさんが浜町の名物を3箱、ヨギナミに差し出した。
あれ〜?掃除してたの?
おばさんがいっぱいになったゴミ袋を見て言った。
え?これ捨てるの?
あー!ダメじゃん!ヨギママの写真捨てちゃ!
佐加がゴミ袋の中から写真をつまみ上げた。
いいの、もう置き場所がないから。
ヨギナミは冷たい目で答えた。
んじゃ、あたしが預かっとく。
おばさんが娘の手から写真をひったくり、素早く自分のショルダーバッグのポケットに入れた。ヨギナミが断るすきもなかった。
とりま弁当食おう。お湯沸かしてくる。
佐加がキッチンに行った。ヨギナミは弁当を座卓に並べ、おばさんに座るように言った。それからキッチンに向かった。
何考えてんの?
佐加がやかんを火にかけながら、横目でヨギナミをにらんだ。
ここにはもう住めないから、
物を捨てなきゃいけないの。
住めない?なんで?
佐加に聞かれたが、ヨギナミは答えたくなかった。黙って湯呑を出した。
食事中は3人とも無言だった。弁当の中身がだいたいなくなった頃に、
奈美ちゃん。うちの子にならない?
佐加のおばさんが言い出した。
お母さんが入院してるとこ、ここより浜の方が近いし、バスだって通ってるし、うちの車もあるし。部屋一つ開いてるし、うちは常に人手足りてないから。
明日の秋浜祭は超忙しいよ。
コスプレ衣装取りに来る客も多いし。
そういえば明日は秋浜祭だ。すっかり忘れていた。レストランが出店するから行かなくてはならない。母の付き添いはどうしたらいいのだろう?
あの、ちょっと電話してきてもいいですか?
ヨギナミは平岸ママに電話した。すると、
もう杉浦さんと交代で行くって決めてるから大丈夫よ。
と言われた。ヨギナミはお礼を言って電話を切った。
美月が男の子だったら、
奈美ちゃんにお嫁に来てもらうんだけどなあ。
おばさんが残念そうに言った。
それうちもめっちゃ思ってる。
佐加までそんなことを言い出した。どうしてみんな同じことばかり言うのだろう?やはり同情して気を使っているのだろうか。
あのう、ありがたいお話ですけど、
私はまずこの家を片付けないといけないので。
ヨギナミは遠慮がちに言った。
そっか。でも、泊まりたくなったらいつでも来てね。
おばさんが人懐っこく笑った。佐加にそっくりだった。
それから3人で家の中を掃除した。あまり見たことがない母の持ち物、つまり、ベッドの横にある棚や衣装ケースの中も開けてみた。中学、高校の卒業アルバムが入っていた。佐加が嬉々として見ていたが、ヨギナミはなんとなく見たくないと思った。母が自分を産む前、まだ元気だった頃のことを。
うわ〜これ平岸ママじゃん。
この時からめっちゃ強そう!見てこれ!
そこには、着物を着て花を手に持った平岸ママ(若い頃)と、スギママっぽい女の子(今とあんまり変わらない)が写っていた。その隣に、若い母、あさみがいる。心から楽しそうに笑っている。
母のこういう顔を、ヨギナミは見たことがなかった。
平岸さんはたしか、お花と薙刀の免状を持ってるって言ってたねぇ。
おばさんが言った。
うわ〜めっちゃ強い女じゃん!平岸ママ。
薙刀ってあれでしょ?江戸時代のお姫様の武器でしょ?
佐加が剣を振るような仕草をした。ちょっと違うような気がしてヨギナミは苦笑いした。
平岸ママは、強い。
うちの母は、そうではない。
悲しくなってきたので、アルバム類は佐加に任せて、キッチンに引っ込んだ。調理器具はまだ使う。でも、出ていく時は処分しなければいけない。とりあえず、あまり使っていない皿と小物を引き出しや棚から全部出した。昔、おばあちゃんが出ていくまで使っていたというホーローの小鍋。この花柄が好きだった。使われなくなったガラスのコップ。子供の頃使っていたクマちゃんのフォークとスプーン。
燃えないゴミに放り込んでいたら涙が出てきた。
私が何をしたと言うのだろう?
ただ、気がついたら生まれてきていただけなのに。
やれることは全部やってきたのに。
何がまずかったのだろう。
服の袖で涙を拭いて、ゴミ袋の口をしばった。佐加のおばさんが近づいて来て、ヨギナミの肩にそっと触れた。振り返ったら大声で泣いてしまいそうだ。おばさんはそっとしておいてくれた。
また来るから。明日祭でね。
そう言って、娘を連れて帰っていった。
そうだ、明日はレストランのブースで働かなくてはいけない。もうずいぶん休んでしまった。これ以上スタッフやシェフ、オーナーに心配も迷惑もかけられない。
ヨギナミは早めに眠ることにした。明日に備えて。




