2016.10.27 1979年
「菅谷の家で勉強会するんだけどさ」
橋本古書店。新道が控えめに言うと、本を読んでいた橋本が横目でにらんできた。
「橋本も来ない?」
「ハァ?」
橋本がきつい声をあげた。
「なんで菅谷ん家なんか行かなきゃいけねえんだよ?」
「だって試験が近いじゃないか」
「だから何だよ?」
「菅谷は頭いいし」
「あいつは頭なんかよくねえって」
橋本が言った。
「成績がいいのと頭がいいのは違うんだよ」
「どう違う?」
「何が起きても上手く対処出来る奴が頭のいい奴。お前、どうせ根岸を連れてこいって言われたんだろ?俺じゃなくて」
「なんでわかった?」
「わからねえ馬鹿がいるか?」
「おい、お前、もっと優しく話せ」
ハタキを持っていた店主が注意した。
「うるせえって」
「しかしそれは聞き捨てならねえなぁ」
店主が新道に向かってニヤッと笑った。新道は言われた意味がわからず、橋本を見た。
「お前本当にわかんねえの?」
橋本が尋ねると新道は、
「わかんない」
と言った。
「あのなあ、菅谷は嫌な奴だけどな、金持ちの息子で、女の子からラブレターをもらうくらい顔だけはいいんだぞ。そういう奴が根岸を家に呼ぶんだぞ。女は見た目と金に弱いんだぞ」
橋本が言うと、新道の顔が少しずつ悲しみを帯びてきた。
「ごめんください」
初島が店に入って来た。不要になった本を数冊抱えていた。
「あら、新道。ここで何をしているの?」
初島が新道を怖い目でにらんだ。
「菅谷ん家にムググググ」
橋本が慌てて新道の口をふさいだ。
「菅谷が何?」
「菅谷が根岸を狙ってるって話だよ」
橋本は曖昧にごまかした。
「そんなわかりきったことを話すのに、なぜ慌てて口をふさぐ必要があるの?」
初島の声は冷ややかだった。
わかりきったこと。
そうだったのか。
全く気づいていなかった新道は衝撃を受けていた。
菅谷もナホちゃんが好きなのだ!
「お前何しに来たんだよ?」
「私は客よ。本を売りに来たの」
初島は本を店主に渡した。店主は机に向かってそれを吟味し始めた。
「お前、まだ何も思い出せねえの?」
橋本がお決まりの質問をした。新道は黙って首を横に振った。
「いいか、根岸を菅谷に渡すんじゃねえぞ」
橋本は小声で言った。新道は急に目を覚ましたかのように顔を上げた。
「後で、根岸が買ってった本のリストを見せてやるよ」
「えっ?」
「言っとくけど作ったのは俺じゃなくて親父だからな?」
橋本は父親を見て顔をしかめた。
「客の好みを勝手に記録してんだよ。気味が悪いからやめろって言ってんのに。まさか役に立つ日が来るとはな。それ見てお前、根岸の好みを研究しろ。頭使わねえと金持ちには勝てねえぞ」
「何してんのお父さんムググググ」
店主に向かって叫ぼうとした新道は、また橋本につかみかかられた。
「あんた達さっきから何してんの?」
「なんだ?ケンカか?」
初島と店主が同時に2人を見た。
「何でもねえって」
橋本は言いながら新道を店の奥に引っ張っていった。
「お前は絶対に、根岸から離れるなよ」
橋本が改めて言った。
「菅谷と2人きりにさせないようにしろ。わかったか?」
「なんで?」
「なんでとはなんだよ?」
「なんで橋本がそんなことを気にする?」
「俺は菅谷が嫌いなんだよ!ビルに来られるのもうっとおしいんだ本当は!」
新道は橋本をじっと見た。そして、
「わかった。やってみる」
と言って、店を出ようとした。
「おい新道。今日も家で飯食っていけ」
店主が声をかけた。新道は目を輝かせながら店の奥にある台所に消えた。新道は店主に気に入られていて、最近よくここで食事をしていくようになっていた。
「気に入らない」
初島が小さくつぶやいた。
「新道の親はまだ見つからんのか」
店主が初島に尋ねた。
「見つかるわけないじゃない。ねえ?」
初島は橋本の方を見て、奇妙な笑い方をした。何かを知っている、そんな顔だ。橋本は初島とは長い付き合いがあるので、こういう顔をするときは何か企んでいるとわかっていた。
「おい」
橋本が初島に言った。
「余計なことすんじゃねえぞ」
「え?何それ?わかんな〜い」
初島はふざけて言った。
「150円にしかならんが、いいかい?」
店主が小銭を出しながら尋ねた。
「値段がついただけマシね」
初島は言い、小銭を受け取ると、また橋本に笑いかけて店を出ていった。
「しかし新道は災難続きだなァ」
店主がつぶやいた。
橋本は何も言わずに、新道の後を追った。




