2016.10.25 火曜日 サキの日記
私は今日、学校を休んだ。ちゃんと河合先生に許可を取って、ヨギナミのお母さんのお見舞いに言った。橋本を見張るためだ。
なんでお前がついてくるんだよ?
昼間っから変なことされたら困るからです!
監視します!
何ィ!?
車の中でそんなことを言い合った。結城さんは無言で運転していた。所長も何を考えてるんだろう?ヨギナミのお母さんのために昼間の時間まで橋本に譲り渡してしまうなんて。もしかして所長も彼女のことが好きなのか?そうだったらどうしよう。
病院は秋倉からかなり離れた町にあり、着くまでけっこう時間があった。その間橋本はなぜか、『由希はどうしてる?』『親父はどんな奴なんだ?』『なんでこの町に来た?』と私に質問ばかりしてきた。母がどう生きていたか気になっていたらしく、アイドル時代の話とか、バカと結婚したときのもめごとの話をしたら驚いていた。いとこの女の子がスプラッタ女優になっているなんて、夢にも思わなかったのだろう。
なんでそんなバカと結婚したのあいつ。
私に聞かないでください。こっちが知りたいですよ。
待てよ、新橋五月だろ?
テレビで見たことあるな。あいつたしか──。
橋本が考え込んだ。
あいつ、幸平に顔が似てるな。
幸平?ああ、母の友達ですね?
あんたのせいで自殺したという。
車内が沈黙に包まれた。
もしかしたら、それであのバカを選んだのか?
死んだ友達に顔が似てたから?
どうして母のまわりには、
死の影ばかりつきまとうのだろう。
私も聞きたいことがあるんですけど。
後ろから奈々子がヌッと出てきた。
驚いてのけぞった。
あんた一体何やってんの!?
創くんの体を使って女の人と付き合うなんて!
出た!お説教!自分だって私の体を使って結城さんに泣きついてたくせに!
付き合ってねえって!
やましいことは何もしてねえって!
橋本は叫んでから、急に冷静な顔になって、
久しぶりだな、奈々子。
と言った。
また会うとは思わなかった。ねえ、初島に連れ去られて札幌を出てから、あんたたち、どうしてたの?神戸に行ったって話は聞いてるけど。
奈々子が尋ねた。
神戸でいい人達に引き取られたんだよ。
初島がこいつを置き去りにしてったから。
橋本が言った。
普通に暮らせた?
いや、こいつは普通になんかなれないんだ。今でも。
そうなのね。
未だに人を怖がる。
もう20はとうに過ぎた大人だってのに。
そうなんですか。
私は窓の外を見た。建物が多くなってきていた。でも少し向こうには山があって、そのまわりは広く開けた草原だ。
今日だって引っ込んじまって気配を感じねえ。
どこ行ったんだ?
所長はあんたのために引っ込んでるんです。
大人しくヨギナミのために働きなさい。
言われなくても今向かってるだろ?
何だその言い方は?
私は嫌なんです!本当は所長と来たかったんです!
また車内を沈黙に沈めてしまった。
もうそろそろ着くぞ。
結城さんが言った。大きな白い建物が見えた。病院の入口で、平岸ママが手を降っているのが見えた。平岸ババやスギママと交代で様子を見に来ているという。
平岸ママとスギママとヨギナミの母親は、学生時代からの親友だそうだ。
受付はすごく広くて席がたくさんあった。だけど、廊下を進んでいくにつれ、徐々に通路が狭くなり、周りから圧迫を感じるようになっていく。まだ進むの?どこまで行くの?と言いたくなるくらいいくつもの廊下を通り、やっとたどり着いた病室で、やっとヨギナミを見つけた。ベッドには母親が横たわっていた。目つきがぼんやりして、顔は白かった。
ヨギナミは目の下にクマができていて、疲れているようだった。私が佐加から預かったチョコレートとポッキーを渡している間に、橋本は母親の方に近づいて名前を呼んでいた。母親はうっすらと笑っていたが、話すことは出来ないみたいだった。
お前、もう何時間ここにいるんだよ?
帰って休んだらどうだ?
橋本がヨギナミに言ったが、ヨギナミは首を横に振った。
私もそう言ってるんだけどねえ。
平岸ママがつぶやいた。私は佐加に2人の様子を伝えた。すぐに『うちも明日行く』という返事が来たのでヨギナミに伝えた。ヨギナミはちょっとだけ笑ったけど、また疲れた表情に戻った。
橋本はヨギナミの母親の手を握った。そして、顔を近づけて何かささやいていた。ヨギナミの母親の目は弱々しくも輝いていて、それを見た私達はみんな『危ない』と思った。もう夫婦にしか見えていなかった。誰が見てもわかる。
この2人、通じ合ってる。
言葉がなくても。
私は橋本をここに連れてきたことを後悔し始めた。また所長の体に悪い影響が残るんじゃないかって。奈々子も同じことを考えたらしい。
新道先生が言ってた。橋本が創くんの身体を使えば使うほど、まずいことになるって。
そう言ってきた。言われなくてもわかってるわ!
新道がその話した時私もいたし。
あんたはもう、創くんの体使っちゃダメ!
帰りの車内で、さっそく、奈々子の説教が始まった。とにかく体を使うな、引っ込んでろと、自分のことは棚に上げて文句を言いまくった。橋本の反論は、
俺が出てきてんじゃねえよ!
創が引っ込むの!
だ。いつもそうだ。学校祭の時も同じことを言っていた。今、所長はどうしてるんだろう。このうるさい光景を見ているんだろうか。それとも、眠ってしまっているんだろうか。
車が研究所に近づくと、急に奈々子が消え、橋本が私にもたれかかってきた。何すんだこの!と言いそうになったが、相手が眠り込んでいることに気づいた。
あぁ、橋本も疲れると意識がなくなるらしいぞ。
久方が言ってた。
結城さんがちらっと後ろを見ながら言った。
あとは久方が戻ってくんのを待つだけだな。
結城さんは車を停めると、所長を抱きかかえて、また2階の部屋のベッドまで運んで行った。
所長は眠っていると、とても穏やかそうに見える。誰だって眠っていればそうか。
さすがにピアノ弾く気もしないなあ。
コーヒーでも飲んでく?
結城さんが言った。私はうなずいた。奈々子がまた出て来ないことを祈りながら。
ポット君が、不満そうな楕円形の目を表示しながら、コーヒーを2つ運んできた。
俺もさあ、今日のは見ててまずかったなと思った。
結城さんがコーヒーを口にしてから言った。
橋本とヨギナミのお母さんですよね?
そうそう。俺うっかり言いそうになったもん。
『てめえら早く結婚しちまえ!』って。
私は何と言っていいかわからずコーヒーを飲んだ。結城さんもやたらにマグカップに口をつけていた。言葉につまってるか、かなり選んでるか、どっちかだ。
しかし恐ろしいな。
不倫で訴えられるとか想像しただけでゾッとするのに、
本当にやられてる人が身近にいるとなあ。
何ですかその心当たりがたくさんありそうな言い方は。
あれ?奈々子に聞いてない?
俺が昔付き合ってた女、大半は子持ちの人妻だって。
えぇ〜!?
私はショックのあまり叫んで立ち上がり、結城さんはクククッと愉快そうに笑った。
それで稼いでたんだって。
だからあいつに説教されまくってたんだって。
とにかく真面目ちゃんだったから。
なんてことするんですか結城さん。
大丈夫、今はそんなことしない。
あれは若いうちしか出来ない稼ぎ方だから。
あ、だからって真似しないでね?
俺が教えたってバレたら平岸家に処刑されるから。
するわけないでしょ!?
新橋、真面目すぎる所が奈々子に似てるな。
結城さんが言った。全く嬉しくないんですけど。説教魔に似てるとか言われても。
幽霊達、どうしたらいいんでしょうね。
しばらくは付き合ってあげるしかないんじゃない?
俺当事者じゃないから他人事のようなことしか言えないけどさ、今までの久方を見てきた経験から言うと、拒絶するほどおかしくなるみたいだからさあ。
そうですか。
やっぱり奈々子と仲良くしなきゃいけないのか。
全く気が進まないけど。
夕食の時間が近くなり、私は林の道を通って平岸家に戻った。
結城さんと普通に話せた。
何の緊張も色気もなく。
平和に。
なんか物足りない。
でもそんなこと言ってる場合じゃない。
夕食の時もみんな口数が少なかった。平岸ママはいないし、修平は落ち込んでいるように見えた。あかねも一言も発しなかった。
部屋に戻ってBBCを聴いてたら、また奈々子が現れて、隣の壁を盗聴し始めた。
修平くん、自分が入院してた頃を思い出してへこんでるみたい。
だからカッパをストーカーするのやめなさいって。
そのカッパって呼ぶのやめなさいよいいかげん。
カッパはカッパでしょ〜?
奈々子はそれから黙って壁に耳を傾け、30分くらいしてから、私には話の内容を教えずに、
そっか。
だから先生は修平くんの側から離れられないんだ。
と意味深なことだけ言って消えた。なんか、わざと謎かけされたような気がする。でもカッパと新道なんてどうでもいい。
所長から連絡が来たのは7時すぎだった。今日はずっと眠っていて、橋本が何をしてたかわからないという。私は詳しい内容を送った。もう橋本に体を使わせてはダメだとも言った。
所長は、
気をつけるよ。
とだけ言って来た。嫌な予感がする。所長は優しすぎるから、ヨギナミのお母さんや橋本に同情してしまっているのではないか。そんな必要ないのに。
自分の人生を優先してほしいのに。




