2016.10.21 1998年
札幌の地下街、オーロラタウン。
『インターネット体験コーナー』というものがあり、数台の、四角くて大きなパソコンが置かれていた。奈々子は友人の元子の誘いでここに来て、『マクドナルドでハンバーガーを100個頼んだ話』を読んで爆笑していた。誰が書いた文か知らないが、店員との珍妙なやりとりや、食べ過ぎで苦しむ様がおもしろおかしく書いてあった。
「店員かわいそう」
奈々子が言った。
「でもこれ本当にやったの?誰が書いてんの?」
「全然普通の人らしいよ」
元子が言った。
よくわからない新技術に盛り上がっていると、
「あれ〜?奈々子じゃん」
後ろから嫌味なあいつの声がした。
奈々子が振り返ると、そこにはナギがいた。
「ナギ!!」
奈々子は敵を見つけたような顔でナギを呼んだ。
「えっ?誰?」
元子はナギの金髪を見て驚いたようだ。茶髪すらまだ『けしからん』と言われていた時代だ。
「音楽教室の知り合い、ハーフ」
奈々子は説明しながら、少しずつその場から離れようとした。
「あ、私もう帰るから気にせず」
元子はわざとらしく言ってから、
「後で説明しろ!」
と奈々子の耳元でささやき、オーロラタウンを走り去った。
「あんたさ、俺を友達に会わせんの嫌だったんでしょ?」
ナギが言った。
「そんなことは──ある!ごめん!うちの学校の人、あんたみたいのに慣れてない」
奈々子は手を合わせて謝った。
「俺みたいのね」
ナギは白けた顔で口にした。
「これから修二探そうと思ってんだけど、一緒に来る?」
奈々子は驚いた。珍しい。ナギが自ら修二の所に行こうとするなんて。
「行く!あ、でも」
奈々子は腕時計を見た。4時47分。そろそろ創成川に行かないとまずい。
「先に親戚の子預かりに行くからなあ。あんたがいると怖がられそう」
「さっきから俺に容赦ないね。大丈夫だって。子供を取って食う趣味はないから」
ナギは笑って言ったが、奈々子は心配だった。創くんがナギを見たら、怯えて逃げてしまうのではないか。話のわかる橋本だったらまだいいかもしれないが。
2人はテレビ塔の手前から地上に出て、創成川沿いに向かった。
5時。いつも創くんが来る場所で向こう岸を眺める。
「何を見てんの?」
ナギが尋ねた。
「何も見てない。考えてる」
「考えてる。何を?」
「私、なんでここにいるんだろうって」
「嫌なら帰ればいいじゃん」
「そういう意味じゃないでしょ?どうして存在してんのかなってこと」
「それ考えてなんかいいことあんの?」
「ないねぇ」
「じゃ、やめれば」
「やめられるようには生まれてないみたい。私、物心ついたときから、考え事がやめられない。心ここにあらず。だから不器用なのかな。何をやっても上手く出来ない。出来るのは歌くらい。そうだな、歌ってるときはあまり考えてないかも。音を感じるのに夢中で」
奈々子は道の向こうを見た。創くんは来ない。
何も起きていなければよいが。
「いつまでここで待つの、そのガキんちょ」
ナギがイライラした様子で聞いた。
「6時までは待つことにしてる」
「今日寒いよ。待ち合わせ場所店とかに変えたら?地下街とかさあ。そもそもそのガキんちょ何者?親戚なんて嘘だよね?」
「あんたに説明できる話じゃない」
「修二には話してんのに?」
「修二はわかってるもん」
「何を?」
「上手く説明出来ない」
「じゃあ、自分でもわかってないんだな?自分が何やってるか」
「あんた今日は妙に絡んでくるよね。何で?」
「ナギぃ〜!」
軽い声がした。川と反対側の道で、派手な赤いコートを着た女がこちらに向かって手を振っていた。ナギも笑顔で手を振り返した。
「うわぁ、出た!」
奈々子は顔をしかめてつぶやいた。
「出たって何」
「なんでもない。先に修二んとこ行ってて」
「ほんとに6時まで待つ気?」
「待つよ」
「なんで?」
「いいから早く行きなさいって」
奈々子はナギに背を向けて、また川の向こうをぼんやりと眺め始めた。
あのガキ、邪魔だな。
ナギは思いながら、奈々子の側を離れ、狸小路に入った。修二はすぐに見つかった。歌が聴こえてきたからだ。まわりには既に人が集まっていた。
こんな所でバカみたいな歌歌って。
ナギは思った。
でも、奈々子と同じで、声だけはやたらいい。
何なんだろうな、こいつら。
ナギは修二な演奏を終えるまでそこにいた。いつの間にか奈々子も近くに来ていた。子供は見つからなかったようだ。
「修二って最高だよね」
奈々子が近寄ってきてナギに言った。
「そう言いたくなる気持ちはわかる」
ナギは言った。
「でもこんな歌じゃなくてさあ」
「クラシックやれって?」
「そのとおり」
「やな奴だねえ本当に」
奈々子は言いながら笑った。そして、また熱心に修二を見ていた。
この3人で何かするのもありかもしれない。
ナギは不覚にもそう思い始めていた。




