2016.10.17 月曜日 サキの日記
早朝、奈々子はとなりの部屋の様子を探っていた。もう呼び捨てにしてやる。朝から壁に耳を当てて、
修平くん、もう起きてるみたい。
とか、
先生と宿題の話してる。
とかブツブツ言ってる。朝の6時に。カッパをストーカーしてどうするのと聞いたら、
修二とユエさんの子供が高校生になるくらい、
時間経っちゃったんだなあ。
と悲しい顔で言った。かと思うとまた、
先生、英語の質問されて困ってる。
と、盗聴を続行した。うるさいので無視してコーヒーを飲みながらBBCを聴いた。3つくらい聴いてもまだ壁に耳を当てているので、
壁すり抜けられるんだから、
あっち行って新道と話せば?
と言ったら、
でも、男の子の部屋だし。
と照れたように言いやがった。こないだは迷わず飛び込んで新道に泣きついてたくせに。
寝起きから機嫌悪かったが、実は今日またあの夢を見た。奈々子が創成川で熱を出している所長を見つけ、修二とユエさんの所に連れて行く。そういう夢だ。
所長に確認したら、
その夢のせいかどうか知らないけど、
本当に熱出して今寝てる。
風邪うつったら困るから今日は来ないでね。
と言われてしまった。夢のせいで熱が出る。そんなことあるんだろうかとその時は思った。でも、もしかしたら所長に風邪をうつしたのは私かもしれない。学校で風邪が流行ってたから。それに、当時所長がそうとう辛い思いをしたのも事実だ。熱が出たのに母親には放置されてるし、行く所も風俗嬢のアパートくらいしかない。よく生き延びたなと思う。
学校に行ったら、奈良崎と藤木が風邪で休んでいた。佐加も昼頃『頭痛い』と言って帰ってしまった。保坂もなんとなく元気なさそうだった。家に帰ってもいろいろ問題が多いのかもしれない。
午後の授業中には修平が『吐き気がする』と言って帰ってしまった。帰りに河合先生が、
これからインフルエンザが流行る気候になるから、
うがいと手洗いはやれよ。
と言っていた。私は帰り図書室に行って伊藤ちゃんに、所長も風邪ひいてて今日は暇だと言ってみた。そしたら、
たまには距離を置くのも大事だと思うよ。
いくら仲良くてもね。
と言って、『マリリン・モンローという生き方』という本を勧められた。マリリンの本は昔リオに勧められていろいろ読んだから知ってるよと言ったけど、
でもこの本はまだ読んでないでしょ?
とまたドヤ顔をされたので、借りることになった。帰って読んだら、内容はやっぱりほとんど知ってることだった。努力家で、本当は頭が良くて、でも生まれる時代が早すぎて知性を認められなかったマリリン。金持ちとの結婚を『愛していないから』と断り、『あなたは一体何を失うの?』と聞かれて『私自身』と答えたマリリン。
どうしてみんな、あんなに残酷になれるのかしら。
どんなに残酷なことをしても、平気な顔をしている人たちばかり。
どうか私を冗談あつかいにしないで。
本人の言葉。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
そんな声がどの本の行間からも聞こえてくる、マリリンの人生。生きている頃は肉体とチャーミングさで男を魅了し、女の時代になってからはその努力家ぶりと知性で女達の憧れとなり、不幸な境遇と純粋すぎる心で、全世界のさみしい人達の女神となったマリリン。
伊藤ちゃんがこれを私に勧めてきた理由がわかった。
もう腹も立たなかった。それより恐ろしかった。
あまり話してもいない図書委員長に伝わるくらい、私はあからさまに人恋しさを発しながら歩いていたんだろうか。
やっと気づいたの?
後ろに奈々子が立っていた。疲れた顔をしていた。
ついお説教しちゃったのは謝る。
幽霊が低い声で言った。
でも私、辛いの。
幽霊でいるのってね、
無限に忍耐力を要求されているようなものなの。
何が見えても何が起きても、
じっと黙って見ているのは辛すぎる。
どうしてもある程度の期間で、
なんていうか──限界が来るの。
そして隣の壁を見て、
どうして先生は修平くんを乗っ取らずに済んでるんだろう?いっつもあんなに穏やかで。超人すぎる。
とつぶやいて、そのまま消えた。いつも自分の言いたいことだけ言って消えるな、奈々子も新道も。
私は思った。自分で気づいてなかっただけで、奈々子は私の体をこっそり使ったりしたことがあるんじゃないかって。
どうなの?
聞いてみたけど返事なし。
人が話したいときはいつもこれだ。
夕食に、修平は出てこなかった。それどころか、なんと平岸パパが風邪にやられた。あかねも変な咳をしていた。平岸ママは『インフルじゃないといいけど』と心配そうにしていた。私は食後すぐ部屋に戻り、手を洗ってうがいをして、宿題をやって早めに寝ようとした。でも、借りてきたマリリンの本が気になって、何度も読み返して、リオに連絡した。
その本持ってる〜!
と言われて、『人恋しさとは何か』みたいな話を長々とやり取りしてしまい、気づいたらもう11時半。
やばい、もう寝る。




