2016.10.16 日曜日 研究所
早紀の様子がおかしい。
ここ数日沈んでいる。話を聞くと、毎日のように奈々子さんとケンカし、新道先生に説教され、高谷修平にも文句を言われているそうだ。
とにかくうるさいんですよ。説教魔なんです。
私のふるまいの欠点をいちいち指摘してくるんですよ。
かまってちゃんすぎるとか言われてしまいました。
私ってそんなにウザいですか?
そんなことないよ。
久方は笑って言った。天気がよく、今時期にしては気温も高かったので、早紀を散歩に誘った。久方は、前よりは遠くまで歩けるようになっていた。あの山のすぐ近くまで、2人で歩いた。風が草を揺らす。早紀の髪がなびいている。来た時短めのボブだった黒髪は、セミロングに近くなっていた。その様子を見ていたら、早紀がこちらを向いた。そして、また前を歩き出したと思ったら、またちらりと久方を見る。それを何度も繰り返している。
サキ君どうかした?
久方は尋ねた。
僕の顔になんかついてる?
いえ別に。景色が変わったなと思って。
もうすぐ雪になるよ。山の方ではもう降ってるから。
早紀は少しの間久方をじっと見ると、建物の方向に引き返していった。よくわからないが、帰りたくなったのだろうと思い、久方は黙ってついていった。
研究所に着くと、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』が聴こえてきた。
あいつ、ラヴェルはやめろって言ったのに。
久方が思っていると、早紀は走り出し、2階に上がって行ってしまった。
あぁ、結城に会いたかったのか。
若干の悲しみと共に部屋に入った。今日は猫たちも見当たらない。天気がよいから外にいるのだろう。もう一回外に出ようかなと思ったが、ピアノの音が止まっていることに気がついた。早紀と結城で何の話をしているのか。
保坂がいたほうがよかったかもしれないと久方は思った。使えない助手をクビにしてあの子を雇ったほうが絶対役に立つ。町の噂は気になるけど。それより、保坂の父親は何をしているのだろう。奥さんが退院したのに姿を見せないと聞いた。あさみさんはどうなったのだろう?
久方が外を眺めながら考えていると、階段を降りてくる足音がした。早紀が戻って来た。
結城さんの話だと、
奈々子さんは生きていた頃から説教魔だったそうです!
早紀がドアの所で叫んだ。久方はポット君を呼んでコーヒーを頼んだ。
真面目すぎて話が合わなかったって言ってました。
結城さんがススキノに出入りしてるのが気に入らなくて、よく言い合いしてたそうです。
恋人でもなんでもなかったんですよ。
カッパと修二の勘違いです!
早紀は晴れやかな様子で椅子に座った。
なのになんで奈々子さん、私が結城さんに近寄るの嫌がるんだと思います?
そんな必要ないじゃないですか。
久方は黙って早紀の言うことを聞いていたが、
おい、教えてやれよ。
生きていた頃の知り合いに会うのは、
俺達には辛いことなんだって。
橋本の声がした。
失ったものを思い出してたまらなくなるんだよ。
それくらい察しろ。
久方はそれを早紀に伝えていいものか迷った。やっと機嫌がよくなってきたのに説教じみたことを言うのは気が引ける。
あ!そうだ!秋浜祭近いですよね!
所長も来ますよね?
早紀はそう言いながらスマホを取り出し、魔女のコスプレを着た写真を久方に見せた。
かわいい。
ハロウィンと時期かぶってるから仮想する人が多くて、
来る人も年々増えているらしいですよ。
所長も何かやります?
いや、人が多そうだからどうかな。
久方は迷った。人混みは大嫌いだし、ハロウィンもくだらないと思っているが、仮装した早紀は見たい。
いいじゃないですか〜!
結城さんと一緒に車で来ちゃえばいいんですよ。
そしたら具合悪くなってもすぐに帰れるし。
結城。やっぱり本当に連れていきたいのはそちらか。
考えておくよ。それより、結城には本当にラヴェルをやめてもらわないとね。あれを聴くときっと奈々子さんは辛くなる。そしたらまたサキ君に何か言ってくるかもしれないでしょう。
久方は先ほどの話に戻ろうとした。しかし、
説教魔の話はどうでもいいんですよ!あ!そうだ!
ヨギナミもレストランのブースで参加するそうだから、
そこで食事しましょう。
でもクラスの人達は、杉浦が詩吟の会を開くから捕まったら危ないって言うんですよね。
何考えてるんですかね杉浦って。
久方の後ろで橋本が『あの野郎』とかごちゃごちゃ言うのが聞こえた。杉浦が嫌いだからだ。
僕は知的でいい子だと思ったけどね。
こないだは少し暴走してたけど。
久方が言うと、早紀が目を丸くした。
ダメです所長。杉浦が本当に暴走したらあれくらいじゃ済まないんです。今第1グループは無理やり火曜の塾と土日の競歩の会に参加させられて大変らしいですよ!
頼む、こいつのおしゃべりを止めてくれ。
橋本の声が聞こえた。久方は少し笑いながらそれを早紀に伝えた。
所長、いつから橋本とそんなに仲良くなったんですか?
早紀が不思議そうに尋ねた。
仲良くなんかしてないよ。声が聞こえただけ。
久方はにこやかに言った。
あいつ、杉浦君が大嫌いなんだ。
ヨギナミを取られると思ってるから。
そう言うと、早紀は手を口元に当ててプッと吹き出した。
それとね、あまり愉快な話じゃないけど、
奈々子さんとはもっと穏やかに話したほうがいいと思う。拒絶し続けると上手くいかないんだ。
それは僕、体験でよく知ってる。
幽霊と話す時は出来るだけ冷静になった方がいい。
僕もあまり人のことは言えないね。
最近やっとわかってきたことだから。
そうですか。
早紀はやっぱり、少し嫌そうな顔をしていた。
早紀が帰ってから保坂に『お家は大丈夫だった?』と聞いてみた。
何とか生きられる程度ってとこです。
と返ってきた。あまりよくなさそうだなと久方は思った。念のため、しばらく食材を多めに買っておくことにした。余ったらヨギナミにでもあげればいい。
天井からはまたピアノが聴こえてきた。早紀が帰ったのを見計らったかのように、またあの『クープランの墓』を弾き始めた。
奈々子さんと何でもなかったのなら、なぜあいつは今もこの曲にこだわっているのだろう?
久方は疑問に思いながらミネストローネを作った。
廊下からペタペタという足音がして、かま猫がキッチンにやってきた。久方は皿にキャットフードを入れて出してやった。
今日はシュネーは一緒じゃないの?
久方は言いながら廊下をのぞいた。
シュネーはそこにいた。
やっぱり部屋に入るのを怖がるのか。
久方はシュネーの分も廊下に出してやった。その数分後に結城が降りて来たが、猫達を見るなりモップを持って突進して来たため、猫達は逃げ出し、夕食の時間も掃除と言い合いで台無しになった。




