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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年10月

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2016.10.11 火曜日 ヨギナミの家

 奈美ちゃん。うちに嫁に来ない?ウフッ。


 車の中で、スギママがはしゃいでいた。


 涼くんの異常な本好きに耐えられるような女の子は、

 たぶんどこにもいないと思うのよ〜。


 杉浦家で開かれた塾の帰りだった。スギママは『あさみにも会いたいから』と車で送ってくれた。ヨギナミは赤い顔をしてひたすら恐縮していた。どう答えていいかわからなかったのだ。

 外は小雨が降り出していた。車を降り、小走りで家に入ると、そこには誰もいなかった。母のベッドは空だった。しんとして人の気配もない。


 お母さん?


 ヨギナミは呼びかけながら部屋を見回したが、いない。キッチンにもトイレにも風呂にも、いない。スギママと2人で慌てて家のまわりを探したが、いない。


 ──あいつだ!


 ヨギナミにはすぐにわかった。

 保坂の父親だ。あいつが連れ去ったのだ。

 スギママが平岸ママに電話し、その後、知っていそうな人に片っ端から連絡した。しかし、誰もが『あいつに違いない、けしからん』と怒りだけは共有してくれたものの、ヨギナミの母の居場所を知る人は一人もいなかった。


 どうしよう。お母さん体調悪いのに。


 ヨギナミが目に見えて動揺していたので、スギママは落ち着けるために彼女を座らせ、


 お茶をいれてくる。キッチン借りるね。


 と言った。そして、きれいに片付いている水回りを見て、


 これがうちのキッチンだったら良かったのに。


 と、どうでもいいことを数秒思った後、やかんに水を入れて火にかけた。そして、息子にLINEで事情を送り、夕飯は自分で温めて食べろと指示した。


 僕も心当たりを尋ねてみよう。

 しかし呆れた行いだね。


 という返事が来た。

 ほんとに呆れる!スギママは子供に聞こえないように小さくため息をついた。しかし、いつかこうなるのではないかとも思っていた。あさみは何だかんだ言って、典人のことを諦めきれていない。前からそうではないかと思っていた。町の人から村八分同然の仕打ちをされて、親にも愛想をつかされているのに、頑なにこの家から離れようとしないのも、ここに思い出があるからだ。ここにみんなでよく集まっていたから。

 あさみはあの時からずっと、

 一人で思い出の中にいたのだろうか?

 ぞっとした所に、やかんの湯が沸騰する音がした。火を止め、お茶を探して入れた。本当に、どこを見ても整然としていて、怖いくらいだ。

 スギママは嫁候補No.1のためにお茶を運んだ。ヨギナミは携帯を見ていた。顔色は良くない。


 大丈夫よ。あさみだっていい歳の大人なんだからぁ。


 スギママは心にもないことを笑顔で言った。本当は誰よりも知っていた。あさみは大人になんかなれない子だということを。


 保坂が家を見てきたけど、誰もいなかったって。


 ヨギナミが半泣きの声で言った。


 よかったじゃない。

 そこにいられちゃかえって困るもん。


 町の人が。とスギママは心で付け足した。保坂典人に決定的に足りていないのは、まわりの目をおもんばかるということ。昔からそうだった。今あさみが保坂夫人の座に上手くついたとしても、近所の人は絶対に認めないだろう。みんな、『保坂の奥様』といえば、恵のことだと思っているから。お嬢様育ちで洗練された恵の方が、奥様達にははるかに人気がある。あのおばさん達を本気で怒らせたら、止められるものはこの町にはいない。


 お腹空かない?洋子に電話しちゃう?

 何でも届けてくれるのよぉ。


 スギママはつとめて明るく言ったが、ヨギナミは『食欲がない』と言った。スギママはテレビをつけた。しばらくぼんやり見ていたら、誰かがドアをたたいた。スギママがドアを開けると、保坂秀人と、見慣れない小柄な男の子が立っていた。


 あれ?杉浦さん?なんでここにいるんすか?


 保坂がスギママを見て不思議な顔をした。小柄な男の子は、あいさつもせずにスギママの横をすり抜けて、ヨギナミの隣に行った。


 お母さんがいなくなったの。いなくなっちゃったの。


 ヨギナミが言いながら泣き出した。男の子がヨギナミを抱きしめた。


 まあ!うちの嫁候補に何してんの!?


 スギママは叫んだ。保坂が吹き出してから、


 大丈夫です。あれが噂の幽霊のおっさんですから。

 平岸ママから聞いてないですか?


 と言って笑った。

 ということは、この男の子があさみと仲良しの彼なのか。スギママは怪しんでいた。それにしては奈美ちゃんに馴れ馴れしく触ってるわね。まさか娘にまで手を出そうってんじゃないでしょうね?


 こんにちはぁ。杉浦の母ですぅ。


 スギママがかわいらしくあいさつした。小さなおっさんが怪訝な目でスギママを見た。


 杉浦?


 はい。杉浦涼の母です。聞きたいことは山ほどあるけど、でも今はケンカしてる場合じゃないの。

 あさみを見なかった?

 夕方に来たらもういなかったんだけど。


 俺はもう何日も会ってない。


 おっさんが答えた。保坂がヨギナミに近づき、


 お母さんの話した瞬間に入れ替わった。


 と耳もとでささやいた。


 そっかあ。きっとあの男のことだから、一緒にいるとしたらきっとどこかの温泉か観光地まで車で行っちゃってるでしょうねえ。昔からそうなのよ。若い頃はねえ、みんなバカだから、金持ちで車持ってるってだけでいい男に見えちゃってたけど。


 スギママはおっさんの向かいに座った。


 ここは昔、私達のアジトでした。アジトってわかる?


 要はここに集まってみんなで遊んでたってことだろ?

 あさみに聞いてるよ。


 おっさんが言った。


 そうなんですか?


 ヨギナミは知らなかった。


 だからなんだ。ここに来た時からなんとなくあそこに似てると思ってたんだよな。

 

 おっさんが天井を見上げながら言った。寂しい笑い方をして。


 あそこ?


 保坂が尋ねた。


 俺が隠れ家にしていた、誰も使ってないビル。


 ああ、あの。


 話を聞いたことがあるヨギナミが声を上げた。


 あなたも似たような仲間とアジトを持っていたわけね。

 そう、だってここ、町から離れていて誰も来ないじゃない?秘密でいろんなことするにはものすごく好都合でねえ。ウフフ。


 スギママが下品な笑い声をもらし、他の3人はよからぬ想像をして顔色を変えた。


 あはは!心配しなくても!今の若者から見たら全ッ然何でもないことよぉ。大人向けのエッチな本をみんなでこっそり見たり──あっ!しまった!お嫁さんにこんな話しちゃダメだ!


 勝手に嫁にするんじゃねえよ。


 おっさんがスギママをにらんだ。


 まあ〜何をムキになってるの?

 もしかしてうちの嫁を狙ってるの?


 スギママがせせら笑うように言った。


 んなわけないだろ?俺は心配で来ただけだ。


 おっさんはきつい声で言い返してから、ヨギナミに向かって、


 杉浦はやめとけ。こんなのが姑じゃ絶対苦労するぞ。


 と言った。


 なにぃ〜!自分こそ何を父親ぶってんの?

 幽霊のくせに〜!


 生きてようが死んでようが駄目なものは駄目だ!


 おっさんが怒鳴った。


 なにおぉ〜!?


 いや!あの!落ち着いてください2人とも!


 保坂が慌てて止めに入った。


 今はそんなこと言ってる場合じゃないです!


 3人がごねている間に、ヨギナミの携帯が振動した。知らない番号からだった。


 もしもし。


 私よ。


 母の声だった。


 お母さん!?


 ヨギナミが叫び、騒いでいた3人が一斉に黙った。


 どこにいるの?大丈夫なの?


 あの男と話をつけるわ。それだけ。

 だから心配しないで。


 それだけ言って、電話は切れた。


 何なの!?何でこんなに勝手なの!?


 ヨギナミは切れた電話に向かって叫んだ。


 あさみは昔から男を見る目なさすぎなのよぉ。


 スギママが言いながら、わざとらしくおっさんを見た。おっさんは何も言わなかった。保坂が腹減ったと言って冷蔵庫のご飯を解凍し始めた。ヨギナミは、母の朝食に出そうと思っていた海苔と卵を出した。


 もう帰りを待つしかないわねぇ。


 スギママはつぶやいてから、


 いい子達なのよねぇ。そうじゃない?


 と言って笑った。


 ああ、いい子達だ。


 おっさんも似たような笑みを返した。


 ところで、あなたってどうなってるの?

 久方さんなのよね?


 創は後ろにいるよ。

 呆れてる。俺達全員に。


 やだ〜!あなたはともかくなんで私や子供達まで?


 ともかくって何だよ?一番大人気ないのはお前だぞ。


 お前!?今お前って言った!?


 あ〜。


 保坂がキッチンから顔を出し、


 もうすぐ飯出しますから、ケンカはやめてください。

 マジで。


 真面目な顔で注意して、引っ込んだ。


 子供に怒られちゃった。


 スギママが笑った。


 ところであなた、

 あさみが他の男と一緒にいて嫌じゃないの?


 嫌だよ。


 おっさんははっきり答えた。


 でもな、人は理屈だけで動くもんじゃない。

 誰もが理路整然と生きられるわけじゃない。

 俺はそれを誰よりもよく知ってる。

 あさみだってそうだ。

 あいつは最初から理屈を外れた所で生きてる。

 町の連中とは合わねえよ。

 今あさみがそうしたいならそうすればいい。

 本人にしかわからないことがあるんだろ?


 ふぅ〜ん。


 スギママは少しずつおっさんににじり寄った。


 その様子だとぉ、私達の悪い遊びについても、

 あさみからだいぶ聞いちゃってるのね?


 おっさんは口元だけで笑って、こう答えた。


 いい子達の前では絶対話せない程度にはな。




 


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