2016.10.5 水曜日 図書室 高谷修平 伊藤百合
熱が下がった。しかしまだ全身がだるい。それでも修平は図書室に行った。せっかく仕事する機会を先輩に取られて、よくわからない宿題まで出されてしまった。隠された本は絶対に見つけなければいけない。
修平が図書室に入ると、伊藤はカウンターでエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んでいた。話しかけにくい題名だなあと思った。
「おはよう」
「おはよう」
伊藤は本から目を離さずに返事した。
「本のことなんだけどさ〜」
「今、いいところだから」
「えっ?」
伊藤は無言で本を読み続けていた。
「あのさ、先輩が隠した本は」
「知ってる?人が名文を読んでるときに邪魔すると、その名文に呪われるんだって」
「ごめんそれ聞いたことない」
「早く本探して来たら?」
伊藤は本から目を離そうとしない。修平は話しかけるのをやめて、原田先輩が隠した本を探すことにした。不自然に本が飛び出している場所がいくつかあり、そこの本を抜くと、奥に横向きの本が隠してあった。見つけた3冊は全て中島義道の本だった。
「3冊出てきたけど」
修平はカウンターに戻った。
「あと5冊ある」
伊藤は本を見ながら言った。
「マジ?」
「見つけた本は正しい場所に戻しといて」
「わかった。どこだ〜?」
修平はしばらく本棚の間をさまよった。飛び出している所はもうない。怪しい所の本を抜いて奥を調べたが、出てこなかった。
「棚じゃない場所か?」
掃除用具の中を見たら1冊あった。しかし『この本クソつまんねえ』という付箋が貼ってあった。修平はそれを剥がして丸めて捨て、本を元の場所に戻した。
窓際にある雑誌の棚の裏にもう1冊入っていた。汚れないようにわざわざビニールがかけられていた。『あの日、パナマホテルで』という小説で『これは最高だからmust read』という付箋が貼ってあった。せっかくなので借りることにして、次の本を探した。図書室の角のゴミ箱の下に1冊あり、『こんなもん捨てろ』という付箋が貼ってあった。原田先輩は本の好き嫌いが激しい上に、それを人に主張せずにいられない人のようだ。会ってみたくなってきた。
「あと2冊か」
修平は疲れてきた。伊藤はまだ『愛するということ』に没頭している。他の利用者が来る気配はない。原田先輩の本の勧め方も気になるが、本当に知りたいのは伊藤のことだ。
なんでその本読んでるの?
と聞きたいが、今は無理そうだ。
『修平君』
新道先生の声がした。
『本来こういうゲームに手助けするのは反則ですが、君は疲れているようなので』
「ゲームじゃないって。何?」
『本棚の一番上に、非常に興味深い付箋のついた本が乗ってます』
「どこ?」
それは一番奥の窓際で、一番高さがある本棚だった。手が届かないので椅子を持ってきて上に上がった。そこにあったのは白洲次郎の本で、
『未来の俺』
と太いマジックで書かれた付箋が貼ってあった。
「マ〜ジ〜で〜!?」
あまりにもレベルの高い目標に、修平は大声で笑ってしまった。原田先輩はかなりヤバい人だ。間違いない。
「見てこれ!」
修平は伊藤にそれを渡した。伊藤はそれを見るなり、
「うわぁ」
と言って顔をしかめた。
「ろくな人間にならない感じがすごくする」
伊藤は付箋をはがしてゴミ箱に捨てると、本を修平に返した。
「あと1冊なんだけど、もうここはひととおり見た」
修平は疲れていたので、椅子を持ってきて座った。
「最後の1冊は、ここにあります」
伊藤ちゃんが『愛するということ』を指で示した。
「私が読んでいるので邪魔しないように」
伊藤はまた本を開いて読み始めた。
「あのさ〜」
修平は弱々しい声を出した。
「その本、次借りていい?」
「なんで?」
「なんで!?」
修平は困った。伊藤は本に向かったままだ。
「じゃ俺が聞くけど、伊藤はなんでその本読んでんの?」
「愛に興味のない人なんている?」
伊藤はそう言いながらページをめくった。
「あ〜」
修平は言葉を選んでいた。
「その『愛』が何を表してるかわからないんで答えにくい。だからその本貸して」
「私が読んだらね」
「うん」
伊藤は動く気配がない。修平は別な席に行って、『あの日、パナマホテルで』を読み始めた。最初はつまらないラブストーリーかと思ったが、読んでいるうちに戦争中の移民の世界に引き込まれて行った。舞台は大戦中のアメリカで、好きな女の子が家族ごと日本人収容所に送られてしまう話だった。アメリカに当時日本人町があったことや、こういうことが起きていたことを、修平は初めて知った。
「おい、もう学校閉めるぞ」
河合先生が入ってきて我に返った。すっかり本の世界に没入してしまっていた。2人とも。
「あれ?河合先生、休みなのに学校来てるんですか?」
修平は本を閉じながら尋ねた。
「教員は休みじゃないんだよ。3年は講習があるしな。2年生も次の冬休みから受験講習やるぞ」
「え〜!?」
修平と伊藤が同時に声を上げた。
「え〜じゃないだろ?2人とも進学希望のはずだぞ。読書もいいが勉強もしろよ」
「勉強はするけど読書はやめられないと思います」
伊藤がきっぱりと言った。
「おっ、その本懐かしいな。俺も昔読んだなあ」
河合先生が『愛するということ』を見て優しく笑った。
「原田先輩が隠してたんですよ」
修平が言った。
「原田?あいつが?これ読んだの?」
「読んだかどうかは知らないっす」
「へえ。原田もたまにはいいことするなあ」
河合先生は感心しながら『早く帰れよ』と言って出ていった。
「俺、原田先輩に会ってみたいんだけど」
修平は伊藤に言ってみた。
「あの人気まぐれだからめったに来ないんだよね。でも、本全部見つけたらなんかくれるって言ってたから、会ったら請求しとく」
伊藤は言いながら本をバッグにしまい、挨拶もせずに出て行ってしまった。
「え?カギは!?」
「あとで先生がかけるから!」
廊下から伊藤の声がした。
『早く帰って続きが読みたい』
新道先生が言った。
『そういうことにしておいてあげましょう』
「何その含みのある言い方」
『なんでもありません。それより修平君、また熱が出てきたんじゃないですか?』
「わかる?」
『早く帰った方がいい』
修平はゆっくりと歩き始めた。




