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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年10月

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2016.10.1 土曜日 研究所

 久方創は5時頃に目を覚ました。早紀はもう秋倉に帰っているのだ。寝てなどいられない。ピアノが鳴り出す前に着替えて1階に行き、コーヒーを飲んで、考え事をしながら部屋をうろうろと歩き回った。


 初島の言うことなんてだいたい嘘かデタラメだろ?

 信用するなよ。遊ばれてるだけかもしれないぞ?


 昨日、高谷修平からのメールを見た時、橋本が言った。


 ()()()()()()必要としなくなれば、

 彼らは消えられる。


 あの人は高谷にそう言ったのだ。しかし意味がわからない。意味などないというのが橋本の意見だ。

 でも、本当にそうだとしたら?

 久方は考えていた。でもよくわからなかった。自分は昔からこいつの存在が嫌でたまらなかったし、早紀に至っては、奈々子の存在にすら最近まで気づいていなかったのに。『必要としている』とはどういうことなのか。

 考えていたら天井からピアノが聴こえてきた。今日はガーシュインだ。保坂が帰って来たからだろう。階段を駆け下りてくる音がして、Tシャツ姿の保坂が現れた。


 あれ、心臓に悪いっすよ。


 そうだね。そのうち訴えてやろうかな。


 2人はピアノ狂いを無視して、先に朝食をとることにした。




 早紀は10時頃やって来た。長崎のカステラと博多のめんべえを持って。

 結城と保坂は2人で出かけてしまっていた。早紀は結城がいないことを知って悲しい顔をした。しかしすぐ、旅行の話をして元気になった。


 うちのグループだけまとまらないと思ってたんですけど、そりゃそうですよね。小学校から一緒の他のグループと違って、みんな転校生で個人主義ですからね。太宰府でもみんな好き勝手に単独行動しましたよ。

 でも私達はそれでいいのかなって。

 あ、でも修平は今日熱を出して寝込んでるんです。

 旅行疲れですね。


 早紀がいる。目の前でしゃべっている。

 なんてすばらしい。

 久方は喜びをかみしめていた。


 今日めっちゃ晴れてますねえ。九州ではずっと雨だったんですよ。だからあまりあちこちは見て回れなかったんです。久しぶりに草原を歩いたら、ものすごく光って見えますね。後で散歩に行きましょう。

 だけど今話さなきゃいけないのは──。


 博多で会った人のことだよね。


 そうですね。


 早紀も久方も真面目な顔をした。


 私達、別に幽霊を必要だと思ってないですよね?


 早紀が言った。


 それなんだけど、橋本が言うには、あの人が僕らをからかうために嘘を言ってるんじゃないかって。修学旅行中にわざわざ現れたのも嫌がらせだって。

 あの人には昔からそういう所があるって。


 久方は言った。かすかに痛みを感じながら。そんな人が自分の本当の親なのだ。いや、『創り主』とでも表現した方がいいのだろうか。『母親』という単語はもう使いたくないと思っていた。


 奈々子さんを呼び戻したのも『嫌がらせ』なんですよね。ひどくないですか?私も迷惑だし奈々子さんもかわいそうですよ。旅行中はほとんど出てきませんでしたけど。


 ごめん。


 なんで所長が謝るんですか?

 一番困ってるのは所長でしょ?


 久方のスマホが鳴った。結城から『フルーツサンドの店来てるんだけど食いたい?』というどうでもいいLINEが来ていた。無視しようかとも思ったが一応早紀に写真を見せてみると『食べたい』と言ったので『買ってこい』という返事をした。


 僕は今まで橋本を必死で避けようとしていた。

 でも、それが間違いだったのかもしれないって最近思い始めたんだ。


 久方は言った。早紀はカステラを食べながら目をしばたかせた。


 私がいない間にいろいろ話したからですね。


 うん。


 私も奈々子さんと話した方がいいのかな。でも、話したい時には絶対出てこないんですよね。それで、出てきてほしくない時に出てきて、『黒い永遠が聴きたい』とか言い出すんですよ。


 黒い永遠。


 久方は苦笑いした。


 暗い曲ばかり聴きたがるんです。

 でも、調べてみたんですけど、90年代のヒット曲って明るいのも多いんですよ。

 なのに奈々子さんは暗い曲とか、難しい歌詞の曲を好むみたいで。

 そういえば結城さんが『悩むのがいいことだと思われていた時代』とか言ってましたね。


 そんな時代ないと思うけどなあ。

 僕も2000年代より後しか知らないけど。


 2人はしばらく、昔の曲と今の曲の違いについて話した。それから、CDの棚からいろいろ引っ張り出して聴いているうちに昼になった。

 結城と保坂が帰って来た。2人は札幌近郊を回っていたらしく、いろいろな店の包を抱えて部屋に入って来た。食べ物のいい匂いも一緒についてきた。


 90年代すか。あ〜、やたらにあの時代懐かしがってる人、YouTubeとかで見かけるべ。


 保坂がフライドチキンをつまみながら言った。


 みんな何考えてんだろうな。

 あんなのいい時代でもなんでもないって。


 結城がつぶやいた。


 いつだったか、古きよき昭和みたいな映画がおじいちゃんおばあちゃんにヒットしてたけど、

 昭和なんて差別だらけでろくな時代じゃなかったぞ。

 人は使い捨て。

 少しでも見た目がおかしいといじめにあうしな。

 俺なんて生まれつき金髪だから、

 もうからまれるからまれる。


 結城さんて昭和の人なんですか?


 早紀がいちごサンドを取りながら尋ねた。


 昭和後半生まれ。育ったのは平成だけど。

 平成だってろくな時代じゃないってあとで言われるようになるぞ、絶対。


 結城さんの金髪って地なんすか?

 染めてんのかと思った。


 保坂が言った。


 父親がアメリカ人なんだって。

 会ったことないけどね。


 結城はそっけなく答えた。


 話戻すとさあ、若い頃聴いてた曲が『懐メロ』って呼ばれるようになったら、『俺も年取ったなあ』って思うんだよね。俺この『懐メロ』って言葉好きじゃないんだよ。何で死語にならずに残ってんの?たかが20年が懐かしいなら、100年以上前のクラシックは何だって話だよ?

 おい若者、『懐メロ』って言葉をなくしてくれや。

 頼むぞ。


 結城が保坂に言った。早紀が少し嫌そうな顔をしていた。きっと自分を見てもらえないのが嫌なのだろうと久方は思った。自分も同じ気持ちだったのだが。


 中途半端に古いのがよくないんだよ。

 たぶん100年経って僕らがいなくなったら、

 90年代も2010年代も対して変わらない、

 大昔の歴史的資料になってるよ。


 久方は言った。誰も言葉を返さず気まずくなったので、フルーツサンドの残りをつまんだ。あまり好きではなかったが。


 モーツァルトになりてえ。


 保坂がいきなり言い、結城が吹き出した。


 数百年経っても残るような曲作りたいっす。


 若者の目は輝いていた。




 結城と保坂が2階に消え、練習曲という名の騒音を発し始めたので、久方と早紀は外へ散歩に出かけた。


 保坂、いつまでここにいるんですか?


 早紀は機嫌が悪そうだ。久方はまあまあとなだめながら道を歩いた。

 畑に近づいた所で、早紀が立ち止まって、


 あれ?


 と言った。


 私がいないうちに、秋になっちゃったんですか?


 ──ふふっ。


 久方は思わず笑いをもらした。


 そうだね、葉っぱや草の様子が変わってる。

 サキ君、ここは北海道で、もう10月だよ。

 雪が降ってもおかしくない。もう冬が近いよ。


 そっかぁ〜。


 早紀は空を見上げてつぶやいた。


 いつの間にか、夏は終わってたんですねえ。


 夏はあっという間だった。あんなに色々なことが起きたのに。歳を取ると、時間が経つのはどんどん早くなっていく。でも、早紀達の世代の季節はまだゆっくりとしているのだろう。だから余計に、変わると驚くのだろう。

 2人は畑を出て、町の近くまで歩いて行った。風が穏やかに流れ、日差しは優しい。草は色を変えても風になびくのはやめない。空気の流れと共に音を立てる。祈りの言葉のように。

 久方は本当に久しぶりに、自然の中でくつろいでいた。きっと早紀がいるからだ。早紀は久方について来て、山の方を見ていた。


 まだ熊出ますよね。


 冬になったら食べ物を探しに下りて来ちゃうかもしれない。今年の冬はあの大木には行けないかもなあ。


 隣村の猟友会の人とか連れてったらどうですかね?


 早紀がとんでもないことを言い出した。

 久方は笑ってその言葉をかわした。



 

 研究所に戻ると、まだ天井からピアノの音がした。久方と早紀はコーヒーを飲みながら、


 あの2人は何を目指してるんだろう?


 モーツァルトですよ。ハードル上げすぎです。

 まずガーシュインを弾けるようになれと言いたいですね。


 などと話していた。早紀は4時頃帰って行った。

 夕食の時、


 新橋と所長って、付き合ってるんすか?


 保坂に聞かれた。久方はそれには答えなかった。


 たぶん、親戚のおじさん扱いだと思うよ。


 結城が冷たい口調で答えた。

 保坂は『そうっすか』と言って、そのあとはひたすら食べることだけに集中していた。





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