2016.9.29 木曜日 高谷修平 修学旅行4日目 博多
「せっかく南に来たのにさ〜、雨のせいでそんな気しなくね?」
博多の街中で、佐加が傘をさしながら言った。
「今日、気温も低いしね」
ヨギナミが言った。長崎の大雨が追いかけて来たかのように、博多でも雨、しかも更に激しい降り方になっていた。その雨の中を、秋倉高校の2年生達は、太宰府天満宮に行くために天神の駅に向かって歩いていた。
修平はあまり調子が良くなかった。でも、あと1日だ。明日には秋倉に帰れる。そう思って何とか耐えていた。つまり、博多の街を見て回る余裕は全くなかった。
道を歩いていると、早紀が突然立ち止まった。飲食店の中を見ているようだ。
「どしたのサキ」
佐加が聞いたが、早紀は動かない。
『修平君!』
新道先生の声がした。
『今すぐここを離れてください!急いで!』
「え?何で?」
『あそこに初島がいます!』
新道先生の声は切羽詰まっていた。修平は早紀が見つめている店の窓を見た。カフェの席に女性が座っていた。暗い緑色のスーツを着て、髪は短く、40代か50代に見える。顔に見覚えがあった。
先生の記憶の中によく出てくる女。
「初島緑」
修平がつぶやいた。
「どうした?早くしないと乗り遅れるぞ」
藤木が修平に呼びかけた。
「ちょっと!先行ってて!」
修平は叫んだ。
「知ってる人がいるから挨拶してくる!」
修平は店に近づいた。
『駄目です!修平君!これは罠です!』
新道先生が叫んだ。
「だって、こんなチャンスもうないかもしれないじゃな──」
修平が言いかけた時、早紀が突然、倒れた。
「え!?ちょっと!どうしたのよ!?」
平岸あかねが驚いて走り寄ってきた。高条も来た。南先生が近づいてきて、早紀に呼びかけた。早紀は目を覚ましたが、呼びかけには答えられないようだった。
「みんなは河合先生と先に行ってください。ここは私が」
南先生が言った。第1と第2のみんなは、心配そうにしながらも歩き去った。
「ホテルに連れて帰って休ませるわ。貧血かもしれないから」
南先生が言った。
「あたしも一緒に行くわ」
「俺も」
平岸と高条が言った。
「俺、知り合いに挨拶してくるから、先行ってて」
修平はそう言って、またカフェの窓を見た。女はこっちを見ていた。目を見開き、口を半開きにしたあの笑い方で。
間違いない、初島だ。
修平はゆっくりと店に近づいた。手も足も震えた。心臓が激しく打った。今日、死ぬかもしれないと思った。でも、この機会を逃すわけにはいかない。
「私を探していたわね」
席に近づくと、初島が片手で頬杖をついて言った。
「俺は──」
「知ってる。高谷修平、7月3日生まれ。さっき倒れた子は新橋早紀、8月11日生まれ」
「なぜ俺達に幽霊を?」
「条件があるのよ」
初島は向かいの席を手で示し、座るように言った。修平は勧められた通りにした。そして、新道先生の気配が消えていることに気がついた。おかしい。いつもなら、何か起きたら必ず出てくるのに。
「まず1つ目、誕生日が同じでなくてはいけない」
初島は手のひらを差し出し、親指を折った。
「それから、これが重要なのだけれど、魂の波長が同一でなくてはならない」
初島が人差し指を折り、目元を歪めた。
「探し出すのに数年かかったわ」
「何のために幽霊を呼び出したんですか?」
修平は震えながら尋ねた。
「自分で殺しておいて、また呼び出して苦しめるなんて、なぜそんなことをするんですか?」
「殺した?誰のこと?」
「先生と奈々子さんです」
「新道は私が殺したのではない」
初島は言った。
「寿命だったの。あの体はかりそめのもの。札幌の良心を閉じ込めるためだけのもの。長く生きられるようには出来ていなかった」
「札幌の良心?」
「私はむしろ、新道を死なせるのは惜しいと思った」
初島は修平の質問を無視した。
「だから呼び戻してみたのよ。奈々子って女はね、私の邪魔をしようとしたから、仕返しに呼び戻したのよ。苦しめてやろうと思ってね!」
初島がククッと笑った。修平はぞっとした。
「でもあてが外れたわ。普通なら、生きた者に取りついた魂はね、その肉体を欲しがらずにいられないのよ。だって、ちょっと手を伸ばして体を奪えば、また生きることが出来るのですもの。命を目の前にぶらさげられて、飛びつかない人なんている?今まで何人も試したけど、みんな体を乗っ取られて最後には消えていったわよ?」
初島は平然と言った。修平は走って逃げたい気持ちを必死で抑えていた。
「でも、あてが外れたわ。あの3人には。よりによって、一番重要な人形に邪魔されるなんて」
初島の顔に憎悪が現れた。
「あれは橋本を生き返らせるために、わざわざ6月14日に合わせて作ったものなのよ。なのに元から人格を持っているですって?手違いもいいところだわ。絶対に許せない。そんなものは、私は絶対に、存在を認めない」
初島は怒りで体を震わせていた。目の前に修平がいるのを忘れて、自分の感情に飲まれているようだ。修平はそれを見て逆に落ち着いた。同じような人を何人か見たことがあった。病院で。
「先生は絶対に、俺の体を乗っ取ったりしませんでしたよ」
修平は静かに言った。初島が修平を見た。今初めてそこにいることに気づいたような目をして。
「そうでしょうよ。新道は自制心が強すぎる。いえ、欲がなさすぎる、目の前に新しい命をちらつかされても、手を伸ばしたりしない。誤算だったわ」
「手を伸ばしてほしがるほど、俺の体は丈夫じゃないんです。ずっと入院してたんです。とりつかせる相手間違ってませんか?」
修平は笑う余裕が出てきた、しかし、
「生意気な子ね、あなたは──」
初島が何かに気づいたように、驚いた顔で修平をなめるように見た。
「何ですか?」
「あなた、その体じゃ、10歳になる前に死んでいるはずよ」
初島が言った。修平はビクッと震えた。
「そうか。わかったわ。なぜ新道が出てこないか。あなたに力を分け与えているからよ。あいつは本来、強い力を持っている。あの4人の中で、私を倒す力を持っているのは新道だけ。邪悪を払えるのは良心の風だけ。なのに、あなたに力を使っているから、新道は本来の力を発揮できない」
初島はニヤニヤと笑い始めた。修平は震えが戻ってきて、それを必死で抑えようとしたが、上手くいかなかった。
「せっかく勇気を振り絞って私に会いに来たのだから、いいことを教えてあげるわ。幽霊達はね、必要だからそこにいるの。あなた達が彼らを必要とし、彼らもあなた達を必要としている。どちらにも必要なくなれば、彼らは消えられる」
初島は立ち上がり、2人分のコーヒー代をテーブルに置いた。
「やれるものならやってみなさい。あなた、命を捨てられる?その覚悟があれば、新道を自由にできる。あとの2人がどうなっているのか、私にはわからない。でも、いずれ乗っ取られると思うわよ?あとは時間の問題ね。ゆっくり待たせてもらうわ。アハハハハ!」
初島は笑い声をあげながら店を出ていった。声が異様だったので、店内の客がこちらを見た。修平の顔色の悪さに気づいて、店員が近寄ってきて『大丈夫ですか』と聞いた。修平は水が欲しいと言った。スマホが鳴ったので我に返った。見ると、高条から『今どこにいる?早く来い』と来ていた。
『修平君、声を発さずによく聞いてください』
新道先生の声がした。
『君は今危ない状態です。タクシーを拾ってすぐホテルに帰って休むんです。詳しい話はそこでしましょう』
「先生──」
『今話しては駄目です!』
店員が水を持って来た。修平はそれを一気に飲むと、外に出た。タクシーを探すのに少々手間取った。あまりにも青白い顔を見て、運転手は『病院行くかい?』と聞いてきた。修平は、ホテルに学校の先生がいると言った。
ホテルに着き、部屋に行くと、そこには高条と平岸あかねがいた。平岸は腕を組んで、きつい目で修平をにらみつけ、
「幽霊の話は高条とサキから聞いたわよ!」
と叫んだ。
「なんであたしだけ話してもらってないわけ?班長は私よ!」
こんな時に何を言っているんだと修平は思った。
「俺疲れてるから一人にしてくんない?」
「何言ってんの?今日お前ここで俺と同じ部屋なんだけど」
高条が言った。やはり怒っているようだ。
「俺は出ていかないぞ。何が起きてるか、お前の口から聞くまでは」
「そうよ。洗いざらいぶちまけてもらうわ。それまでここから出さない」
平岸も言った。修平はため息をつきながら、ベッドの端に座った。そして、今まで起きたことを話し始めた。小さい時から一緒にいる『先生』のことから、今年になって秋倉町に来てからのことまで。ただし、さっき初島に聞いた話は伏せておいた。
「さっきサキが『奈々子さんが殺されるところを見た』ってわめいてたの。そういうことだったのね」
平岸が言った。
「サキ、大丈夫?」
修平が尋ねた。
「南先生が付き添ってる。ただの貧血で、夢でも見たんだろうって」
高条が言った。
「夢じゃないよ」
修平が目を伏せて言った。
「それ、本当に起きたこと。奈々子さんの記憶」
それから、
「太宰府に行けなくなってごめん」
と謝った。
「明日の午前中に行けばいいって」
高条がスマホを見ながら言った。
「朝早く出れば間に合う」
「買い物する予定だったけど仕方ないわね」
平岸が言って、少し笑った。
「でも、かえってよかったかも。第1グループが一緒だと、杉浦が歴史と伝統を語り出してうるさいって、さっき佐加から悪口が送られて来てたから」
「確かにあいつらはいないほうがいいな」
修平もやっと笑った。
「じゃ、明日行こう。俺、腹減ったからコンビニ探して来る」
修平は外に出た。そして、人気がなさそうな場所を探した。1階の、来客用のトイレに入った。
『よく耐えましたね、修平君』
新道先生が現れた。
「今まで何してたのセンセー!?せっかく初島が出てきたのに──」
『言ったでしょう、あれは罠だと。なぜ新橋さんが倒れたと思います?初島の力で無理やり神崎さんが呼び出されたからなんですよ?私も危うく君の体に入り込まされるところだった。それを防ぐのに手一杯だったんです』
「ほんと?」
修平の中に恐怖が戻って来た。
「あいつ、そんな力持ってんの?」
『基本的に、望むことは何でも出来ると思った方がいい。母なる大地の力は広範囲に及びますから』
「そんなとんでもない奴と、先生がどうやって戦うの?風だけで。さっき初島が、自分を倒せるのは先生だけって言ってたけど」
『それは私にもよく意味がわからないんです』
新道先生は曖昧な笑い方をした。
「先生」
修平は震えながら言った。
「俺、本当は死んでたんだよね、あのとき」
『修平君、それは──』
「いや、俺、わかってた」
修平は言った。
「先生、昔は消灯した後にしか現れなかったよね?だけど、あの時、症状が重くなって死にかけた時、先生は必ず昼間も現れて、それから何日かしたら、呼吸が楽になったり痛みが消えたりしてた。それはつまり」
『君に隠すつもりはなかった』
新道先生は言った。
『いずれ話すつもりでした。君がもう少し丈夫になって、一人で生きられるようになったら』
「わかってる。だけど先生は、このままじゃ」
『今は旅行中です。それを考えるのは後にしましょう。それにしても初島のやつ。いかにもあいつらしい出現の仕方をするな。人が楽しみにしていることを狙って台無しにしようとする。そうです。いかにも初島らしいやり方だ。修平君、あんな人に君の人生を壊されちゃいけない』
「先生」
『何ですか?』
「本当は、もっと強い力を持ってるんだろ」
修平は真剣に問いかけた。
「もしかして先生、自分のこと何もわかってないんじゃないの?普段何でも知ってるような口ぶりで話してるけど、肝心の自分のことは何もわかってないんだ」
しばしの沈黙の後、新道先生は、
『そうかもしれない』
と、放心したようにつぶやいた。そして、姿を消した。
数時間後、ロビーに河合先生とクラスの人達が戻って来た。
「あ〜カッパ!サキ大丈夫?」
佐加が修平を見て叫んだ。
「貧血だって」
修平は軽く言った。
「俺ら、明日太宰府に行くから。第3だけで」
「そうか、でも、1か所くらい第3グループだけで行くのもいいかもね」
奈良崎が言った。
「お前は体調どうなんだ?平気か?」
河合先生が尋ねた。
「大丈夫ですよ。でもまさか、俺以外の奴が倒れるとは思わなかったっすね。あ、もう夕食の時間ですよね?」
「うち、サキを連れてくる」
佐加とヨギナミがエレベーターに乗って行った。伊藤が近づいて来て、小さな包みを修平に押し付けて去っていった。中にはお守りが入っていた。修平はそれをしばらく見つめ、笑いながら制服のポケットに入れると、河合先生と一緒に食堂に向かった。




