2016.9.28 水曜日 ヨギナミの家
涼くんたら、奈美ちゃんが公務員試験受けるって聞いて張り切っちゃってね〜、先輩達から問題集を回収したり、うちで塾を開催するって言ったり、
もぉ〜、自分が受けるみたいに熱心なのよぉ〜?
スギママ:杉浦美加子が甘ったるい声で息子の話をしている。あさみはそれを白けた顔で聞いていた。
美加子も洋子と同じく学生時代からの付き合いで、今は幼稚園の園長。やはり成功者だ。
なぜ自分だけが沈んでしまったのだろう。
あさみはそう思わずにいられない。
旦那は帰って来ないの?
あさみは聞いてみた。
向こうで紛争があってね〜、難民もたくさん来てて、
スタッフも大変みたいよぉ。
美加子の夫は国際的な人道支援に携わっていて、めったに日本に帰って来ない。
大変ね。
あさみはなおざりに言った。
夫婦揃って人の役に立つ仕事をしている。
それに比べて自分は……。
奈美ちゃんって本当にデキる子よねぇ〜。
美加子が洋子と同じことを言った。
うちに嫁に来てほしいくらいなんだけどなあ。
どう?お母様。
やめておきなさいよ。
あの子、けっこう冷たいんだから。
冷たい?どこが?
思いやりがないのよ。
父親に似て、とあさみは言いそうになったがやめた。
あんな男のことはもう思い出したくない。
そんなことないと思うけどぉ。
ほらぁ、今お年頃だから、親には反抗するんじゃない?
うちの涼くんもねえ、
私が買ってきた本には必ずケチをつけるのよぉ。
どうせまたハーレクイン読んでるんでしょ?
あさみは言った。美加子は昔から少女マンガや恋愛小説が大好きで、この態度から見ても、今もそっちの世界に住んでいるとしか思えなかった。
またそうやって人をバカにするぅ。
今の恋愛小説ってすごいんだからぁ。
美加子は愛読している『愛の戦争』とかいうシリーズの話を始めた。あさみは、どうでもいいと思いながらも、いつの間にか引き込まれて熱心に聞いてしまった。
そこに、足音が近づいてきた。
おい、あさみ、開けろ。
保坂典人の声だった。室内に緊張が走った。
何しに来たのよ?帰りなさいよ!
あさみがきつい声で言った。
子供達がいないうちに話し合おうじゃねえか。
典人は酔っぱらいのような声をしていた。
あいにく今は客がいるのよ。
あさみが言った。
客ゥ?あの久方とかいうガキか?
今日こそ叩きのめしてや──。
あら〜保坂の旦那さんお久しぶりぃ〜!!
家から出てきたのは、典人が最も苦手とするタイプの女だった。
ミーハーで、甘ったるい声でしゃべる女。
秋倉町のほぼ全ての子供の面倒を見たことがある女。
全世帯の母親たちを味方につけている女。
どこぞで野垂れ死んでるって、
噂で聞いてたんですけど〜。
生きてらしたのね〜?
ところで、奥さんは元気?
最後の一文だけ、ものすごく声が低かった。
上目使いに殺意が混じっていた。
いや、美加子の目にはこう書いてあった。
私を殴れるものなら殴ってみろ。
刑務所にブチ込んで出れないようにしてやるぞ。
もし警察に捕まらなかったとしても、
私の背後にいる母親達が全員お前の敵になるぞ。
町中の女達がお前を袋叩きにして、
死ぬまで責め続けるぞ。
さあ、やれるものならやってみるがいい。
女のおしゃべりには付き合いきれん。
典人は吐き捨てるように言うと、大人しく去っていった。
助かったわ。
あさみは心からそう言った。美加子は一見子供っぽいが、怒らせるとものすごく怖いのだ。おそらく秋倉一、いや、世界一かもしれない。
呆れた人よねぇ。まだあなたにつきまとってるの?
ちゃんとキライって言った?
美加子が言った。
もうあんなのと話したくないわよ。
あさみが言うと、
はっきり『お別れします』って言い切った方がいいんじゃない?
美加子が真面目に言った。
あさみはそれには答えなかった。




