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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年9月

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2016.9.28 水曜日 高谷修平 伊藤百合 修学旅行3日目 長崎

 長崎はこの日、記録的な大雨になった。そして、伊藤が言った通り、坂である。ホテルの前の道が既に傾いている。その急な傾斜を、地元の人は気にもせずに自転車で行き来していたりする。

「ついてないなぁ〜、大雨だって今日」

 傘の下から伊藤が声をあげた。第2グループと第3グループは、一緒に亀山社中を目指して歩いていた。歴史に興味があるからではなく、『龍馬グッズの自販機』があり、有名人がよく訪れているという話を聞いて、ホンナラ組と高条が行きたがったからだ。

 修平は鹿児島からの移動で既に疲れていた。第1グループが熊本で降りて行ったのをうらやましいと思っていた。雨のせいか、観光地にも人は少なく、道は暗い。気分も滅入ってくる。しかし他のメンバーは何も気にせずに早足で坂を進んでいく。みんな丈夫だ。雨に負けてない。こちらは雨粒が傘に当たる感触すら辛くなってきているというのに。

「駄目だ俺」

 修平はとうとう立ち止まり、つぶやいた。

「みんな先行っててよ。俺この辺で休む」

 道の先から奈良崎が『大丈夫か〜?』と叫ぶ声が聞こえてきた。前を歩いていた伊藤が戻って来た。スマコンがちらりとこちらを振り返った。

「先行ってて!」

 伊藤が他のメンバーに向かって叫んだ。高条とサキがちらっと修平を見たが、すぐに行ってしまった。平岸は振り向きもしなかった。

「いいよ一人で。伊藤も行けよ」

「悪いけど、自販機には全く興味ないから」

 伊藤はそう言ってニヤッと笑った。

「このすきに逃げちゃおう」

「逃げる?」

「大きな通りまで戻りたいんだけど、行けそう?」

「まあ、なんとか」

 2人はもと来た狭い道を引き返した。

「こうなるだろうと思って、タクシー会社調べといた」

 伊藤がスマホを見ながら言った。

「長崎には一泊しか出来ないし、時間を無駄にできない。タクシーで大浦天主堂まで行っちゃおう。グラバー園近いし、保坂達にそこまで来てもらえばいいしょや」

「ほんとにあいつら置いてくの?」

 修平は驚いた。

「いいの?そんなことして」

「私は大浦天主堂に行ければいいの!」

 伊藤が強い声をあげた。気を使われているのは明らかだった。『こうなるだろうと思って』とはどういう意味だ?自分が体調を崩すのを予想されていたのだろうか。修平はそれが嫌だった。

「あのさあ、伊藤、聞いてる?」

「何?」

「俺に気を使うのやめてくれる?一人で帰れるからさ、伊藤はあいつらと一緒にいた方がいいよ」

「さっき言わなかったっけ?自販機なんてバカバカしいって」

 伊藤が怖い目をした。

「バカバカしいは今初めて聞いたと思う」

 修平は思わず後ろに引いた。

 タクシーが来た。

「俺やっぱ来ない方がよかった気がする」

 車内で修平が言った。

「奈良崎達を見てると、『なんであいつらあんなに元気なんだ?なんで疲れてないんだ?』って思うんだよね。もう旅行3日目でさ、毎日歩き回ってんのに」

 伊藤は窓から長崎の街を眺めていたが、

『病まなければ、ささげ得ない祈りがある』

 と、つぶやいた。

『病まなければ、信じ得ない奇跡がある』

 そして、

『おお、病まなければ、私は人間でさえもあり得ない』

 と続けた。

「何それ」

「祈りの言葉」

 伊藤は窓の外を見ながら笑った。

「教会のホームページの受け売りだけどね」

 それからこう言った。

「たぶん、高谷の視点からしか見えないものがある」

 タクシーはすぐに大浦天主堂の近くに着いた。伊藤が中に入っていく。修平は惹きつけられるようにその後を追った。入口の階段は少々きつかったが。白いブラウスを着た伊藤は、雨の中で光って見えた。

 入口の階段の上にマリア像があり、夢を見るような表情で手を合わせている。伊藤は傘を傾けてそれを見上げ、傘を下ろし、腕にかけて手を合わせた。

 中に入ってからも、伊藤は祭壇に向かって真っ直ぐに進み、十字架にはりつけになったイエスのステンドグラスを見上げ、それから、目を閉じて、手を組んで祈り始めた。

 修平は横で、ステンドグラスの色に染まって見える天井や、祭壇のイエスを見ていた。なぜか、祈るのは伊藤に任せておいた方がいいような気がした。他にも観光客らしき人が何組かいたが、特にこちらを気にしている様子はなかった。内部には雨の音だけが響いていた。

「何を祈ってたの?」

 伊藤が手を降ろして目を開けた時、修平は尋ねた。

「祈りってね、願い事をするためにあるんじゃないんだよ」

「じゃ何のために」

「落ち着くため」

 伊藤はつぶやくように言った。顔がほんのり赤かった。

「売店があるからポストカード買ってくる」

 売店で一緒にマリア様のポストカードを見ていた時、スマホに保坂から連絡が来た。そろそろグラバー園に着くそうだ。思ったよりもずっと早い。きっと気を使って、亀山社中はほとんど見ずに来たのだろう。修平は罪悪感を覚えた。

「グラバー園って何あんの?」

「洋風の建物かな?平岸さんが好きそうなやつ」

「伊藤、興味ないだろ」

「私はもう目的を果たしたもん。いいしょや。あとは明日、平和公園に行くだけ。博多はおまけ」

 伊藤はそう言いながら階段を降りて行った。もしかしたら、伊藤は本当にここに来たかっただけで、修学旅行自体を楽しみにしていたわけではないのかもしれない。修平は思った。

 雨はまだ激しく降っていた。傘をさして前を歩く伊藤はやはり光って見えて、修平は目を離すことが出来なかった。



 グラバー園では、平岸あかねが『マンガの資料に使える』と喜んで、洋風の建物を写真に撮りまくっていた。修平は疲れていたのでずっと座って休んでいた。見て回る気は全くしなかった。第2グループは仲良くどこかへ行ったが、保坂と奈良崎は修平の様子が気になるらしく、LINEにあちこちの写真を送ってきた。それも数分おきに。第2グループって優しいなと修平は思った。同じ第3グループの奴らときたら、修平に会っても『大丈夫?』の一言もない。勝手に自分の見たい所に行ってしまっている。

 修平は一人でぼんやりしながら、伊藤のことを考えた。今頃、『興味がない』この園の中を、仲間と一緒に仲良く見て回っているのだろう。もしかしたら伊藤は、仲良しグループの中でも仮面を使っているのかもしれない。

 では、本当の伊藤はどこにいる?

 修平は、さっき、大浦天主堂で祈りを捧げていた伊藤を思い出した。もしかして、あれが素だったりするんだろうか?タクシーの中で言っていた『病まなければ』の文句は、わざわざ調べてくれたのだろうか。

「疲れたんなら、先に一緒にホテルに戻るか?第1グループもそろそろ長崎に着く頃だし」

 河合先生が来て、言った。修平は笑って首を横に振った。

「第3のやつらはどこに行ったんだ?」

「あいつら個人主義なんすよ」

 修平は軽く答えた。

「にしても、何も考えなさすぎだな。探してくるか」

「やめたほうがいいですよ。たぶん高条は動画ネタがほしいだけだし、平岸もマンガの資料集めしてるから、今声かけたら殺されますよ」

「新橋はどこに行ったんだ?」

「さあ?」

「困った奴らだな」

「そうですね」

 修平は言った。

「さっき、伊藤と大浦天主堂に行きました」

「そうか。俺も見たいと思ってたんだ。どうだった?」

「いい所でしたよ。ステンドグラスがきれいで」

 修平は心から答えた。

「本当にいい所でした。無理して来てよかったです」





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