表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年9月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

515/1131

2016.9.24 土曜日 ヨギナミの家

 ヨギナミは今日もバイトである。

 修学旅行があろうが試験があろうが、働かねばならない。バイトを5日も休むことに、ヨギナミは罪悪感を感じていた。旅行費用はみんなが出してくれたが、休んだ分バイト代が減ることまではみんな考えていなかったのだ。自分で生活費を稼いだことがない人は、そこまで頭が回らないのだろう。平岸あかねのような恵まれた人は『生活保護があるんだからいいじゃない』と簡単に言うが、生活保護はそんなに簡単に出るものではない。ヨギナミの家が母名義の持ち家だったり、まわりの土地があったり、祖母ともめて得た貯金を母が使いたがらなかったりと、いろいろ事情が複雑なのを理解していないのだ。

 母がここを売って、町から出る勇気を持ってくれれば。

 そう思うが、そんなことは無理だと、だいぶ前からわかっていた。母はとにかく、この家から頑なに出ようとしない。それはあの男のせいだと、ヨギナミは思っていた。ほんの少し前までは。


 あいつと一緒に暮らす?冗談じゃないわよ。


 と昨日母は言ったのだった。去年までクリスマスを一緒に過ごしていたくせに。やっぱりおっさんに気が移ったのだろうか。

 でも、あれは所長さんなのだ。

 どうなるのだろう?

 自分が旅行で4日も家を離れたら、

 2人で夜中に結ばれちゃったりしないだろうか。

 ヨギナミは真面目に悩んでいた。しかし、今さら『やっぱり旅行行かない』とも言えない。佐加に殺される。


 レストランに着くと、ウェイトレスのおばさんが駆け寄って来て、


 あのかっこいい人、また来てる!


 と言った。見ると、結城がいた。向かいに保坂秀人が座っていたので驚いた。

 そういえば保坂、所長さんの所にいるんだっけ。


 やあご苦労さん。

 久方も連れてくる予定だったんだけどさ、

 あいつ最近出かけるのを怖がるんだよね。


 ヨギナミを見ると、結城は気安く声をかけた。ヨギナミは曖昧に笑った。保坂はちらっとヨギナミを見て、挨拶代わりに手を軽く上げると、すぐパスタに目を戻した。


 ま〜、どうせ今頃新橋と一緒に、

 俺達の悪口言ってると思うけどね。


 新たに客が来たので、ヨギナミは仕事に戻った。サキはやはり所長の所にいるのか。あの2人の関係は何なのだろう?いや、もっと不思議なのは、母とおっさんの関係だが。

 他の客の後片付けをして、お土産を並べ直していたら、保坂が近寄って来た。


 古いパソコン。アップデートして使えるようにしたから、あげる。


 いきなり言われて、ヨギナミは目をぱちぱちさせた。


 公務員なら、パソコン使えなきゃダメだべや。

 WIFI使いたかったら俺の貸すから、

 それで試験の情報調べられるべ。


 保坂はそう言って口元で笑い、席に戻って行った。

 パソコンを2台も持っていたのか。さすが金持ち。

 でもいい話だ。確かにパソコンは必要だし、自分では絶対に買えないし。

 結城と保坂が帰って行ったあと、ヨギナミは小さく鼻歌を歌いながらテーブルを拭いた。

 そこまではいい日だったが、3時頃、恐るべき客がやってきた。

 秋倉のご婦人達だ。

 何かの集まりでもあったのか、みんな正装で、パールのネックレスや派手なピアスをつけ、指には一様に結婚指輪がはまっている。そして、みんな同じような小太り体型だった。彼女達はヨギナミを見て、同じように不快な顔をし、席につくとひそひそ話を始めた。


 私が行くわ。あなた皿洗ってなさい。


 何かを察したおばさんウェイトレスが、ヨギナミを厨房に引っ張り、自分が注文を受けに行った。


 保坂の旦那さんまだ帰って来ないんですってよ!


 ご婦人の一人が大声で言った。


 奥さんが入院してるってのにどこへ行ってるんだかねえ。


 もう一人がやけに大きな声を出し、残り数人がクスクスと笑いをもらした。

 こちらに聞こえるようにわざと言っているのだ。

 ヨギナミにはすぐわかった。


 しばらく出ない方がいいよ。


 シェフが調理しながらつぶやいた。事情は全部知っているのだ。

 保坂が帰った後で本当によかったとヨギナミは思った。なるべく気にしないようにしながら、サラダの盛り付けをした。


 絶対、裁判になるって。


 ご婦人方はなおも声を出し続ける。


 悲惨よね〜!

 病気の上に慰謝料まで払わなきゃいけないなんて!


 自業自得でしょ?

 悪いことはするもんじゃないわよね〜!


 よくこの町に住んでいられるよね〜!


 わざとらしい大声が続く。しかもみんな、心から悪口を『楽しんで』いるようだ。ヨギナミは、こういう人達がこの世に存在することが信じられなかった。しかも、世間から『まとも』と言われているのはああいう人達の方なのだ。真面目に働いている自分ではなく。

 ふと、ヨギナミは似たような場面をどこかで読んだような気がした。

 思い出そうとしているうちに気づいた。

『人間失格』だ。

 そんなことは世間が許さないと言われた時、

『世間じゃない。許さないのはあなたでしょう』

 と、確かそんなような場面があった。

 あの時代から、人の意地悪さは変わっていないということだ。

 ヨギナミは、今度、杉浦に今日のことを話してみようと思った。本の話と絡めて。それで少しだけ気が晴れた。ご婦人達はまだ悪口を言い続けていたけれど。


 あんなババアはこの町でもほんの一部だ。

 めげんな。


 客が帰ってから片付けをしている時、シェフが言った。


 わかってます。ありがとうございます。


 ヨギナミは答えた。少なくともここの人達は自分の味方だ。ありがたい。


 家に帰ると、母はもう眠っていた。顔色がよくなかった。最近元気がなく、悪口を言う気力もなさそうだ。病院に行けと言っても嫌がる。医者にここに来てもらうことも出来るよと言ったら、逆上して物を投げてきた。どうしたらいいのだろう?平岸家に相談すべきだろうか。しかし、あかねの目が怖い。おっさんは明日来るだろうか?来てくれれば少しは元気になるだろう。でも、このままこの状態を続けていていいものだろうか。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ