表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年9月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

512/1131

2016.9.21 水曜日 サキの日記

 音楽の授業。あいかわらずやる気のない今野先生は、『今日はこれでも聞くかあ』と、シューマンのバイオリン協奏曲ニ短調をかけて、自分は全然関係ない将棋の雑誌を読み始めた。真面目に聞き入っていたのは杉浦だけ。修平はずっとスマホを見てた。私は、メロドラマティックな音の中で、旅行のこととか、最近起きたこととか、昨日読んだ洋書の内容とか、全然関係ないことを考えていた。

 すると、


 音楽聴けるのは生きているうちなんだからね。


 という声がした。私は考えごとをやめようとした。バイオリンの音に集中しようとしてみた。でも、浮かんできたのはなぜか、駒さん達と居酒屋に行ったときの、酔っ払った結城さんだった。


 ねえ、あなた達やっぱり付き合ってたでしょ?


 私は心の中で奈々子さんに尋ねてみた。


 そんなことよりこの曲を聴きなさいよ。

 いい曲。生きている時に聴いておきたかった。


 そう言われては返す言葉もない。

 私は雑念をかわしながら、なんとか音楽の時間を乗り切った。すごく疲れてしまって後で寝てしまい、わかんない問題で当てられて困った。



 帰り道、林の道の前でふと、


『私はなぜここにいるんだろう』の『なぜ』が重すぎる。


 と感じた。何だろうこのフレーズ。でも、ものすごく真実のように思えた。

 私はこの『なぜ』を抱えながら研究所に近づいた。ピアノの音がした。ものすごく暗くて重い音が。


 プロコフィエフなんだよ。やめてほしいよほんと。

 僕を追い詰めようとしてるんじゃない?


 1階の部屋に入るなり、所長が文句を言った。保坂は今日、母親に会いに行っていないという。


 今日は朝から頭がぼんやりしてたんだ。

 なのにこんな曲だよ?どうしろっての?


 私に言われても。確かに聴いてると嫌になってくる音ではあったので、一緒に外に出ることにした。さわやかに晴れていた。

 アジサイの前を歩きながら私は『なぜ』の話をした。


『なぜここにいるんだろう』か。

 僕はいつもそう思ってる。

 それだけをいつも考えてたと言ってもいいくらい。


 所長が言った。

 私は去年落ち込んでいた時、自分が生まれてきたのは間違いで、その後の人生も全部間違ってると思っていた。実は今でも少しそう感じる。何かの間違いで生まれてしまったのではないかと。


 自分の話ばかりして悪いけど、

 間違って生まれてきたのは僕だよ。

 あの人はこの体を、橋本に渡す気だったんだから。

 僕が意識を持っていたことは想定外だったんだ、きっと。


 所長は畑の真ん中で立ち止まった。

 少し震えているように見えた。


 こんなに晴れて、草原が美しいのに、

 なぜだろう。まだ怖いんだ。

 ここから先に進むのが。


 所長はしばらく山の方を眺めていた。私は学校の話とか奈々子さんの話をした。所長はあまり反応しなかったけど、たまに『うん』と小声で言ったから、全く聞こえてないわけではなさそうだ。


 でも、生まれてきたのが間違いだったとしても、

 現に私達、ここに存在してますしね。

 生きてますしね、お腹すきますしね。


 私は言った。薄っぺらい言葉なのはわかっていた。

 所長は振り返って薄く笑うと、


 神戸からファヤージュが届いてるよ。


 と言った。

 研究所に戻って、葉っぱのようなお菓子とコーヒーをいただいた。結城さんも下りてきた。食べ物の気配を察知したのだろう。


 保坂大丈夫かねえ。母親はあんま良くないみたいだし。


 結城さんが言った。


 あの狂った人が、そう簡単に立ち直るとは思えないよ。


 所長が言った。実際に彼女が叫ぶのを見たのが忘れられないんだろう。

 保坂の話ばかりされるのも嫌だったので、私は音楽の授業中に聞こえた奈々子さんの声の話をした。


 音楽聴けるのは生きてるうちか。

 確かにそうかもしれない。


 結城さんがつぶやきながら私を見た。私のことを真っ直ぐ見てくるなんて珍しい。


 奈々子さんと仲良かったの?


 所長が尋ねた。


 腐れ縁の音楽仲間ってとこだな。お互いにけなし合い。

 でも、実力はあった。歌は上手かった。

 教えてる先生より上手かったもん。

 ほとんどプロだったんだよね。声だけは。


 結城さんはファヤージュを一列食べて、2階に戻って行った。それから聴こえてきたのが、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』だった。


 ラヴェルだ。サキ君、大丈夫?


 所長は心配そうに私を見た。私はしばらく音を聴きながらじっとしてたけど、奈々子さんが現れる気配はなかった。出てこないように我慢してくれているのか、それとも、この曲にはあまり惹かれないのか。


 音楽仲間ってことは、付き合ってたわけではないんですかね?


 私は言ってみた。所長は黙って肩をすくめて、残りのお菓子を私に勧めた。

 私はなぜここに存在しているのだろう?







 俺昔よく考えてたな〜。病院で。消灯してから。

 何のために生まれてきちゃったんだろうって。

 病院から出れないのに。


 夕食のときちらっとこの話したら、修平が反応した。


 先生に何度も聞いたけど、よくわかんない返事しか返って来ないしさぁ。『何か意味があるんだと思いますよ』とか。でも先生も自分がなんでここにいるかわかってないみたいだったし、誰もわかってないんじゃない?そんなこと。


『先生』というのは新道のことだと思うけど、平岸パパは医者のことだと思ったらしく、


 病院の人はそんなこと考える暇もなさそうだなぁ。

 忙しくて。


 と言った。

 そしたらあかねが、


 生きる意味を求める少年……ウフフフフ。


 と例の笑いをもらしたので、BL妄想が始まる前に、私と修平は皿を持ってテレビの間に逃げた。


 俺ら、来週、あいつと九州だぞ。どうすんだよ?


 修平がかなり焦った様子で言った。

 私に聞くんじゃない。


 結局、『なぜ』私達がここにいるのか、

 誰もわからないのだった。

 でも私は現に生きていて、

 まだ8時なのにめっちゃ眠い。

 宿題やってない。でももう寝る。



 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ