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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年9月

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2016.9.21 1998年

 奈々子が音楽教室に入ると、入れ違いにスーツを着た女性が出てきた。彼女は奈々子と目が合うと、目を開いて口を半開きにして笑った。その笑い方があまりにも気味が悪かったので、奈々子はすぐに顔をそむけて、近くの部屋に逃げ込んだ。

 しかし、そこにはナギがいた。

 しかも着替え中だった。

「ギャアアアアアア!!」

 奈々子は叫びながらドアの後ろに隠れた。

「何を騒いでんのさ」

 ナギは笑いながらシャツのボタンをとめた。

「あんた、な、なんで服、え?えっ?」

 奈々子は真っ赤になって混乱した。

「そんなに驚くことじゃないでしょ」

 ナギはせせら笑いながらピアノの椅子に座った。

「今日はおばさんも出かけてるし、誰も来ないと思ってたんだけど」

 ナギは母親のことを『おばさん』と呼んでいた。

「先生にはちゃんと言ったよ?発声練習でブース借りるって」

「俺は聞いてない」

「聞いてないからって何?何してたの!?さっきの女の人?」

「聞かなくてももうわかってるでしょ?今想像してることを口に出して言ってみなよ。だいたい当たってるから」

 ナギはバカにしたように言った。奈々子は真っ赤な顔で廊下に出て、ドアを勢いよく閉めた。中から笑い声が聞こえた。

 何なのあいつ!?ムカつく!

 奈々子は帰ろうかと思ったが、予定通りブースで練習することにした。あのアリアが歌えるようになるには、高い声が出せるようにならなくてはいけない。練習しなくては。

 発声練習を始めた。声を出しているうちに何もかも忘れた。自分自身の声の響きの中に、奈々子は入って行った。遠い昔、オペラアリアが作られた頃の美の世界へと。この時間、歌は奈々子の全てだった。全身が音に共鳴する。他には何も存在していない。

 うん。今日はすごく調子がいい。

 変なことに遭遇したにもかかわらず。

 2時間ほどして、奈々子はブースを出た。

 そこにナギが立っていた。彼は、無表情で奈々子を見た。ものすごく美しい。奈々子はうっかりナギの顔に見とれてしまった。いつもは人をバカにしたようにせせら笑っているからわからないのだが、ナギは、真面目な顔をしていると、本当にきれいだ。

「あんたさ」

 ナギが言った。

「ほんとに、歌、上手いよね」

「え?そう?」

 奈々子は驚いた。この嫌味が私をほめるなんて。今日は季節外れの大雪になるんじゃないだろうか。それとも、地震でも起きるか。

「おばさんの生徒ってさ、単にオペラが好きなだけの、むやみに声が甲高いおばあちゃんみたいのが多いんだけどさ あ」

「失礼な。そういう人たちだって真面目にオペラ聴いて何かを感じて──」

「わ〜かったって。ほんと真面目でムカつくよねあんた」

「やっぱりバカにしてない?」

「いや、真面目にほめてる。あんたの声は高くても甲高くない。ヘタにCD出してる歌手より、ずっといい声で歌ってる」

「ほんと?」

「うん」

「ほんとに本気で言ってる?」

「音に関しては嘘つかないよ俺は」

「他ではつきまくってるみたいな言い方」

「まあね」

 ナギはいつもの皮肉な笑みに戻って、歩いて行った。

「やばい」

 奈々子はつぶやいた。あの、超プライドが高くて性格の悪いナギが、人をほめるなんて。今日は絶対何かが起きるに違いない。

 奈々子は外に出て空を見た。晴れている。とりあえず大雪にはならなさそうだ。



 夕方、創成川のフェンスに手を当ててぼんやりしていると、小さな子供が近づいて来た。今日はちゃんとスニーカーをはいていたが、サイズが合っていなくて歩きにくそうだった。きっと修二がどこからかもらってきたものだろう。

「創くん?」

「違うよ」

 もう一人が答えた。

「俺が眠ってる間に、ひどいことを言われたらしい。怯えて引っ込んじまった。今日は出てこないかもしれない」

「何を言われたの?」

「言いたくもねえことだよ」

「ひどいことね」

 奈々子はフェンスから手を離した。

「修二を探しに行こう」

 2人は狸小路に向かって歩き出した。



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