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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年9月

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508/1131

2016.9.18 日曜日 草原の道 高谷修平

 肌寒い朝だった。修平はコートを着ていた。部屋のドアの前で早紀が『早くしろ』と叫んだ。気が立っているのが声でわかった。

「サキさあ、少し落ち着こうよ」

 修平はつい言ってしまった。

「見るからにムカついてる感じで怖いって。久方さんにも言われたんだろ?橋本にきついこと言うなって」

「わかってますよそれくらい」

 早紀は不機嫌な声で言いながら、足音が聞こえそうなくらい荒い歩き方で前を進んでいく。修平はもめごとを予感しながらその後を追った。

 草原を進んでいくうちに、早紀の隣に人影が浮かび上がった。長い髪に紺色のジャケット。奈々子だった。

『サキ。落ち着いて。気を静めなさい。じゃないと、私が乗っとるよ?』

 奈々子が言った。早紀が怖い目で奈々子を見た。

「幽霊から見ても怒って見えてるってことだよね〜」

 修平は軽く言った。早紀は無視して前に進み続けた。

 ヨギナミの家へ続く道の真ん中で、早紀、修平、奈々子、そして、あとから出てきた新道先生の4人は、橋本が来るのを待った。

『先生』

 奈々子が新道先生に言った。

『怖くないですか?』

『怖いですね』

 新道先生が言った。

「怖い?何が?」

 修平が尋ねた。

『現実を直視することですよ』

 新道先生が真面目に言った。

『失敗を認めることです』

「失敗?」

「あ!来た!」

 早紀が叫び、草原の向こうを指さした。小さな人影がこちらに近づいて来ていた。久方の隣に、同じ動きで浮かび上がる赤い髪の男。

 橋本は本当にやってきた。

「来ると思ったよ」

 橋本が4人をざっと見て言った。

「聞きたいことがあるんです」

 修平が言った。

「お前らの知りたいことは、俺は何も知らねえぞ」

 橋本が言った。

「初島がどこにいるかは、俺も知らない。どうしてこんなことになってるか?それは()()だって知りたいことだ。でもわからない。何も教えられることはない。帰ってくれや」

 橋本はそう言って前に進もうとしたが、早紀に行く手をはばまれた。

「母が言ってました。あなたが落ちてきた時、上の階にショートカットの女がいたって。あなたは突き落とされたの?それとも自分で落ちたの?」

 橋本はこの問いにひるんで、一歩後ろに下がった。

『それは、俺も知りたいと思っていた』

 新道先生が低い声を発した。修平は驚いて先生を見た。いつも敬語でしゃべっている先生が、自分のことを『俺』と言うのを今初めて聞いたからだ。

『俺だけじゃない。ナホちゃんも菅谷も、お父さんも、残されたみんなが思っているはずだ。お前はなぜ死んだのか。18年前は聞く前にいなくなってしまった。今度こそ教えてほしい』

 橋本は新道先生を見つめたまま、しばらく黙っていた。

「初島が突き落としたんですか?」

 修平が尋ねた。

「違う」

 橋本はきつく目を閉じ、頭を小さく左右に振った。痛みを感じているように見えた。

「じゃ、やっぱり自殺なの?」

 早紀がきつい声で尋ねた。

「そう思いたきゃそう思ってろよ」

 橋本は目元を歪めて顔を横に向けながら、いらついた声を上げた。

「お前らに説明してもわからねえよ。これは、俺にしかわからないことだ。他人にわかることじゃないんだ。何でもかんでも聞き出そうとするんじゃねえよ。本人にしか理解できないことがあるんだよ」

 橋本は早紀をよけて先に進もうとした。しかし、

『なぜ、今も創くんの体を操ってるんだ?』

 新道先生が声を発した。橋本は立ち止まった。

『虐待から逃げていた幼い頃ならともかく、今はそんなことをする必要はないはずだ。なぜ今になってそんなことを始めた?北海道に戻って来て懐かしくなったからなんて言うなよ?わかっているはずだろう?お前がそうやって体を使えば使うほど、創くん本人には関係のない記憶や体感がその体に積み残る。それが、体の本来の持ち主の感覚や人生を侵食して、いずれ壊してしまう』

 声には悲しみの響きがあった。お前はそんなことをする人間ではないはずだ。新道先生はそう言いたいのだ。修平にはそれが伝わってきた。

「そうです!そうですよ!」

 早紀が叫んだ。

「あなたは所長の人生を奪ってるんです!所長はもう十分変になってるんですよ!?あなたのせいで!」

『サキ、ちょっと落ち着いて』

 奈々子が早紀を止めようとした。しかし早紀はなおも言い続けた。

「今すぐ所長を返してください。所長は今どこにいるんですか?本当は私と会ったり、自分のために使うための日曜日を、あなたが奪ってる。もうやめてくださいこんなこと!ああ!もう!見ていられない!」

「サキ、大丈夫?」

 修平が尋ねたが、早紀は草原にしゃがみこんで下を向いてしまった。

『信じられない』

 今度は奈々子が言葉を発した。

『18年前のあの時から、創くんとあんたはずっと、こんな状態で暮らしていたっていうの?互いの存在を呪い合って?』

 橋本は何も言わなかった。ただそこに立って、みんながわめくのを聞いていた。

『こんなことになるんなら、あなたを行かせなければよかった』

 奈々子が言った。

『初島を殺してでも、札幌に引き止めればよかった』

 奈々子がつぶやき、早紀が驚いて顔を上げた。

『神崎さん。それは不可能ですし、よくないことですよ』

 新道先生は奈々子をたしなめるように優しく言ってから、橋本に向き直った。

『今すぐやめるんだ。創くんの体を使うのは。いいか、俺は絶対に修平君の体を使ったりしない。神崎さんも出来るだけ自分を抑えてくれている。お前に同じことが出来ないはずはない。いや、絶対にやらなくてはいけないんだ。わかってるだろう?本来俺達は、この時代に存在してはいけない』

「ああ、わかってるよ」

 橋本が言った。

『死者は生者に関与すべきではない』

 新道先生が続けた。

『創くんに関わるべきなのはお前じゃない。修平君や新橋さんだ』

「え?俺?」

 修平が先生を見た。

『そう。つまり生きている者だ。残念ながら、俺達はこんな形で生きた若者に取りついてしまっていて、消える方法が見つからない。出来ることは1つ。生きている者に与える悪い影響を出来るだけ少なくすること。そうだろう?』

「そんなに簡単じゃない」

 橋本がつぶやいた。

「俺には出来ない」

 そして、草原を歩き始めた。ヨギナミの家に向かって。

「まだ続けるの?みんながこれだけ言ってんのに?」

 早紀が叫んで、橋本を追いかけようとしたが、

『新橋さん。今日はここまでにしましょう』

 新道先生がそう言い、修平が早紀を止めた。新道先生の口調はいつも通りに戻っていたが、表情は険しいままだった。

『悔しい』

 奈々子がつぶやいたかと思うと、空中にかき消えた。

『わかります』

 新道先生も言った。

『申し訳ない。私達の失敗に君達を巻き込んでしまったようだ』

「だから先生のせいじゃないって。前から言ってるだろ?」

 修平がうんざりした顔で言った。この手の謝罪には前から手を焼いていた。

「少なくとも奈々子さんとあなたは、所長を助けようとした」

 早紀がつぶやきながら立ち上がった。

「だけど橋本は、進んで所長の人生をぶち壊してるとしか思えない」

『進んで、ではありませんよ。仕方なくといったところでしょう』

「私もう帰ります。ごめんなさい」

 早紀は顔を伏せながら、早足で草原の道を歩いて行った。

「結局、あいつがなんで死んだかわからなかったね」

 修平が言った。

『よほど話したくないんでしょうね』

 新道先生が悲しげに下を向いた。

「俺らも帰ろう。今日寒い。これ以上ここにいたら俺また熱出すよ絶対」

 修平は歩きながら新道先生に笑いかけた。

「先生が『俺』って言うの、なんか新鮮だな〜!」

 わざと明るい声で言った。

「もう俺と話すときも、あの感じでタメでいいよ」

『いや、それは無理なんですよ。修平君』

 新道先生が弱ったような笑みを浮かべた。

「なんで?」

『辛いからです』

「辛い?」

『人は『子供は素のままでいられるから楽でいい』と思考えがちです。しかし、それは違います。素のままで他人とぶつかるのは辛いことなんです。もろに衝撃を受けてしまう。だから子供たちは傷ついて悩むんですよ。素のままでしか生きられないというのは、非常に苦痛なんです。創くんや橋本なんかがまさにそのタイプでしょう。私も昔はそうでしたからよくわかります。大人になると職業や肩書き、立場が仮面となり、盾になる。そういう面もあるんです。大人の方が生きるのは楽だ。しかし子供は、いや、大人になっても創くんのような人達は、そういう武器を持っていない』

 新道先生はそこで言葉を切り、いたずらをする子供のような目で修平を見た。

『私は教師をやっているほうが気が楽ですし、余計なことを考えずに済むんです。ですから、君といる間は、お気楽な『先生』でいさせてください』

「なんかよくわかんないけど、いいよ」

『ありがとう。ところで修平君』

「何?」

『伊藤さんが使っている仮面に気づきませんか?』

「伊藤?あ〜」

 修平はすぐに気づいた。

「伝説の図書委員長」

『そうです。それが彼女が使っている仮面です』

「その方が楽だから?」

「だと思います。君も素でばかり人とぶつかっていないで、少しは仮面や盾の使い方を覚えたらどうです?」

「図書委員とか?」

『そうです。他にも考えようによってはいくらでもあります』

「例えば?」

『学校の先生が好きなのは『優等生』とか『礼儀正しい若者』でしょうね』

「うわなんか嫌だなそれ」

 修平と新道先生は、見えない武器の話をしながら、風の強い草原の道を通り抜けて行った。途中で雨が降り出したので、修平は慌てて走った。

 アパートに着いた時、新道先生の姿はなくなっていた。


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