2016.9.17 土曜日 サキの日記
松井カフェでは、ねこが予約席の真ん中に居座り、『予約』の札を前足でもてあそんでいた。
ごめんねぇ。さっきから何度もどけてるんだけど、すぐ戻っちゃうのよ。
ほら、こっちに来なさい。
松井マスターがねこを抱き上げて窓辺のクッションの上に置いた。ねこはすぐ、また私達の席に戻って来てしまった。高条はその様子をずっと動画に撮っていた。
私は眠かった。夜中に、また奈々子さんが壁に向かってぼそぼそ話をしていたので起きてしまったのだ。また、隣の新道と話をしていたらしい。でも、聞き取れた部分が奇妙だった。
私の人生で良かったのは、
修二とユエさんに会えたことだけですね。
彼女はそう言ったのだ。そのあと『あ、先生に会えたこともですね』と、新道を気づかう発言もしてたけど。
あれ?結城さんは?
あなたが『ナギ』って呼んでた人は?
私はそこが気になったのに、本人に聞きそびれた。おかげでボーッとしてて、高条の話をほとんど聞いていなかった。
いいじゃない別に。
第1か第2と一緒なんだから。
うちらだけで動かなくても。
あかねがきつい声で言ったので目が覚めた。どうやら、修平か高条が『第3グループだけでどこかに行こう』と提案したらしい。
博多市内くらい、俺たちだけで回ってもいいんじゃない?
修平だ。確か修平がそう言ってた。
え〜!?博多は佐加と買い物って決めてるのに!
アニメグッズも買いたいし。
九州まで行ってそんなもん買うの?
高条が言ったが、あかねは、
だってせっかくショップに行けるのよ?
ちょうど好きなゲームのプレミアムグッズも出て、取扱店が博多にあるし。
これは天の助けってもんでしょ?
もう決めちゃったっぽい。あれ?私もそこに連れて行かれるの?もしかして。
佐加だって行きたがってるし、もちろんあんたも来るのよ。男子は奈良崎か杉浦と一緒にどっか行けばいいじゃない。
第3グループは、班長:あかねによって男女分離したのだった。高条がいろいろな案を出してきたけど、あかねがことごとく反対する。私がいいなと思った案もダメ出しを食らう。今日のあかねは、気に入らないものを叩き潰す極悪裁判官のようだ。
しまいには修平が、
俺、旅行休んじゃダメ?
とか言い出して、あかねに『勝手に休めば?』と言われていた。
その後、あかねは用事があるとか言ってすぐに帰ってしまい、修平も『具合悪い』と言って出ていった。
私は帰ろうかどうしようか迷って、テーブルの上のねこを突っついて遊んだ。高条を嫌っているらしいが、私が猫じゃらしを使うとけっこう反応してくれて楽しい。でも、高条が私の動画を撮っていることに気づいたので、帰ることにした。勝手に撮影する奴は嫌いだ。畠山みたいで。
ああ、また思い出した!
平岸さんと同じグループで旅行。しかも佐加つき。
所長がソファーで遠い目をした。
それ、地獄行きって言わない?
所長、九州は地獄じゃありません。
でも、その2人と一緒じゃあ、
──ああ、考えただけで頭痛がする!
所長は倒れた。ふざけてやっているのかと思ったけど、よく見ると顔色が悪かった。本当に頭が痛いらしい。
私は夜中に聞いた奈々子さんの話をした。
そりゃあ修二の方がいいに決まってるよ。
あんなピアノ狂いより。何も不思議じゃないよ。
かわいそうに。片思いだったんだなあ、あいつ。
なぜか所長は楽しそうに笑ったあと、また頭が痛くなったのか、手で額を押さえてソファーに顔をうずめた。そして私に、キッチンにクロワッサンがあるから取ってきてほしいと言った。私は言われた通りにした。2人で昼食代わりに食べた。めっちゃパリパリしていた。
食べ終わる頃に少し具合が良くなったのか、所長は外に出てみようと言った。一緒に畑まで行ったけど、
やっぱり変だな。景色が遠くに感じるよ。
所長は道の真ん中で、さみしそうにつぶやいた。前みたいに、自然に夢中になることが出来なくなっているようだ。なぜそうなったのかもわからないと言っていた。
研究所からはピアノが聞こえてきていた。エリック・サティの小品をいくつか連続で弾いている。音で結城さんだとわかる。単純な曲でも、保坂とは音が全然違う。だからわかってしまう。
結城さんが私に会いたがらないのは、奈々子さんを避けているんだろうか。
彼女が別な男の人を好きだったから。
だとしたら、また話がややこしくなってしまう。
きっと明日、いろいろわかるよ。
あいつと話せればね。
所長が私の心を読んだかのように言った。
そう、明日は修平と一緒に橋本を待ち伏せするんだった。上手くいくといいけど。




