2016.9.15 木曜日 図書室 高谷修平
高谷修平は、図書室のドアの前に立ち止まって考えていた。
当日急に言われたから仕方ないとはいえ、
『伊藤の誕生日にプレゼントを用意し忘れる』
という痛恨のミスを犯してしまった。そして、第2グループがパーティを楽しんでいる時、伊藤が近寄って来て、耳元でこう言ったのだ。
「本当はこういうパーティ、大嫌い」
顔が近すぎて耳元に息がかかった。熱かった。しかも、いつもは本の話しかしない伊藤が、初めて自分にだけ本音を言った。それはどういうことなのか。試験期間中、修平はそのことばかり考えていた。
『あまり悩まずに、普通に接したらいいんですよ』
新道先生の声が聞こえた。
「あのさ、今俺、その『普通』がわかんないんだけど」
修平が震え声でつぶやいた。
『君がいつもやっている通りに、カウンターに近づいて、挨拶をして、話をすればいいんです。ほら、後ろから人が来ていますよ』
先輩が近づいて来るのが見えた。修平は慌ててドアを引いた。力を入れすぎて、バン!という音とともにドアが跳ね返った。
「ドアは静かに開け閉めしていただけます?」
伊藤が修平を怖い目でにらんだ。
「すみません」
修平は下を向いた。顔が真っ赤だった。
伊藤は九州の旅行ガイドを見ていた。おすすめコーナーにも九州に関係のある本や、歴史ものが並んでいた。
修平は迷いながら、甘栗の袋を伊藤の前に置いた。
「何これ?」
「いや、あの、この前、プレゼント用意出来なかったから」
修平は自分がバカみたいだと思いながら弁解した。
「好きでしょ?栗」
「別に気を使わなくてもいいのに。スマコンが当日にいきなり来いって言ったからでしょ?嫌がらせで」
つまり、本当は、自分を呼ぶ気はなかったのかな?
修平は思った。
「いや、でもさあ」
「ありがと。これはもらっておくね」
伊藤は笑顔で栗をカウンターの下に入れた。やっぱり栗は好きらしい。それからまた、九州のガイドを見始めた。最近、クラスの話題も修学旅行の話が多くなってきていた。修平はあまり楽しみではなかった。不安の方が大きかった。でもそれは、クラスの人には知られたくない。特に伊藤には。
「長崎に行ったら絶対カステラを買わなきゃ」
伊藤が言った。自分に話しかけているのか、ひとり言なのか、修平にはわからなかった。
「楽しみなんだ、長崎」
「だって、めったに行けないし。いろんな意味で特別な場所だし」
長崎では絶対倒れないようにしよう。修平は決めた。倒れるなら、どうでもいい杉浦が楽しみにしている鹿児島か、最終日の博多だ。いや、なぜ、倒れることを前提に考えなければならないのだろう?
「大浦天主堂は絶対見たいんだけど、日程的にどうかなあ」
伊藤はまたひとり言を言ってから、
「ところで、第3グループ、まだ何も話し合ってないの?」
と尋ねた。
「そういう話題すら出ない」
修平は正直に言った。
「後で高条に相談する。この話題に乗って来そうなのあいつしかいない。平岸はそもそも行きたがってないし、サキはそれどころじゃないみたいだし」
「所長さん?」
「そう」
「あの2人って、本当に付き合ってないの?」
伊藤が身を乗り出した。
「そういう仲ではないってサキは言ってるけどね。でもさ、サキのお母さんが言ってたんだよね。久方は絶対サキのこと好きだって」
「私は逆だと思う」
伊藤がニヤッと笑った。
「逆?」
「新橋さんが所長さんのこと好きなんだと思う。というか、こだわりすぎてるんだと思う」
「なんでそう思う?」
「学校祭の様子見てて、なんとなく」
「あっそ」
修平はこの話題を早く終えたかった。本当に話したいのはこの話ではない。
「本棚見てくる」
修平はその場を離れ、本棚の一番奥に行ってから、壁にもたれてため息をついた。今日は、生物の棚に、天体観測の本が突っ込んであった。今度このあたりを張り込みして、イタズラの犯人を捕まえたほうがいいかもしれない。
一通り見て回ってからカウンターに戻ると、サキが伊藤と話をしていた。2人は、多言語の学習について話していた。伊藤がヘブライ語に興味があると言ったので、サキは、
「何そのマイナーな選択!」
と叫んだ。図書室で叫ぶなと修平は思った。なぜ伊藤は、サキには注意しないのだろう?伊藤は、聖書の一部分にヘブライ語の部分があって、原文が気になると言った。サキは、
「聖書なんか読むの?」
と、少々バカにした口調で言ってから、
「私はドイツ語をやりたいけど、今は英語で手一杯かなあ」
と言い、『わたしの外国語学習法』という本を借りて出て行った。
「あいつうるさくない?」
修平はカウンターに近づきながら言った。
「図書室は私語禁止だよね?」
「本の話をしてたの。ソ連時代に東欧で、10カ国語以上マスターした女性の話」
「ふーん」
あまり興味がわかなかった。
「ハンガリーの人なんだけど、戦争中、爆撃から逃げている間に、防空壕でロシア語の本を読んでたんだって。しかも、ハンガリー語の本にわざわざゴーゴリの小説を貼り付けて偽造して。すごくない?私絶対そんなことできない」
伊藤はそう言いながら、今度は『長崎』と書かれた小さな旅行ガイドを見始めた。今日は話せなさそうだと修平は思った。第3グループのために情報を集めようと決め、九州のガイドを手にとってめくってみたが、何も頭に入って来ない。
「このガイドって借りれるの?」
「もちろん」
「持って帰って平岸たちに見せてみる」
修平は手続きをしてから、ガイドを持って図書室を出て、廊下でまた深いため息をついた。自分はまたしても浮かれていたのかもしれない。伊藤は今、旅行のことで頭がいっぱいで、他のことは考えられないようだ。
「難しいよ」
修平はつぶやいた。
「何か言った?」
保坂が通りがかった。
「あ、お前さ、いつまで久方さんとこにいんの?」
「みんな同じこと聞くなあ」
保坂が苦笑いした。
「まだ先行き不透明としか言えねえわ」
「そっか、大変だな」
「まーね」
保坂は軽く手を上げてから図書室に入って行った。伊藤と旅行の相談でもするのだろうか?
修平は帰ることにした。
「太宰府天満宮さえ行ければ、あとはどこでもいい。でも、進路まだ決まってないのにあそこに行って大丈夫かなあ」
夕食の時、サキがガイドを見ながら言った。
「いいんじゃない?要は勉強上手く行けばいいんでしょ?」
平岸あかねがどうでもよさそうに言った。
「ど〜せ第1と第2の後をついていくだけでしょ?あたしたち。老人向けの旅行ツアーみたい。あ〜!行きたくない!」
「またそんなこと言って」
平岸ママが顔をしかめた。修平も内心『行きたくない』と思い始めていたが、それはもちろん、めんどくさいからではなかった。




