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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年9月

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2016.9.14 水曜日 サキの日記

 試験終了。

 帰りに研究所に行ったら、所長がソファーで寝ていた。胸の上で手を組んでお行儀よく。私が近づくとぱちっと目を開けた。何かのセンサーのようだった。


 メフィストワルツが聴こえる。


 言いながら所長は起き上がった。天井からはピアノが聞こえていた。


 人が具合悪いって言ってるのに全然容赦しないんだから。保坂君は気を使ってキーボードとヘッドホンを持って来たのに。

 人格の違いが現れてるよもう。


 保坂、まだいるのか。私は所長に散歩に行こうと言ってみた。でも、


 ごめん。最近、あんまり歩けないんだ。


 と言われた。ショックだった。そこまで体調悪かったのか。

 ポット君が近づいて来たのでコーヒーを頼んだ。所長は、外に出て少し歩くと体がおかしくなると言った。


 なぜかわからないけど、草原に拒まれているような感じがして、前に進めなくなるんだよ。

 自分でもどうしてかわからない。


 所長はそう言ってから、急に明るい顔になって、


 そういえば、試験どうだった?


 と言った。なんだか無理しているように見えた。私は、数学の試験の話をした。出題範囲はやはり間違っていた。しかし先生が『2年生ならこれくらい出来て当然だ』と普通に減点対象にすると言ったため、杉浦とヨギナミ以外の全員が抗議した。


 テストを作るのも人間だから。

 ミスもするだろうね。


 所長は笑いながら言った。いや、笑い事じゃないんですって。その問題のせいで60点切ったら補習になっちゃうということを説明したけど、所長は優等生なのであまりよくわからないみたいだった。

 ピアノの音が止まり、足音が聞こえてきた。結城さんがやってきた。私を見て、


 おお新橋!ちょうどよかった。

 畑を見に行くからついて来い。


 いきなり笑顔で言われたのでびっくりした。


 久方が行けないから俺が代わりに様子見に行くんだよ。

 手伝え。


 私は喜んでついていった。結城さんがこんなことを言ってくるのは初めてだ。


 久方に言われただろ、体が動かないって。

 自分の体が何を怖がってるかわからないって。


 道を歩きながら結城さんが言った。


 あいつ、自分がどれだけ傷ついてたか、

 自覚してなかったんじゃない?

 最近やっとわかりだして怯えてんじゃない?

 まわりはとっくの昔に気づいてんだよ。

 あのクソガキが。


 畑の端まで行った。ひまわり畑のあたりで結城さんは立ち止まった。天気はどんよりとした曇り。風景まで元気がなさそうだった。


 うーん、特にやることはなさそうだな。

 種取るのも早そうというかめんどくさい。


 結城さんがあたりを見回しながら言った。なんだか、結城さんもわざと明るくしゃべっているような感じがした。


 聞きたいことがあるんだけど。


 何ですか?


 奈々子があんたに取りついているって久方が言ってるんだけど、本当?


 結城さんは山を見ながら言った。


 やっぱり知り合いなんですね?


 私はドキドキしながら尋ねた。


 昔、一緒に音楽やってた仲間。まあ、向こうは俺のこと仲間だと思ってたかどうか怪しいけどね。まあ、一緒に演奏してたのは本当。


 結城さんは軽い口調で言った。でも、こちらを見ようとしない。


 所長の所にいるのは、奈々子さんを殺した犯人を探すためですか?


 そう。


 もう少しためらうかと思ったのに、結城さんはあっさり答えた。


 他に手がかりがなかったし、奈々子が連れ回していたガキのことも気になったから。探したら神戸にいるってわかったの。で、会いに行った。

 そしたら、ドイツで精神病んだとかでさ、もう親の手にも負えないくらい泣きわめいてるんだよね。今の比じゃないんだよ。新橋、あんたでも、あの時の久方見たら一目散に逃げるね。賭けてもいい。それくらい酷かった。


 結城さんは振り返って、もと来た道を歩き始めた。私もついていった。


 奈々子さん、たまに音楽を聴かせてって言ってくるんですよ。


 私は前を歩く背中に向かって話しかけた。


 それがだいたい、90年代の懐メロなんですけど、みんな歌詞が暗いんです。なんでこんな曲聴くのって思うくらい。


 あー、あの頃はね、悩めば悩むほど偉いっていう馬鹿げた考えの奴が多かったから。軽い奴ほど生きにくかったんだよね。


 結城さんは陽気な声を出したが、やっぱり私を見てくれない。


 今の方がまし。ずっといい。

 たいていの考えの違いは許されるから。


 結城さんはそう言いながら建物に入り、真っ直ぐに2階に上がって行った。ついていこうかと思ったけど、やめた。所長はまだソファーで眠っていた。

 私がCDをあさっていると、物音のせいか、起きて、近づいて来た。


 珍しいな。今の時間にあいつがピアノを弾かないのは。


 所長は天井を見上げてから、


 Enyaはもう聴きたくないよね?


 と言って、代わりにCeltic Womanというグループの『The Voice』という曲をかけた。新しい始まりを思わせる、力強くて優しい曲で、『聴いてると元気が出る』そうだ。このVoiceというのは、神の声か、自分の内なる声のことだろう。幽霊の声に悩まされている私達には微妙な選曲のような気もしたけど、でも所長はこのCeltic Womanが本当に好きらしくて、『You Raise Me Up』とか、他の曲のことも嬉しそうに説明してくれた。私が気に入ったのは『Spanish Lady』という曲。音がユーモラスで明るくて好き。

 とりあえず少し元気になったみたいだ。よかった。

 でも、帰ってからこの場面を思い出して考えたのは、やっぱり私の前では無理に明るくふるまっているんじゃないかということだ。


 いいのよそんなの。

 サキちゃんが来ることで、

 久方さんも気持ちに張りが出るんでしょう。

 人に気を使えるうちは人間大丈夫なのよ。

 だから気にすることないの。


 夕食の時、平岸ママはそう言った。またあかねが妄想を発しないか心配していたのだが、何も行って来なかった。


 そういうのさ、あんま裏を探らないほうがいいと思うけど。向こうも理由があって明るくふるまってるわけじゃん?いちいち本心見抜かれてもしんどいと思う。


 カッパにまで偉そうなことを言われた。

 でも、そうかもしれない。





 

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