2016.9.11 1979年
「嫌ねえ。みんな仲良くなっちゃって」
廃ビルの最上階で、初島緑が不機嫌に体育座りしていた。
「新道は誰でも助けてしまうし、最近は菅谷まで、近所のおじいさんの様子を見に行っちゃったりして。どうせナホの気を引きたいだけでしょうけどね。あーあ!」
初島は大声を上げながら両膝を叩いた。
「つまんない!みんな人気者になっちゃって!私だけ悪者ってわけ?」
橋本は隣でぼんやりしていた。夕方には家に戻ろうと思っていた。新道隆と根岸菜穂が本を探しに来るからだ。新道は馬鹿だが、最近急に難しい本が読めるようになってきていた。根岸のおかげだろう。あの2人はいつ見ても仲が良くて、ひねくれた橋本の目から見ても微笑ましかった。あの2人だけが正常で、あとの連中はみんな間違っているではとすら思い始めていた。
「なんでさっきから黙ってるのよ?」
間違っている女、初島が橋本に尋ねた。
「中身のねえことばっかり言ってるからだろ?」
帰ってくれと言いたかったが、そんな言葉を聞く相手ではないことはわかっていた。初島は昔から、何かと橋本に絡んできた。理由はよくわからない。きっと他に話し相手がいないのだろう。
階下から軽い足音が近づいてきた。
「これはナホね」
初島がつぶやいた。その予想通り、
「あ、みどりちゃんもいる!」
根岸菜穂がやって来た。今日も機嫌よく笑っている。
「あのね〜、今日は熊田さん家の庭で水やりをしたの」
熊田さんとは、高校の近くに住んでいる、腰を患ったおばあさんのことだ。
「あ、そう」
初島が暗い顔をした。
「ナホが水を浮かべてねえ、シンちゃんが飛ばすの」
「ふうん」
何だその幼稚園児のような遊びは。初島はさらに顔をしかめた。
「あいつそれしか出来ることないからな」
橋本が言うと、菜穂が頬を膨らませて、
「どうして橋本くんはシンちゃんの悪口ばっかり言うの?」
とかわいらしく怒った。
「悪口じゃねえよ。本当のことだろ?」
「橋本くん」
菜穂が真面目な顔をした。
「何?」
「そろそろ学校に来ないと、出席日数が足りなくなるよ」
「わかってるって。ちゃんと計算してるよ。それより、新道はどうした?」
「橋本くん家に行った」
「何ぃ!?」
橋本は慌てて立ち上がった。古書店を営む橋本の父親は、新道を気に入って何かとかわいがっている。2人きりにすると余計なことを話されてしまうかもしれない。
「あっ!待ってよ!熊田さんからもらったおせんべいが」
「いらねえよ!初島と食ってろ!」
橋本は階段を駆け下りて行った。
「いらっしゃいよ。お嬢様」
初島は仕方なく、自分の隣の床を手で叩いた。根岸菜穂は嬉しそうに飛んできてそこに座り、笑顔でおせんべいを初島に渡した。
「ババくさぁい」
初島はおせんべいを空にかざしながら、白けた目つきでつぶやいた。
「でもおいしいよこれ」
菜穂が子供っぽい声で言った。
「あんたたち、人助けなんかして、何が楽しいの?」
「みんな喜んでくれるし、ナホも嬉しいから」
「わかんない」
初島がまたつぶやいた。
「全然わかんない。そんなの。男子をからかった方がよほど面白いわよ」
初島は急にニヤニヤし始めた。
「あんた、新道をからかってみなさいよ。人気のない所に連れて行って抱きついてみるとか、『キスして』って言ってみるとか。いかに純情そうな男子でも本性を出すわよ」
そのまま襲われてしまえ、と初島は思っていたのだが、しかし、
「シンちゃんは抱きついても全然驚かないよ?」
菜穂は平然と言いながらおせんべいに噛みついた。初島は目を丸くした。
「あんた、本当に抱きついたの?新道に?」
「いっつも抱きついてるけど、背が高いからナホが見えてないのかもねえ」
「ハァ!?」
「視界が高すぎるのねえ、シンちゃんは」
菜穂はのんきな声で言い、初島は呆れた。
「あんたたち何なの?2人揃ってバカなの?」
「どうしてみどりちゃんも橋本くんも、シンちゃんをバカにするの?」
菜穂は怒った顔で言った。しかし全然怖くなかった。どんな顔をしていても菜穂はかわいいのだ。これはもう、生まれ持った性質としか言いようがない。
「だめだこりゃ。呆れてものも言えない」
初島は降参してつぶやいた。
廃ビルの部屋に、女の子2人がおせんべいを食べる音だけが響いた。




